第568話・旧臣の使者
Side:六角定頼
「久しいの。出雲守よ」
「はっ、管領代様。斯波武衛様を始め数々のご配慮にて、
ほんの数年前までは家臣だった者が他家の使者として来るとはの。斯波家の正式な使者としてこの男が来るということは、それだけ重用されておる証か。
望月出雲守。惜しい男が出ていったものだ。
望月家は少々扱いにくい面があったが、それでも裏切ったわけではない。むしろ三雲家などとの関わりがようなかったことが故だった。甲賀衆は惣によりまとまっておるが、内情はそれほど上手くいっておらんからな。
それが六角家にとっては好都合とも言えたが、こうして損とも悔いいるともするということか。
出雲守とは型通りの挨拶を交わして人払いをする。なにか面倒な話があるのは考えずともわかる。この男は久遠家に仕えておりながら、尾張に流れ出た素破をまとめておる男だからな。
織田弾正忠の覚えも良い男だ。
「さて、そなたがこの年の瀬にわざわざ来たというのは、浅井家のことかの?」
「さすがは管領代様。御推察の通りでございます」
ふむ、実は用件は推察出来ておった。斎藤家が織田家に臣従するという話は最早近江でも知られておることだからの。
「帰すのか?」
「
浅井下野守の妹が斎藤新九郎の奥方なのだ。その扱いが問題になったのであろう。だが出雲守の話はわしの思慮の
「帰りとうないと言い出すとはの。嫌われたものだな。いや、織田家に先を見たか?」
「その両方かと、某は見ております」
まさか
とはいえ彼の者らはそこまで愚かではあるまい。北近江に縁を残しておくという判断か? 悪い判断ではない。あそこは朝倉との
わしに取り成しを頼むということは、この件で戦などにはしたくないということか。
「ひとつ聞いておく。織田に京の都へ行く気はあるのか?」
「現状ではありませぬ。憎まれ役など御免だというのが、織田の大殿のお考えでございます。それに京の都へ上る利が、我が
取り成しをすることは構わん。断る理由もないことだしな。とはいえ聞いておきたいのは織田の真意だ。
噂の金色砲とやらもある。公方様の周囲や京の都の公家どもには織田を待望する者もおるのだ。その気はないと言いつつ、これだけの好機を本当に捨てるのか気になっておったのだ。
この件で北近江を足場にして、畿内に介入する気ではないかとの疑念が多少はある。
「利か。畿内に頼らぬ国にする気か?」
「某如きが口に致すことではありませぬが、それが尾張の願うことでございます」
ただ、利という言葉は確かに納得もいくものがある。六角家ですら公方様を抱えて畿内に深入りして利があるかと言われると難しいところだからな。とはいえ近江は見捨てることも出来ぬ土地だ。
織田のやることを見ておれば、なんとなく
三好も望んで現状を招いたとは言い難い。あれは細川も悪いのだ。
「正直、羨ましいの。代わってほしいくらいだ」
織田は良き場所におるな。畿内からほど近く、それでいて巻き込まれぬ場所だ。金色酒などのものを売ればいくらでも売れる。畿内に介入すれば戦続きになってもおかしゅうはない。
わしとて捨てられるのなら捨ててしまいたいわ。
「わしが浅井下野守ならば、表向き激怒しても絶縁まではせぬ。斎藤家は健在なのだ。それに織田家と縁が出来ると思うと悪うはない。だがあそこは家臣が面倒だからな」
取り成しはするしかないか。断るほどのことでもあるまい。浅井のことだ。形ばかりでも美濃に攻め入るかもしれぬが、上手くいけば浅井が大人しくなるやもしれんからな。
Side:久遠一馬
武田の使者の皆さんは結局三日ほど泊って帰った。真田さんの風邪が意外に長引いたんだよ。武田はどうするんだろうね。
真田さんはここがお家の一大事だと決意でも固めた表情で帰ったが、ウチは武田ばかりに構っていられない。ほかにもやるべきことがたくさんある。
年末ということで年越しの準備をしているが、それと同時に斎藤家臣従の件も進めている。
度々説明しているが、戦国時代の厄介事が色々あるが、その一つに領地がひとかたまりでないことがある。斎藤家が現時点で領有している領地と家臣の領地は別になり、斎藤家は無条件臣従であるが斎藤家の家臣はまた思惑が違う者も当然いる。
領地の整理をしたいが、困ったことに戦で負けていないので抵抗が大きいだろう。
ただ助かるのは道三さんが斎藤家家臣に対して、織田家へ直接臣従を求めるならば認めると言っていることか。
道三さんもこのまま臣従するのがよくないことは気付いている。織田家が中央集権化、言い換えれば権力の一本化による階層勢力の恣意の排除を目指していることも知っていて、斎藤家家臣を織田家の直臣に鞍替えさせることで自身への疑念や警戒心を持つ織田家家臣に配慮している。
名実ともに支配地は減るが、どうせ自身への忠義などない連中は今後邪魔になるからと放逐するくらいのつもりらしいけど。自身の才覚で斎藤家を織田家の治世でも残せる自信があるんだろう。
というか小領の直臣なんてなってもいいことないと、道三さんは気付いているだろうね。
それと懸案である斎藤家のお嫁さん『近江の方』も真面目に病院を手伝いながら勉強している。こちらは浅井家に連絡する前に六角家に相談するべく、望月さんが斯波義統さんの使者として派遣された。顔見知りのほうがいいだろうという判断があったみたいだ。
正直、オレは『近江の方』も、斎藤家の世子である『喜太郎』君もどうなるのかと気になっていた。この時代だと返さないということがまずないからだ。
「やっぱり一旦は領地をすべて献上するという形がいいか」
「そうですね。現状では大きな意味は持たせられませんが、今後に役立ちます。ついでに多少でも領地を整理しましょう。対価として銭での俸禄と井ノ口へのわら半紙の工場建設で釣り合いを取ります」
ただ、考えてみてほしい。長年敵対していた隣国が負けを悟ったからと言って、戦う前に無条件で臣従なんてすると言い出すとどうなるかを。
正直、よくもまあ斎藤家が割れないなと思うほどだ。道三さんの手腕に加えて、割れそうな連中は土岐頼芸の時に消えたというのもあるんだろうけどさ。
とはいえ負けてないんだから領地は直臣とすることで実質的に減らしても、あからさまには削れない。たとえ道三さんがそれを望んでも。斎藤家が空中分解する可能性すらあるだろう。でもまあ、なにかしらの将来に残る先例は混ぜておきたい。
そこでオレたちが考えたのが、織田家に臣従する際は領地の献上を基本とする。そのくらいの先例は作っても問題ないだろう。
現状では、実質そのまま斎藤家に領地を与えるということになるけど。エルはここで多少の餌で領地整理を形だけでもしたという実績も作りたいみたいだね。
あとは警備兵を配置して、信長さんの直轄領のように土豪や地侍の整理を落ち着いたらやるという約束も盛り込めればいいんだが。
それとわら半紙は好評だ。すぐ色が変わるけど、この時代だと問題ないしね。
現状では工業村の外の職人町で作っているが、生産量を増やしたいので稲葉山城の城下である井ノ口に工場を作ることはいいアイデアだ。もともと美濃は紙の生産が有名だからいずれ移そうとは思っていたんだけどね。
「それと大垣の金生山の大理石と石灰石は採掘量が足りません。本格的に開発するべきです」
斎藤家の件は評定にて議論して、道三さんにも内々に相談する必要がある。話が一段落した時、美濃繋がりでエルが指摘したのは大垣の金生山の採掘状況だった。
あそこは試掘と言いつつ、買ってくれるならとずっと採掘している。露天掘りが出来るから、ろくな技量がなくても出来ちゃうんだ。
ただ地味にコンクリートの需要が増している。工業村で作った水路から始まったローマンコンクリートは蟹江でもあちこちに使ったおかげで、清洲の水路でも使えないかという意見が出ている。
とはいえローマンコンクリートでなくてもいい部分はコンクリートでもいいので、生産量を増やしたいという話は以前からしていたんだ。
「大垣は周囲に敵がいないから、後回しにしちゃったからなぁ」
六角家と斎藤家が大人しいこともあり、三河と比較して後回しにしたという事情もある。城は改築したんだけどね。開発はほとんどしていない。
そっちもそろそろ手を付けないと駄目だよなぁ。
◆◆
六角定頼。管領代。南近江の大名。
浅井下野守。浅井久政。北近江の浅井家当主。現在六角家の従属大名。
望月出雲守。望月さん。久遠家家臣。千代女の父親。
斎藤新九郎。斎藤義龍。
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