第542話・堺の秋と尾張の秋

Side:堺の会合衆


 三好様が挙兵の支度をしておるとの知らせに堺が揺れた。


 近江では公方様と細川様が、三好様と戦をする気でおるようなので、そのためかと思っておったが、どうもここ堺への挙兵も視野に入れておるとの知らせが入ったのだ。


 くだんの南蛮人への対処に関連して、どうも松永弾正様が尾張へ行ったことが原因にあるらしい。


 三好家は堺を攻めて自領とする気なのではと、一気に噂が広がった。三好家中で昵懇にしておる者たちに聞いてみたが、すべては三好筑前守様ご本人の指示によるものだという。


 件の他方たほう、明の商人には船と荷を弁済することでようやく話がまとまったというのに。三好様はそれではご不満らしい。


「どないなことだ?」


「粗悪な銭の鋳造を止めろということと、金色酒の偽物を売るのもやめろということだ」


「謀叛人風情が堺に口を出すのか!!」


 急遽、会合衆が集まり対策を講じることになったが、三好家から内々に提示された勧告に声を荒らげた者がおる。


「織田め。本願寺の次は三好家に泣きついたのか?」


「さて、織田が泣きついたのか。三好家が織田を味方にしたいのか。どちらであろうな。織田は既に我らを絶縁したのだ。先々さきざき、絶縁にく労を惜しみ、堺を消しに掛かったとて驚かん。今更、商いで何かするとは思えんが……」


 畿内の情勢は混沌としておる。三好家は京の都を押さえて着実に足場を固めておるが、それでもまだ公方様に対しては本気で攻める気はないらしい。


 ただ管領の細川様だけは許せぬようで、手打ちにする気もないようだ。


 近江の六角家を筆頭に畠山家や朝倉家など、畿内にはまだまだ三好様の敵になりうるところもある。特に気になるのは尾張の織田であろう。


 まさに日の出の勢いとは織田のためにあるような言葉。東から織田が動けば三好様も困るというのが本音であろう。


「とにかく三好家が動かぬように手を打つしかあるまい。本願寺は役に立たぬが、この際だ。銭で動いてくれるところならば、公方様でも叡山でもどこでもいい。とにかく味方になるように動くしかあるまい」


「わしはそんな銭は出さんぞ。南蛮人の件も金色酒の件も銭の件も無縁の事だからな。それで損をする者が出せばいい」


「なんだと! おのれとて織田を潰すというのは了承しておったはずだ。それに土岐家に肩入れした連中は己の身内だろう!!」


「それは知らんと言うておろうが!!」


 まったく……。堺の会合衆ともあろう者たちが、無駄に罵り合うことが増えたな。一文の得にもならぬというのに。


 皆がなるべく己の懐は痛めたくはないが、武家に屈するのは嫌なのだ。そういう意味では久遠はよくやっておるとみるべきか。余計なことをしたとみるべきか。


 近頃では近隣の商人も、露骨に堺の商人を非難する者が増えてきた。遥々尾張に行くと畿内から来たというだけで冷たい扱いをされるそうだ。『堺の手先では?』とな…。


 なんでも紙芝居とかわら版というもので、われらのやっておることが知らされておるようで、尾張では年寄りから幼子まで知っておるという。


 おかげで畿内の商人を信じれば騙される。そういう噂が流れて困っておるというではないか。


「落ち着け。とりあえず三好様と話すしかあるまい。偽金色酒は近頃では評判が悪くてあまり売れんのだろう? しばらく止めて様子をみればいい。どのみち公方様が戻られれば三好家とてどうなるかわからんのだ。銭は止められんが、そこは理解してもらうしかあるまい。三好家とて困るのだ」


 やれやれ、罵り疲れた頃になると、ようやく話が進んだ。


 場当たりに終始する対応は立場を悪くするだけだが、利害の調整がつかなくなってしまったからな。


 今は我慢の時だ。織田や三好家とて明日はどうなるかわからんのだ。




Side:久遠一馬


 甲斐と駿河が騒がしくなりそうだが、尾張は平和だ。


 季節は秋となり、冬支度が始まっている。ただ、やはり米が不作となった。織田家としては備蓄米を確保するために他国から買い入れをしたが、大湊から買っただけなので面倒はなかった。


 昨年の豊作だった時に備蓄したのが功を奏したね。


 織田家ではウチが来る前から、年貢も銭ばかりではなく一部を現物で納めさせていた。室町時代には、足利幕府が銭の輸入を一手に握った時期に、権勢拡大の為に銭で税を納めることが畿内を中心に奨励され浸透したが、信秀さんは一部だが商人を挟まないことで節約と税の効率化をしていたらしい。


 今年も直轄領では年貢をほぼ現物で納めさせた。清洲城には米蔵を増やしたし、各地の国人衆の城などでも備蓄米として保管するためだ。備蓄米は年単位で長期備蓄するものなので、なるべく新しく質の良い米を備蓄することにしている。


 そんな秋のこの日、各地の備蓄米の報告、いわゆる蔵改めの結果が届いた。やはり帳簿の数と合わないところが多数あったらしい。


 ただ、驚きはない。数が合わないと言っても、蔵の米がすべて消えたというほどでもない。ほとんどが米俵が数個足りないとかそんな程度の話。


 ウチも備蓄米までは監視してないのでなんとも言えないが、保管場所の武士やその家臣が盗んで小遣い稼ぎにしたり、自分で食べたりしたんだろう。もしかしたら一時的に借りただけで、後で返すつもりだったところもあるはずだ。


 横流しなんてよくある時代だしね。元の世界だって万引きなんかで、小売店の在庫が完全に合うなんてあり得ないほどだ。この時代のモラルだとそうなるのは織り込み済みだ。


 この件は備蓄米を国人衆の蔵に入れる際に責任の所在を明確にしていて、中身は蔵の持ち主である国人たちに責任を持たせている。


 なくなった分は弁済させることになっているんだ。そうすれば少なくとも国人たちが大量に横流しなんてすることはなくなるからね。


 国人たちは気付いているかね? これで数が合わないと米を始めとした物の管理も、郎党たちの人心の掌握もできないと評価されることを。国人衆を評価するには、この件はちょうどいい資料になる。


「では武具の販売は、織田家の許可を得ることと致すことに意見があれば述べられよ」


 この日は評定をしている。米の不作と備蓄米の問題を議論していたが、続いて議題にあがったのは武具の販売及び製造に関して、織田家の許可を必要とすることの是非だ。


 議事進行役の政秀さんが説明をして評定衆の皆さんに意見を求めた。


 最近、畿内からやってくる職人が増えたからか、勝手に武具を製造して領外に売っている職人が現れ出したんだ。特に堺から流れてきた職人の一部が、鉄砲を造って売ると約束したようで問題になった。


 鉄砲だけ規制してもいいんだけどね。ついでに武具の販売に関しても、敵対的な相手には売らない仕組みが必要だ。一般的には売れるならなんでも売るのが商人だし、頼まれれば作るのが職人だが、武器の販売は今から規制しておかないと。


 基本的に武具は織田家で買い上げることにするべきだろう。販売先も織田家で選べばいい。明とか海外に売るのもいい。もちろんデメリットもある。織田家が品質を正しく評価して、一定品質以下の物を出す職人を掣肘せいちゅうし、時には罰しなければならない。


 自由に作れないなら出ていくという人もいそうだが、少数にとどまるだろう。職人の待遇と環境は畿内よりもいい。まあ他家に召し抱えられるほどの腕前があれば別だが、少数の名工を無理にとどめておく必要もない。


 去る者は追わずだ。来る者は主に堺の商人は拒むけど。


「特に問題はあるまい」


「堺がこの件で、息を吹き返すやもしれぬのが気になるが……」


「放っておけばいい。どのみち連中はしぶといのだ」


 時代が時代だ。武具もよく売れている。評定衆とすれば己の懐が痛むわけではないので、商人や職人がいいのならと考える程度だ。


 一部の意見として、鉄砲の生産では今でも名が知られている堺を利するのではとの意見もあるが、どのみち堺を根絶やしにするなんて無理だしね。今は好きにすればいいと思う。


 結局この件はあっさり決まった。


 今後、武具なんかも織田家で一律で揃えてそれを使うことにしたい。国人衆などからは関所の税やら年貢の税率で規制をかけたが、その分だけ武具を持つ負担、軍役ぐんえきと呼ばれる領地持ちの武士特有の税の一部を軽くしていくべきだろう。




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