第566話・認識の違い

Side:久遠一馬


「風邪です。今日は安静にしてください」


 武田の使者を歓迎する宴があった翌日、宴に参加しなかったオレは予期せぬ形で真田さんと対面していた。実は朝起きた真田さんが体調不良だったらしく、急遽ケティと共に清洲城に診察に来たんだ。


 奇しくも先日に斎藤義龍さんの息子の喜太郎君が風邪を引いたことで、清洲城では来客にも朝に体調の確認を受けてもらうことを始めた結果判明したみたい。


「ご迷惑をおかけして申し訳ありませぬ。されど、この程度の風邪など何程でもありませぬ」


 どうも数日前から調子は悪かったようだね。とはいえ役目があるからと無理を押して旅をしていたらしい。


 しかも今日これからすぐに甲斐に帰ろうとしていたみたいで、このまま出発するつもりのようだ。


「今日は休まれてはいかがですか? こちらとしても、当家にて体調を悪くした方が帰路の途中でなにかあっては困ります」


 ケティに視線を向けると駄目だと首を振られた。外は冬の寒い天気なんだ。肺炎にでもなって悪化すれば、大人だってどうなるかわからない。


 仕方ないのでオレが説得することにした。


 実のところ、彼らの目的である対今川の協力は得られていない。昨夜の宴でも突っ込んだ話はしてないようで、余計な交渉をせずに一旦戻って出直すつもりらしい。


 本音ではなにかしらの協力がほしいのだろうが、現時点で武田と織田はそこまで親しいわけでも信頼関係があるわけでもない。


 今回は誼を結ぶだけにして、今後のことは信玄と相談するつもりなんじゃないかな。


「そうですな。今日は休まれたらよろしかろう」


「今川が動いておるのでございます。そのような悠長なことは言っておられませぬ」


 オレが止めるとほかの使者がそれに同調したが、真田さんはそれでは駄目だと帰る気でいる。まあ、協力を取り付けられなかった以上は、早く帰って対策をしないと駄目だよなぁ。


 どうも織田に対する認識や、今川との戦に対する認識にだいぶ開きがあるらしい。真田さん以外はそこまで深刻に考えてないらしいが、真田さんは深刻に考えているようだ。


「ならば文で遅れると知らせればよかろう。せっかく休んでいかれよと言っていただいたのだ」


 結局年配の使者のひとりが妥協案を出して、使者の一行の方針はまとまった。


「真田殿は無理ですが、ほかの御使者の方々は少し清洲を案内いたしましょうか? お時間があるなら津島や熱田もお勧めですよ」


 ごほんごほんと咳き込んで、渋々しぶしぶ寝込む真田さんに使者の皆さんもホッとした様子だ。彼らとすれば誼を深めただけで満足らしいね。せっかくなんで尾張観光でも勧めてみる。


「それはようございますな。願わくは海が見たいと思うておりました」


「海ですか。ならば熱田がいいですね」


 真田さんは不機嫌とまではいかずとも、あまり納得した様子ではないが、他の使者の皆さんは喜んでくれた。単純な興味本位なのか、それとも織田の力を計りたいのかわからないが、せっかく一日滞在が延びたんだ。友好を深めておきたい。




 一応信秀さんにも許可を取ったが特に問題なく許可が下りて、案内役はオレがすることになった。


 今川と武田の争いがどうなるかわからない以上は、双方に勝機があり、どちらが勝ち上がってきても、問題なく迎え討つことを考えるべきだしね。武田がもし勝てば、遠江辺りで武田と戦うことになる可能性が高い。


 今のうちから友好を深めつつ、織田の力を見せつけておいても損はないだろう。


「エルでございます。どうぞお見知りおきを」


「そなたが大智の方か。その智謀は甲斐にも轟いておる。御屋形様も手放しで褒めておったぞ」


「ありがとうございます」


 使者の皆さんと熱田に行く途中にエルと合流したが、使者の皆さんは日本人離れした容姿に驚きながらもエルの噂について口にしていた。


 いろいろと噂が噂を呼んでいるんだよね。伊勢守家から離脱した謀叛人に対して、金色砲の運搬で圧力をかけたこととか、本證寺との戦で事前準備を整えたのがエルの策だと結構広まっている。


 でも、さすがは武田家か。有能な者に対して一定の敬意を払う姿は見習いたいね。


「然れば、尾張は道がいいですな」


 そのまま熱田に移動するが、道中の道は少なくとも水溜りになりそうな凸凹はほとんどない。那古野から熱田は大規模な道の整備こそまだ出来てないが、それでも水溜りを埋めるとか最低限の整備はすでにしている。


 使者の皆さんもそんな道に驚いている。なんとなく甲斐の道がどんなだかわかる感じだ。


「この辺りは旅人も多く、清洲と熱田はさまざまな品物が行き来する場所でもありますので道がよくないと大変なので」


 道中は旅人や馬借が行き来していて、大八車も僅かだが走っている。このあたりは少し前から川に舟橋をかけているので、天候によっては大八車なんかは使えるんだ。


 工業村関連の鉄鉱石やコークスなんかは基本として川舟になるが、少量の荷ならば馬借も活躍しているし、大八車も最近では一部の馬借が使い始めた。


 工業村はその中もさることながら外にも職人町が出来ていて、生産量は日々上がっている。鉄は工業村で生産するが、木材や革などは現時点では外から買い集めているからね。運ぶ荷物は多い。




「おおっ、これが海でござるか」


 熱田に到着して、遠くに青い海が見えると使者の皆さんが喜びの声を挙げた。甲斐や信濃では生涯見ることがないかもと、思っていたんだろうな。


「なんと広いのだ。それに青い……」


 熱田も年末を間近にして大いに賑わっていて、海には何艘もの船が見える。以前は工業村の原材料は熱田で積み替えていたが、現在は港湾施設が充実した蟹江に大半が移っている。


 すべて移ったわけではないが、港湾能力の関係から熱田だと限界があるんだよね。さっきも挙げたように、工業村への品物や清洲や那古野への荷はほかにもたくさんある。


 熱田はそっちへの荷物が増えたことで、必然的に工業村の原材料は蟹江が中心となった。


「本当に塩辛いですな」


「この塩が甲斐にはないのだ」


 使者の皆さんを連れて海岸までやってくると、海水を舐めて確かめている。元の世界だと写真もあったしテレビもあった。さすがに海を見たことがない人はいないだろうが、この世界では噂では聞いても見たことがない人は多いだろう。


 尾張には海があって羨ましい。言葉にこそしないが、そんな声が聞こえてきそうだった。


「どうぞ。当家で作っている紅茶ですわ」


 そのまま使者の皆さんを熱田神社に連れていくと、熱田の屋敷で休憩することにした。


 初めて見る椅子とテーブルに戸惑う使者の皆さんに紅茶でおもてなしだ。熱田を任せているシンディが紅茶を淹れる姿を皆さんじっと見ている。


 やっぱり外国人風の容姿が珍しいんだろうな。紅茶やティーポットなども珍しいんだろうが。


「尾張は豊かなのですな」


 寒い冬は温かい紅茶が美味しい。初めての紅茶を口にしてしばし無言になった使者の皆さんだが、ひとりの使者がぽつりと本音を漏らした。


「豊かになるように努力しているのですよ。武士や僧侶から領民に至るまで、皆が協力していますからね」


 三河でも言われていることだが、尾張は穀倉地帯なので豊かだと単純に考える人が結構多い。それも間違ってはいないが、みんなが頑張って豊かになろうと努力していることも知ってほしい。


 無論、甲斐も努力していることは理解している。努力の方向性や内容については、戦国乱世あるある過ぎて、評価できないが。そういう意味では恵まれているのも確かだ。特に尾張はウチの力が大きいので、甲斐が平等な立場で競えるはずもない。


 でもね。羨んでいるだけではなにも解決しないよ。


 まあ武田信玄に判断するだけの情報は彼らに与えたいとは思う。これを機会に信玄が侵略から方針転換してくれればいいんだけど。


 難しいだろうな。


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