第569話・武田と年の瀬

side:武田晴信


 今川がわしら武田と手を切り、こちらを攻める気なのは明らかとなりつつある。義元め。信濃の諏訪家との戦などを挙げてわしが信じられぬと堂々とこちらの使者に言いおったからな。もともと信じてなどおらぬくせに。


 互いに利と思惑が一致してこそ同盟があるのだ。信じておるなら、誰が人質など取るか。


「織田は動かぬか」


 それはまあいい。わしが今川に付け入る隙を与えたということなのだからな。気になるのは織田だ。酒や明の焼き物を使者に土産だと持たせて寄越したので上手くいったのかと思えば、今川相手の協力はせぬという。


 いったいなにを考えておる? 武田と今川の争いの漁夫の利を狙う気か? それもいい。だが今一つ釈然とせぬ。


 使者として送った者の反応はさまざまだ。尾張が甲斐や信濃よりも栄えておるということは確かなようだが、まことに仏と領民に崇められておるとは。


 しかも攻め取った他国の領地でも飯を食わせるなど、それもまことほどこしておるとは思わなんだ。なにを考えておるのか理解出来ぬ。


 見たこともない馳走でもてなしたうえに、新しき湊とやらも見せたという。黒く巨大な南蛮船があったと興奮したように報告した者までおる。


 得体が知れぬな。敵に回すべきではない。


「御屋形様。僭越ながら尾張に家臣を置くべきかと思いまする」


 そんな中、面白きことを進言してきたのは、真田弾正だった。新参なれど使える男と見込んで尾張に送る使者に加えた男だ。


「人質でも出せと言うのか?」


「さにあらず。京の都のように尾張に詰る家臣を置けば、今川に先んじて誼を結べましょう。尾張は今や西国からも荷が集まる国。その意味は計り知れぬかと存じます」


 なるほど。諸国の情勢を知るには都合が良いか。確かにそれは理に適っておる。また今川と織田は互いに争うのは止めつつあるが、同盟を結べるほどではないはずだ。ならば尾張に人を置けば誼も結べるということか。面白き策だ。


「織田が本気になれば信濃も危ういか?」


「恐れながら、その通りかと思いまする。信濃と駿河から同時に攻められれば武田家とてわずらわしくなりましょう。織田では足利学校のような学び舎を営んでおります。名目はそちらで学ばせていただくというのでいかがでしょうか」


 真田弾正がここまで気にするということは、信濃が危ういということであろう。噂の南蛮船を使えぬ内陸故にここまで来ぬと思うておったが。気配りする必要はあるか。


 実の所では人質ともなる。織田にも人質を出せと言えば断るであろうが、こちらで送る者の禄を用意して、ひとえに学問を望む者を送るからと申し入れれば、受け入れるかもしれん。


「今川と織田が和睦をするという話は聞いたか?」


「それは聞いておりませぬ。とはいえ戦に乗り気でないのは事実かと思われます」


 北条は動かぬのであろうな。関東で手一杯のはず。それに今では武田家よりも織田との誼を深めることのほうに熱心だ。


 今川は東西に心持こころもちの押さえを置いて甲斐攻めに専念出来るはずだ。織田が動かぬ以上はこちらから織田との誼を働き掛けねばならぬか。


 甲斐と駿河の国境は早くも国人衆が揺れておる。あからさまに動く者はおらぬが、戦支度をしつつ、いずれが有利かと値踏みをしておろう。


 ここはなんとしても耐えねばならん。村上と一時和睦をしても今川を叩きつぶしてやるわ。




Side:久遠一馬


「かじゅま~、おわったよ!」


 この日、ウチの那古野の屋敷では大掃除をしている。学校や病院の大掃除の前に屋敷のほうを先に片付けているんだ。


「ありがとうございます。姫様。それじゃあ、エルのお手伝いをお願いいたします」


「はい!」


 この日も主家のお姫様であるお市ちゃんが張り切っている。身分的に困るんだけどなぁ。本人が朝一で張り切ってお手伝いに来たんだよ。


 相変わらずちょくちょく来るのでウチの行事とか予定は知っているからね。


 乳母さんと一緒に簡単なお手伝いを頼んでいる。綺麗になったか確認するとか、その程度だけど。掃除ということよりもみんなと同じことがしたいらしい。


「しかし一年でも溜まるねぇ」


 オレは比較的厄介な書庫の掃除をしている。みんなが日頃から整理整頓しているが、書庫にはまとめた書類などが山ほどある。宇宙要塞なら電子化してしまえばすっきりするんだが、そうもいかないしね。


 早めに文献の管理をする図書館でも必要かね? 人の記憶など曖昧でいい加減だ。きちんとした記録は未来への大きな財産になる。この時代の人はあんまり理解していないけど。


「書物は季節を選び、日を期して虫干しするネ」


 一緒に書庫の掃除と整理をしているのはリンメイだ。若い侍女さんたちに本の管理と虫干しの仕方を教えている。本なんて触ったこともない人がほとんどだからさ。


 若い侍女さんといえば、最近は家中の若い男女が結婚することが増えている。春にやったお花見のコンパが役に立ったみたいだね。


 何人かは妊娠したみたいで、母体に負担のかからない仕事をしてもらっているみたい。


 この時代の人は手が早いね。工業村なんかでも遊女の身請けがよくあるらしい。あそこの職人は高給取りだからね。


 それと工業村の遊女屋は地味に尾張を始めとする織田領内の遊女たちの注目を集めている。あそこの遊女屋は事実上の運営管理者がケティだからなぁ。衛生指導は当然として避妊の指導とか、望まず生まれた赤ん坊の引き取りや養子縁組とか、いろいろ試している。


 それにケティが無料で領内の遊女屋に往診を行っているおかげで、いつの間にか領内の遊女屋を束ねつつある。


 時代的に真っ当な商人ですら武装しているので裏社会と言えば大げさだが、いろいろと揉め事も多いので一癖も二癖もある荒くれ者が多いはずなのだが、ケティには逆らえない状況になっているらしく待遇改善など始めている。


 医師としてはケティの発言権は尾張でも一番だしね。ウチの家中の人たちの助力や信秀さんや義統さんの信頼も厚い。なにより遊女たちから支持されているんだ。


 ちなみに遊女屋にもウチの忍び衆が一部には入り込んでいて、諜報活動をしている。前にケティが秘密が漏れるのは女からと言っていたが、いろいろと情報を得る体制を構築しているみたいだ。


「ワン! ワン!」


「クーン」


「ああ、駄目だよ。書物は貴重なんだから」


 しばし考え事をしながら虫干しをする書物を風通しの良いところに並べていたら、ロボとブランカが突撃してきた。


 さすがに二匹は大掃除は手伝えないしなぁ。遊んでほしいんだろうが、みんな忙しいからなぁ。


「これ、邪魔をしてはならぬぞ」


 お市ちゃんでも呼ぼうかと思ったら、意外な人物が二匹を散歩に連れていってくれることになった。


「竹千代殿すみませんね」


「いえ、某にお任せください」


 松平竹千代君だ。どこから聞きつけてきたのか、手伝いたいと訪ねてきたので手伝ってもらっている。


 最近は活発な子供らしい子になったと評判だ。ただ竹千代君。オレにすれば申し訳がないほど尊敬した目で見てくるのでちょっと困っている。


「お方様、これは運んでもよろしいので?」


「ああ、いいよ。でも無理するんじゃないよ」


「へい!」


 ああ、あっちでは藤吉郎君がジュリアの手伝いをしている。彼も自発的に手伝いに来たんだよな。ふたりとも史実では三英傑なんだけどね。


 まあ竹千代君も藤吉郎君も、史実より幸せそうでなによりだ。


 


◆◆松平竹千代。史実の徳川家康。

藤吉郎。史実の豊臣秀吉。


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