第573話・新年の課題と職人の正月

Side:久遠一馬


 信行君改め勘十郎君の元服に続いて発表されたのは、佐治さんと信秀さんの娘さんが結婚することだった。


 名前をお縁さんという。年は十七歳。多分史実の犬山殿だろう。元の世界の歴史では結婚後の通称しか名前が残らなかった人なので、推測しか出来ないが。


 結婚に関しては、ほかにも報告がいくつもあった。織田一族だけでも結構いるしね。適齢期の男女は家として結婚させるのがこの時代の一般的なやり方だ。


 報告というか発表されたのは、織田家が昨年一年で行なった賦役や改革などの報告になる。代表的なのは寺社の守護使不入で、正式に廃止とすることになったとの報告だ。


 守護使不入に関しては、すでに尾張では守護使不入を完全に行使していた寺は存在していなかった。寺領に関しては尊重しているし、織田家にあまり余裕がなかったことで特に口出しをしていなかったが、流行り病以降は互いに協力するべきだという考えが大勢を占めている。


 なにより守護使不入を振りかざせば織田家の賦役に参加出来なくなるし、流行り病や飢饉の時に織田家からの支援が来なくなるのを寺社も理解している。一番大きかったのはやはり賦役だろうか。


 ごく一部の寺はそれでも廃止となることには反発したが、こちらは立ち退き料を貰い織田領から出ていくか、織田の方針に従うかと提示すると従うことにしたらしい。


 それらの寺社には領民が寺に押し寄せて賦役に参加出来ない不満などをぶちまけてしまい、一揆寸前にまでなった寺があるらしい。最終的には近隣の寺社や国人が仲介して治めたらしいが。


 この時代は領民も攻撃的だからなぁ。それに三河の本證寺の例もある。反発しそうな連中は信長さんの結婚式の際に領民に配った菓子や酒を横領して処罰されたという事情もありそうだけど。


 賦役に関しては昨年から寺社から嘆願があり、分国法を守る国人衆や寺社の領民は段階的に賦役への参加を認めていたんだ。反発したような非協力的な寺社は除外されていたが。


 ちなみにこの件では村単位の惣が地味に問題となっている。賦役で領民が得た銭や食べ物は誰のものなのかということだ。今までは村単位の惣として村で一括して年貢を納め、村単位で暮らしていた。


 そこで個人で得た賦役の報酬も当然村のモノとして回収して村で使っているところもあれば、それは個人のモノとしているところもある。


 武家や寺社は、さすがにもう織田家が領民に払った報酬を奪うことはないが、村単位や、もっと言えば一族や家族単位ではケースバイケースだ。


 なにごとでも同じだが、不満が出ないようにと考えながらやっているところは、問題は出ていない。賦役の報酬を村単位で管理している村でも、正月の餅代や酒代として使っているところもある。


 逆に村の実力者や一族の実力者が、私財として貯め込んでいたりするところは問題が出ていた。


 家族でもそうだ。今まで虐げられていた次男や三男以下が、賦役の報酬を家長に取り上げられてしまい、相変わらず奴隷のような扱いを受けているなんて、この時代では当然のことでもある。


 結果として清洲・那古野・蟹江などには、そんなところから出てきた者たちが増えている。


 実はそれもまたトラブルになっているんだ。分国法で移動の自由を保障したことで、出ていきたければ出ていけることになっている。


 とはいっても家族や一族では、それを認めないというところもある。単純に村や一族や家族にとって都合がいい労働力がなくなることなので簡単に認めないんだよね。


 こうして問題点ばかりあげると失敗したようにも思えるが、賦役の報酬を上手く使って一族や家族の絆が深まり、上手くいっているところもたくさんある。


 結局最後は人次第ということになるんだろう。清洲・那古野・蟹江に、津島や熱田などの織田家やウチの目が届くところは概ね上手くいっているしね。


 問題は国人衆や寺社は村の問題には興味がないと関わらないところが多いことか。惣村の問題なんかも、そろそろ評定で議論を始める必要があるだろう。


 さて、一通り報告が終われば宴だ。みんなも楽しみにしているみたいだね。今年はどんな料理が出るんだろう。オレも知らないから楽しみだ。




Side:工業村の職人


「へへへ……」


 外を見ると新年にもかかわらず火を絶やせねえ、高炉から立ち上る煙が見える。今日は同じ職人仲間と新年の宴をしているが、ひとりだけ人一倍にやにやした面をしてやがる奴がいる。


「あいつ壊れちまったな」


「そりゃあ、そうなるだろう」


 職人としての腕前はいいんだが、奥手で女には縁がなかったような奴だ。


 そんな奴が遊女屋で一番人気の遊女を身請けして、突然所帯を持つと言い出したもんだから工業村の中で大騒動になった。


 あまりの美しさに久遠様が身請けするんじゃないかと噂もあったほどだが、なんというかよりにもよってあいつが身請けするなんてな。


「あんな奴の何処が良かったんだ?」


「暇さえあれば学問を学ぶような奴だからな」


 酒も飲まねえし博打もやらねえ男だ。仕事には熱心だが、代わりがいねえというほどでもねえ。


 いい歳して暇さえあれば学校で学問を学んでいるおかしな奴だ。そんな暇があるなら職人としての腕を磨けばいいものを。学問なんか覚えたところで役に立たねぇだろうに。


「そこが良かったらしい。なんでも文を何通も書いて送っていたそうだ」


「へぇ。学校ってとこだと、そんなことも教えてくれるんか?」


「らしいな。あいつ学校におられる天竺の方様に頼んで、文の内容とか教えてもらったらしい」


 そもそもあいつは遊女屋にすらほとんど行かねえ男だ。どうやって口説いたのかと皆で首を傾げていたが、噂好きな奴がその辺の事情を聞いてきたらしく教えてくれた。


 文って、そんな寺の坊主や武士じゃあるまいし。そもそもオレたち職人で文字の読み書きが出来る奴は珍しいくらいだ。


 どうやれば文を送るなんて考え付くんだ?


「わしも学校に行こうかな」


「わしも……」


 文が書ければ美しい女と所帯を持てるのかと思ったいい歳した職人どもが、本気で学校に行きたいと言い出す始末だ。


「近頃だとかわら版もあるからなぁ。読み書き出来ても損はねえか」


「学校には役に立ちそうな書物もあるんだって話だぜ。あいつも最初はそれを読むために学校に行ったらしいからな」


 気持ちはわからなくもねえが。そりゃあ、美人な女と所帯をもったほうが日々楽しいだろうよ。それに近頃ではかわら版がよく回ってくる。


 あれを読んでもらう時は、己で読めれば面白そうだなと、わしでも思うんだからな。


「一昔前なら学問なんか学びたいって言えば、親方に怒鳴られただろうな」


「今は怒鳴られねえからなぁ。織田様も久遠様も学問に熱心だ。特に久遠様は若い奴には学校に行かせるようにと勧めておられるほどだ」


 職人に学問なんか必要ねえ。そんなことしたければ坊主にでもなれと昔は言われたもんだ。


 だがここ工業村は織田様の領地で、特に久遠様には明や南蛮の技を教えてもらったりと世話になっているんだ。そんな久遠様が勧める学問を悪くは言えねえからな。久遠様からの仕事に時折り『しようしょ』って、書き物が付いてくる。あれが読めねえと、纏め役をやるのに苦労するらしい。手数仕事には纏め役が欠かせねえからなぁ。


 それに久遠様も坊主のような学問をやれとまでは言われない。文字の読み書きくらいは覚えたほうがいいと皆に勧めておるくらいだ。あとは算術だな。寸法の事なんぞに役立つらしい。


「文を書けばわしも……」


 ここの職人は裕福だからな。若い妾を欲しがる奴もいる。わしも実は……。




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