第567話・真田の思惑と京にて生きる者

Side:真田幸綱


 心頭しんとうが朦朧とする。わしとしたことが、風邪如きで寝込むとはな。しかし、何事も無駄ではないということか。まさか久遠家当主と薬師の方に、様な形で会うとはな。


 久遠家当主は一見すると元服前の童のような容姿をしておりながら、大湊や堺の商人が最も恐れる男だという。武芸が不得手だとの噂もあったが、当人のべんまわりが異議を見出せずにおったらしく、実の所、美濃にて狼藉者を一刀の元に斬ったという話もある。


 薬師の方は不治の病をも治してしまうとまで言われておって、かの者が自ら戦場に味方の兵のみならず、衆生しゅじょう救済きゅうさいとまで称される施療せりょうのために出向くこともあり、尾張の者は薬師の方のために戦に行く者までおるというではないか。


 しても久遠家には名の知れた奥方がおる。織田弾正忠が自ら策を請うほどであり、三河の一向衆を相手にした戦の差配をしておったと言われる大智の方。噂ゆえ何処まで事実かわからぬ。他説たせつには夜の方、けの方るがととのえたとも伝え聞くが、あれは事前に練りに練った一向衆対策があったはずだ。


 そして鹿島の塚原卜伝に勝ったと評判であり女剣聖として名高い今巴の方。関東では鎌倉沖にて里見相手に舟から舟へと飛び移り、かの源義経のようだったと評判だ。北条に河越城の戦に続く大勝をもたらした影響は大きい。


 仮に武田家と織田の双方から援軍の要請があれば、北条は織田を取るだろうと言わしめるほどの貸しだ。武田家は北条と同盟を結んでおるが、今川と北条が駿河の河東で争った折に今川寄りの立場を示したことで関係が微妙だ。


 今時こんじではわざわざ敵を増やす気がないのか、噯気おくびにも出しておらぬが。それに北条には織田が直に船を出して交易をしておるとも聞く。東海の雄である織田と関東の雄である北条。この繋がりは関東から畿内まで大きな貫目かんめがある。


 武田家と今川が戦をした場合、織田と北条がいかに動くか。織田が今川との戦に乗り気ではないという事実を一刻も早く御屋形様に知らせねばならぬのに。


 織田と北条が東西から今川を攻めて、時同ときおなじくして織田が美濃から信濃を攻めれば武田家と今川は終わる。


 美濃はそこまでまとまっておらぬようだが、言い換えれば次の戦が信濃ならば美濃の国人衆はこぞって参陣して武功を求めるだろう。


 わしらは信濃から東美濃を通ってここまで来たが、美濃に織田にこうずる勢力はなかろう。東美濃は織田との親疎しんそを測りかねておるようだが、先日には武田家が信濃で負けたこともある。


 ここまでくれば遅かれ早かれ織田に臣従するのが時勢の流れ。


「殿、少しはご自愛くだされ」


「たわけ。今動かねば武田家も真田家もすべてを失うかもしれんのだぞ」


 朦朧とする心頭で考えておるせいか、少し時が過ぎておったらしい。あんずる様な供の者の声に我に返る。


 織田が粥と薬を用意してくれたらしい。


「されど……」


 真っ白い飯の粥だった。しかも塩以外の味がほんのりと付いておるわ。しょくしやすいようにと野の菜を柔らかく煮込んだものなどもある。


 案ずる様子の供の者もわかっていよう。織田の力は底知れぬ。それは清洲に来ればわかることだ。清洲城は確かに難攻不落とは言い難い。だが籠城を方策ほうさくとも考えぬのならば、そこまでの城は要らんとも言えよう。


 織田の力の源泉は商いだ。津島、熱田、そして蟹江と言ったか。そこを失うことは家の存亡にも値する。極論を言えば、籠城するならば清洲よりもそちらの海沿いのほうがよかろう。


 もっとも西は美濃の大垣が盤石なようだし、東は三河の安祥が堅持けんじしておる。美濃の斎藤が織田に臣従するということは稲葉山城が北の守りとなる。肝心の南は久遠、噂の南蛮船があるのだ。


 いったいいずこから清洲を攻めるのだということになる。難攻不落の城など要らんのであろうな。


「とはいえ、これは天が与えた好機かもしれん」


「殿?」


 飯を食って薬を飲んだせいか、少し楽になった気がする。そのおかげか、ふと思った。武田家が滅んだ時のために手を打つべきではないかとな。武田家と共に滅んでやるほどの義理は真田家にはない。


 信濃の望月では尾張の望月をあやしみつつも羨んでおったが、裏を返せば、武田が駄目でも織田に降れば生きてゆけるという逃げ道もあると連中は理解しておろう。


 いっそ御屋形様に尾張に人を置くように進言するべきかもしれん。この先、今川との戦のゆくえ次第では織田に頼ることもあろう。今川は過去の因縁もあり、尾張に家臣を置くなど出来まい。だが武田家は尾張と遺恨などないのだ。


 とはいえ、早く病を治さねばならぬな。少し眠るとするか。




side:都在住の斯波家家臣


 わしは京の都は上京にある斯波武衛家の御屋敷、武衛陣を任されておる者だ。武衛陣といえば都では知らぬものなどおるまい。近隣にある屋敷が度重なる戦乱で焼失する中、辛うじて残っておるここをわしらは任されておる。


「しかし、立派になったな」


「はっ、まことにようございました」


 かつては栄華を誇った武衛陣であるが、度重なる戦乱と斯波の御家の衰退で維持するかりにも事欠く有様であった。それでも近隣では公方様の御所である室町第ですら焼けて荒れておることと比べるとまだいいのだが。


 そんな武衛陣が驚くほど立派に修繕された。


 転機は織田の大和守家が途絶えたことか。一昨年にはその後釜に収まった弾正忠家の平手殿が都に参られた際に、武衛陣の荒れた様子に心を痛めてくれたのだ。


 尾張におられる武衛様からも平手殿を助けてやってくれと文が届いたこともあり、根回しを少ししてやったのも事実だが。とはいえわしとしては特に意識したわけではなかったのだが。


 驚いたことに、それからほどなくして弾正忠家から屋敷の修繕費用として、少なくない財貨が届いたのだ。しかもそればかりではない。


 わしの禄も増えて、都では公卿ですら欲してやまぬと言われる金色酒から鮭や昆布に砂糖などが、わしのところにも届くようになった。


 確かにわしは斯波家家臣であるが、少し前までは屋敷の宰領さいりょうをしておっただけの小者と変わらぬ暮らしだったのにもかかわらずだ。


 大和守家は生けるとも死なぬ程度の禄しかわしに寄越さなかったが、いかにも弾正忠家はその次第しだいに驚いたとのことだと人伝に聞いた。


 すでに斯波家はきに等しいと都では軽んじられておったが、おかげで屋敷の再建を始めたれば、周りの風向かざむきが一気に変わった。


 正直、都におっては斯波家と弾正忠家の関わりの虚実もよくわからず、いかにしていいかわからなかったが、弾正忠殿は武衛様を粗略には扱っておらぬ様子。


 わしに送られてくる金色酒なども、武衛陣を預かる斯波家家臣ならばそのくらい用意せぬと恥をかくだろうと送ってくれておるようだ。


 確かに尾張の斯波家家臣が尾張の金色酒も知らぬとあっては恥をかく。実の所、噂が出始めた頃にはそれで恥をかいた。あの時はまだ大和守家が健在であったがな。


「この紅茶というものは美味しゅうございますな」


「ああ、これは酒が飲めぬ者、好まぬ者をもてなすのにちょうどよい」


 武衛陣を如何にしてもと守っておったことが、やっと報われた。数少ない家臣とゆるりと再建された屋敷の庭を見て新しき茶を飲むのが、近頃の日課と言えよう。


 今は戦もなく穏やかな日々だ。細川の愚か者のせいで都が焼かれた時は、殺してやろうかと思うたほどだが、その細川も今は近江だ。


 朝廷も公方様を軽んじるわけではないが、いつまでも戦ばかりしておる足利家に内心では嫌気がさしておる様子。


「近頃は茶会や句会に呼ばれることも増えたからな。その時の話を文にして尾張に送ると、へんじられてくる品が増える。それにしても、殿上人の茶会やら句会に呼ばれるのは疲れるわ」


「公卿公家の方々も大変なようでございますからな。趣味と称して魚や野草を自ら採っておる者も多いとか。殿は一気に都でも裕福な立場になりましたので……」


「わしはなにもしておらんのだがな」


 武功を挙げたわけでもないのに、厚遇されるといかにしていいかわからぬ。しかもわしに妙な期待をしておるようで、あちこちから呼ばれる機会が増えた。あくまでも武衛様の名代としてだが。


 弾正忠殿からは都での噂などを教えてほしいと文が来たので、武衛様に許可を頂き、送っておるだけなのだが、それで送られてくる品物が増えるのだから、また困る。


 まあ、屋敷の宰領をするだけの暮らしよりはいいので文句などないのだが。





◆◆

武衛陣。斯波武衛家の京の屋敷の呼び名。

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