第574話・冬のイベントと渡り巫女
Side:久遠一馬
新年三日目。例年通り初詣に行った。少し変わったのは、商人などが同じく正月だというのに参拝に来ていた人が結構いたことか。
特に初詣を宣伝していたわけではない。とはいえこの時代の人は験を担ぐ。ウチの習慣ということで、それを真似ているらしい。
商売繁盛を願ってということだろう。
そして新年五日目。この日は清洲運動公園にて、凧揚げ大会というか、この時代の言い方に合わせると烏賊のぼり大会が行われるんだ。これはウチが発案した行事ではない。
国人や寺社に商人などを筆頭に一部では領民も参加を予定している。
この手の大会の運営に関してはノウハウがウチにしかないので手伝ったが、発案者は評定衆だ。秋の武芸大会の総括と反省の評定をしていた時に、正月のめでたい時にもなにかイベントをやれないかとなって決まったことだ。
基本的なコンセプトは武芸大会と変わらない。武士も僧も領民もみんなが参加して楽しめる祭りをしたいということだ。
エルいわく政治的な発言権を確保したいという、織田弾正忠家の旧来の重臣たちの思惑もあるらしい。自分たちの地位と発言権を確保することや、口には出さないがオレの発言権が強すぎると危惧をしている者もいるのだろう。
時代は違うが政治の世界なんだなと改めて思う。とはいえ謀や武力ではなく政策で対抗しようとすることには応援したい。
武芸大会や花火大会ではっきりしたのは、領民も娯楽を求めているということだ。評定衆もそれを理解しているのだと思う。あまり小難しいものではなく、凧揚げ大会というわかりやすいものを選んだこともいいと思う。
先月には凧造りの授業を何度か学校でもやっていて、それなりに参加者が多かった。これを機会になぜ凧が上がるのかとか、学問に興味を持つ人が出てくればいいなとちょっと期待したけど、さすがにそこまではなかったようだね。
あとは今回はお正月ということで恒例となっている領外の来賓は呼ばなかったが、美濃の斎藤家は臣従を申し出たことと斎藤家側の要望で参加する。
「うわぁ、すごいね!」
冬の公園は寒い。あちこちに暖をとる焚き火が用意された。
観客は武芸大会に負けぬほど集まり、当然屋台も出ていて賑やかだ。
紙芝居とかわら版による告知の成果だろう。積極的な広報活動は、怪しげな坊さんや他国の忍びの流言など工作の防止にもなる。通常の武家では立て札で命じるだけだからね。
公園に入るなりお市ちゃんに捕まった。一緒に見ようと待っていたらしい。
形は基本的な長方形だが、大小様々な凧がある。凧には当然文字や絵が描かれていて、意外に派手だなという印象だ。
「では出陣でござる!」
「いざ参るのです!」
ああ、ウチではすずとチェリーが慶次と一緒に参加する。水彩画だろう。慶次作の絵が描かれているが、派手好きな割に絵は真面目なんだよね。ウチの南蛮船が描かれていて、地味に絵の完成度が高くて注目を集めている。
自由人だよねぇ。ある意味一番羨ましい立ち位置にいる男だ。
「数が揃うと壮観だね」
「こういう行事はあるようでなかったですからね。多少の財を出し合えば、皆で参加出来るという点では素晴らしいです」
エルが金銭面は別にして、手放しで今回のイベントを褒めた。まったく新しい知識ばかりではなく、既存知識や習慣を上手くイベントにしたというところでは重臣の皆さんの凄さを感じる。
取り入れるべきところは取り入れつつ、出来る範囲で考える。信秀さんもそんな重臣の皆さんに内心では嬉しいだろう。なんと言っても長年一緒だった仲間だからね。
「あれも凄いね」
「ほんとだ!」
気合いが入っているのは、商人と寺社だろうか。武芸でない分だけどちらかと言えば、彼らの得意なジャンルになる。尾張には畿内から流れてきた絵師もいるし、彼らが描いた絵もまた多い。
本格的な仏画と言えるようなものもある。ただ、落ちたら縁起が悪いとか騒がれないようにフォローしないと駄目だな。
資清さんにそこのフォローをするように運営本陣に伝言を頼んでおくか。
おっ、すずとチェリーの凧が上がっていく。青く澄んだ冬の空で泳ぐ凧は見栄えもしていいね。この時代では人の手の届かない大空に挑戦するという夢がある。
お市ちゃんは、はしゃぎながらずっと上を見上げている。こりゃあ首が痛くなる人が出てくるな。ケティたちは当然対策として臨時の救護所を用意している。
でもさ、この大空を見上げている人たちが、もっと未知の明日に挑戦出来るようにするのがオレの仕事だ。
オレたちも工業村を運営して知ったんだけどね。この時代の日本人も学習意欲と創作意欲はある。環境とちょっとしたきっかけを与えるとどんどん進歩していく。
この凧あげ大会をみて、そのうち人力飛行機でも作ろうとしても驚かないくらいだ。史実を
今年もいい一年になりそうだね。
Side:甲斐の渡り巫女
これはいったいなんの騒ぎでしょう? と首を傾げてしまいました。
渡り巫女として昨年末から尾張に滞在しておりますが、正月も終わろうという頃に清洲に大勢の人が集まってきました。
「おお、巫女様じゃねえか。どうしたんだ?」
戦にしては武器もなく鎧も身に着けておりません。織田の賦役かとも思いましたが、それとも様子が違います。気になって見ていると、先日知り合った男が声を掛けてきました。
「これはなんの集まりでしょう?」
「烏賊のぼり大会だとよ。優秀な者には褒美が出るそうだ。連れていってやろう」
この男も流民だとか。ひとりの年越しはつまらないと言い、私を買った男です。お人よしなのでしょう。私の餅も用意してくれました。
もっとも尾張では甲斐と違い、民も正月には餅が食べられるようですが。甲斐の者たちが知ったらなんと言うか。
人々の表情が明るいとは。そんな表情に少し嫉妬してしまいます。食う物にも事欠き、明日はどうなるかわからぬ甲斐とこれほど違うなんて。
「すごい……」
「なんか食うか? おごってやるぜ?」
村祭りとは比較にならない賑わう人々に私は恐れを感じてしまいました。男にはそれが理解出来なかったようでございます。
この動員する力で甲斐に攻め込まれたら武田家とて勝てぬのではと、私ですら思います。
「……甘い」
「お汁粉だよ! 美味しいでしょ? 頑張って作ったんだよ!」
男が私に食べさせてくれたのは小豆と餅を甘く煮たものでした。
私が驚くのを笑顔で見てくる子供たちの笑顔が眩しい。
「ここは久遠様の屋台だからな。一番人気なんだぞ」
知っています。私は三ツ者の
周囲には手練れの気配があります。甲斐を出る前にお頭に言われたのは、決して久遠家には手を出すなということ。素破のひとりを殺めても久遠家は地の果てまで報復に来ると言われました。
しかも伊賀と甲賀の素破を見れば、久遠家と通じていると思えと教えられたほど。大人しくしていましょう。なにもしなければ見逃してもらえるはず。
「なんて数なのでしょう」
甘い汁粉とやらを食べ終えると、烏賊のぼりがたくさん上がっている場所に来ました。
色とりどりの烏賊のぼりが空を彩っております。
「……尾張は裕福なのですね」
「変わったのはここ数年らしいな。おいらも元は三河から来たから詳しく知らねえが、久遠様が尾張に来られる前はそうでもなかったらしいぞ」
誇らしげに語る男が少し羨ましい。近頃では甲斐といえば同盟破り、誓詞破りの武田として笑われるほどなのでございます。
尾張には仏がいるが、甲斐には鬼にも
「なんなら、おいらのところに住むか?」
「ありがとうございます。ですが私には信仰がありますので」
心が揺れました。純粋な男の好意と尾張で私が生きる明日を夢見て。
しかし、武田家は裏切り者を許さないでしょう。なにがあっても。
私にできることは、せめて今この時を大切にするだけ。
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