第565話・衝撃を受ける使者たち

Side:真田幸綱


 これほど違うものなのか。甲斐も信濃も戦と不作で苦しんでおるというのに。清洲の町は、年の瀬を迎えることで楽しげな民があちらこちらで見られる。


「立派な城だな。改築しておるのか?」


 まずは城に行き挨拶するべきだと真っ直ぐに城へと来たが、石を積み重ねた土台に白い漆喰で塗り固めた壁で囲われておる。


 なによりその美しさに、わしも同行した者たちも思わず立ち止まり見入ってしまう。


 甲斐や信濃では我が身を守ることで精一杯と言っても過言ではあるまい。見た目の贅を尽くしたような城を建てる余裕など武田家にもあるまい。


 中に案内されるが、城の造りはさほど複雑ではない。籠城はあまり考えておらぬらしいな。見た目の美しさは素晴らしいが、いささか不用心にも感じる。


「これは……」


 さっそく弾正忠殿が会ってくださるというので、身支度を整えるべく部屋を借りた。そこは高価な畳の入った部屋だった。驚くべきはそこに飾られておる一枚の絵であろう。


 襖絵や書画などはわしも見たことがある。だがそれは見たこともないほど鮮やかな色で描かれておって、まるでその風景をそのまま見ておるような絵であった。


 わかっておる。訪れた者に力を見せつけるために、このような絵をここに飾っておるのだということくらいな。


 とはいえ……。


「遠路はるばるよう来られた」


 この男が織田信秀か。かつては虎と異名を取り、今は仏とまで言われる男。信濃の村上攻めにおいては、この男の噂が武田家の大敗の一因ともなった。


 戦で攻め獲った地において刈田狼藉や乱取りは当然のこと。兵たちはそのために戦に行くのだ。それをさせぬということは戦自体が成り立たぬと思うたが、この男はそれを成してしまった。


 三十代であろうか。それほど癇性かんしょうたぐいにも見えずにどっしりと構えておる。今が一番いい時なのやもしれぬな。我らと即会うと決めたことといい、決断と判断の才智さいちは優れておるとみるべきか。


「ほう、今川がな」


 型通りの挨拶をした後に、わしは今川の動きを伝えて織田との連携が取れぬかと探りをいれてみたのだが、あまり反応が良くないな。


 噂では織田は甲賀者を多数抱えており各地を調べておるとも聞く。まして相手は織田が長年対立しておる今川の動きだ。知らぬはずはないと思うのだが。


 まさか今川と和睦をしたか? あり得ぬと思うのだが。現状で今川に時など与えて織田になんの利がある。


「わざわざ知らせに参られたのだ。感謝しよう。とはいえ当家には今川と戦をする余裕などないのだ。ここ数年で領地が倍以上に広がっておってな。昨年は三河で戦もした」


 織田も広がった領地を治めるのに苦労しておるというのか?


「弾正忠様におかれましては、本領以外の地でも民が飢えぬようにお心配りをされておるとか。その噂は遥か甲斐においても知らぬ者などおりますまい。また関東では安房の里見家の水軍を壊滅させたことも知られております」


「領地を安寧あんねいの地とさせるためにしておることだ。名門甲斐源氏である武田家ほどになれば、そこまでせずともよいのであろうが、わしではそうでもしなくては領地が治まらん。だが飯を食わせるのも大変でな。これ以上下手に戦をして領地を広げると今ある領地も破綻する」


 さて、そこまで困っておるように見えぬが。隠しておるだけか? 然れど、そうとすれば、よく知りもしない我らにそれを明かすのも妙な話だ。単に武田家が信用されておらぬことも十分にあり得る。


「せっかく来たのだ。歓迎しよう。守護様も会われると仰せだ。まずはゆっくりと休まれるがよかろう」


 うまくかわされた気がするな。とはいえ現状ではあまり深く追及するわけにもいかぬ。尾張全土に美濃・三河の西と伊勢の海を治める男だ。機嫌を損ねると美濃から信濃に攻め込んできてもおかしくはない。




 日は沈み城の中は蝋燭と行灯の明かりが灯された。


 守護の斯波武衛様と目通りも叶い、宴を開いていただけることになった。


「おおっ……」


 畳が贅沢に敷かれた広間にて、弾正忠殿と武衛様に数人の重臣が同席した宴で出された料理は想像以上のものだ。同行した者たちが思わず驚きの声を上げたのも仕方あるまい。


 甲斐ではまず手に入らぬ新鮮な海の魚がある。これは鯛か? わしも干物以外の鯛は初めて見る。やはり海が近いと違うな。


 信濃では干物ですら高価で滅多に食べられぬというのに。


 驚かされたのはそれだけではない。なんだこの透き通る盃は。まるで氷で作ったような盃が置かれておる。


 酒はやはり金色酒か。信濃や甲斐にも僅かながら入ってきておる。こうして透き通る盃に入れると、本当に金色に見えるのだな。


「ささ、遠慮なされず召し上がられよ」


 平手殿という重臣が、我らに遠慮するなと言うが、遠慮しておるのではない。戸惑っておるのだ。もっともそれを理解しての言葉であろうがな。


「甲斐や信濃は海がないと聞いたので海の魚に致しました。刺身はそちらのタレに付けて召し上がられよ」


 ひと際目立つのは大きな皿に鯛の刺身だ。一匹が丸々と皿に乗っておる。頭と尾の部分はそのままながら、身の部分だけが綺麗に捌かれておって、捌かれた鯛の身が魚体に戻されるように見事に乗っておる。


 これほど見た目からして見事な料理など初めてだ。


「美味い」


 言われるがまま刺身に黒いタレをつけて食べると、信じられぬ味に思わず箸が止まる。


 鯉なら食うたこともあるが、海の魚とは生でこれほど美味いものなのであろうか? 泥臭さどころか、魚の臭みもまるでない。


 ほどよい歯ごたえに旨味が口に広がる。


 ああ、金色酒も甲斐で飲んだものより美味い。以前に甲斐で御屋形様に飲ませていただいたが、あれより澄んでおって味が濃いのであろうか。


「これは……」


「それは小魚の大野煮でござる。さきほど刺身に付けた醤油というものと砂糖などで煮たものになりまする」


 酒が美味い。それだけでなにも言うことはない。ただふと小鉢に入っておる見知らぬ料理が気になり、箸をつけてみる。


 甘辛く濃厚な味ながら小魚の味がしっかりとあって美味い。これも酒に合うな。


 砂糖と聞いて愕然がくぜんとしたが、そういえば久遠家は砂糖を売って財を成しておるという話もあったな。甲斐や信濃では砂糖など買う余裕もなく入ってこぬので忘れておったわ。


 驚かされてばかりで少し面白くないが、致し方あるまい。汁物はさすがに同じであろう。


「……これも違いまするな」


 甲斐や信濃とてそこまで未開の地ではない。越後などからは、いろいろな産物が入ってくるのだ。北は蝦夷から南は明の品も手に入らずとも、流れて来ぬわけではない。


 透き通るような汁物ならば塩で味付けしたものだろうと考え、甲斐や信濃と同じであろうと思うたが、これもまた違う。


 まさしくには恐らく塩で味付けをしたことに変わりはあるまい。にも拘らず、なにゆえこれほど味が違うのだ?


 さっぱりとしておって、旨味はあれど臭みなどの不快な味がまるでない。


 これは尾張が特別なのか。それともこれより西にはこのような料理を食べておるような者たちが普遍ふへん数多あまたおるのか?


 いずれにしても、これでは甲斐や信濃でいくら謀をして戦をしても相手にならぬのではないのか?


 清洲の町もそうだ。活気ある民があふれておる。世に言うところ「裕福な土地の兵は少し不利になれば逃げだすこともあり弱兵」とのげんがあるが、尾張は弱兵とは言われぬ。


 そもそも弾正忠殿は大きな負けをしておらぬとも聞くので当然かもしれぬが。


 然れば、今川は尾張を恐れて甲斐を攻める気になったということか? そう考えると辻褄が合う。


 つまり武田家は今川よりも好条件で織田を説得せねばならぬのか? 近頃では同盟破りの武田と評判が悪い御屋形様には少し分が悪いな。


 ああ、弾正忠殿がこちらを見極めるべく見おる。わしはいかがすればよいのだ。


 武田家はとんでもない相手と対峙せねばならなくなった。



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