第555話・結論とそのゆくえ

Side:久遠一馬


 やっぱりか。近江の方はシンディの言葉に黙ってしまった。


 この時代だと割と当たり前のことだが、被害とか影響とかあまり考えていなかったんだろうね。自身と息子のことで精一杯だったのはわかるけど。


 人権もなにもない時代だ。個人の思惑やちょっとした諍いでも戦になる。まあ、帰りたくない気持ちは理解するんだけどね。


「一馬、いかが思う?」


 その後も近江の方は特になにか言うわけでも求めるわけでもなく、ほかの皆さんと同じように交流をしていた。


 お茶会が終わると信秀さんに呼ばれて近江の方について問われたが、正直返事に困る。


「悪いお方ではないのでは?」


 先にエルとも話しているが、この件は根回しをすればそれなりに収まるはずだ。


 浅井家としても織田と繋がりができるのは悪いことではない。そもそも浅井家は未だ守護でも守護代でもない。北近江の実力者ではあるが、国人衆のまとめ役を脱していない。支配の大義名分すら手に出来ない程度でしかないからな。


 守護や守護代の価値はすでに暴落しているが、それでもあるのとないのとでは大違いだ。


 信秀さんは守護代ではないが、織田は守護代家であり家の規模も段違いだ。浅井から見下される立場ではない。


 結局浅井は、六角、朝倉、織田の緩衝地帯が落としどころなんだと思う。


 問題は近江の方が息子可愛さに周りを見失う可能性もあることか。義龍さんがそれを上手く解決できなかったこともマイナスだろう。


「受け入れるほうが得か?」


「そうですね。斎藤家を取り込むおつもりでしたら、受け入れるべきでしょう」


 ただまあ道三さんと義龍さんが頼ってきた以上は、無下にはできないね。問題は浅井だが、これで織田が影響を多少なりとも持てれば儲けものか。とはいえ浅井久政は史実をみても扱いにくそうな人物だ。


 まあ史実はそもそも浅井と朝倉の関係や、浅井と織田の関係も諸説あってはっきりしないので一概には言えないが。




「さて、そなたの処遇を決めねばなるまいな」


 その日の夜、信秀さん、土田御前、信長さん、帰蝶さん、オレ、エルの六人に、義龍さんと近江の方で夕食を共にしていたが、信秀さんが頃合いを見計らい本題に入った。


「我が子、喜太郎と共に、織田家に忠誠を誓います」


 どうも近江の方は結論を急ぐタイプみたいだね。忠誠を誓うなんて真っ先に言うなんて。


「無条件で臣従すると言うた山城守殿の頼みだ。帰れとは言わぬ。だが、浅井家に帰ることができなくなるということは理解しておるか?」


「もちろんでございます」


「織田とて、このまま安泰とは限らぬぞ」


「……本当にそうでしょうか? 寺社が戦に勝っても負けても滅ぶことがないように、織田もまた一時の戦の勝ち負けでは揺るがぬのではありませぬか?」


 そのまま信秀さんは近江の方を試すように問いかけるが、土田御前や帰蝶さんが驚きの表情を見せて、義龍さんの顔色が真っ青になった。


 近江の方が信秀さんの言葉に異議を唱えるような反論をしたからだろう。オレも信秀さんに異議を唱える女性は、エルたち以外では初めて見たのかもしれない。


「ほう、何故そう思う?」


「織田の治世を誰もが望んでいます。織田が危機に陥れば、一揆のようにすべての民が立ち上がるかと思います。もしかすると敵方の民ですら内応するかもしれません」


 一方面白そうに笑みを見せたのは信秀さんだ。時代的に主君となるかもしれない人の言葉に異議を唱えるなんて、相当の覚悟と意志が必要だ。とはいえ、信秀さんがそれを求めているのも確かだ。


 たいしたものだね。この度胸は見習いたいくらいだ。


「なかなか面白いことを言うではないか。これだから女も捨て置けぬのだ」


「出過ぎたことを申しました。お許しください」


 それに意外と冷静に織田家を見ているのは確かかな。ただ貧乏な浅井家に帰りたくないと駄々を捏ねるだけならば、帰れと言いたいところだけど。


「よい。織田家の中でそなたがいかに生きるか。よく考えよ」


「はい。しかと心得ましてございます」


 具体的な話は道三さんとも話してから決めないといけないが、近江の方の残留がこれでほぼ決まりだね。


 あとは斎藤家の臣従と一緒に、浅井家や六角家に根回しする必要があるだろう。ただ美濃と近江の国境の守りを固めることは、早めに考えておいたほうがいいのかもしれない。


 浅井久政もこの件で激怒して闇雲に美濃に攻め入るとは思えないが、なにかきっかけがあればそれに乗っかって挙兵する可能性は十分ある。


 それにまあ報復として、形ばかりだけ攻めてくることはあり得るんだよなぁ。浅井家は六角家への事実上の臣従がおもしろくない連中が多いようだし、ガス抜きとして不破郡あたりに攻めるならあり得るだろう。その対策は必要だね。




Side:エル


 近江の方、史実ではほとんど記録がない方です。そもそも史実の記録も、どこまであてになるかわからないというところが本当のところですが。


 同じ女性として手を差し伸べてやりたい気持ちもありますが、何事も先例を重んじる時代なだけに、今後同じような者たちが来ることを考えると、あまり厚遇をするべきではないのでしょうね。


 ご自身で働くなりして、その成果で地位や報酬を得られる仕組みでも必要でしょうか。


 吉良家の問題でもそうですが、家柄と血筋で厚遇を当たり前だと思っている者たちの扱いは簡単ではありません。


 史実では徳川幕府が、室町幕府の家柄や血筋を誇る者たちをわずかな禄で高家としました。あれも天下を早急に治めるためには必要だったのでしょうが、過去からの権威と血筋が残る結果となりました。


 それが悪いとは言いませんが、この時代で中世封建制から近代化への道筋をつけるには、鎌倉幕府から踏襲されている現行の武士の権威を一掃する必要があります。


 地方によっては鎌倉時代から治めている武士もいるのです。彼らから土地の支配権を取り上げて、日本というひとつの国にするのは大変でしょうね。


 革命クラスの改革は平時では不可能でしょう。それこそ明治維新クラスの外圧でもない限りは。ただそれも簡単ではありませんね。織田家ではどうするのか今から考える必要があります。


 吉良家では不適格ですが、斎藤家と近江の方はちょうどいいのかもしれません。元は守護代家であり織田家にも協力的で先も見えているのですから。


「エル、起きているの?」


「はい、少し前から」


 もうすぐ夜が明ける頃です。清洲城に泊まったせいか、早く目が覚めたので考え事をしていたら、司令を起こしてしまったようです。


 一緒に寝ているほかのみんなを起こさぬようにしていたのですが。


 あの……、司令。


 今から、またするのですか?


 ええ、嫌なわけではありません。早く子が欲しいですし……。


 ですが、みんなが起きてしまいますよ。





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