第536話・それぞれの武芸大会

Side:松平広忠


「松平殿、楽しんでおるか?」


「はっ、これほどの賑わいと活気、見ておるだけでも楽しゅうございます」


 武芸大会も二日目となった。わしはこの日も他の招待客と共に武芸大会を観覧しておるが、斯波武衛様に声を掛けられた。


 勝者の余裕というのであろうか。斯波家にとっても仇敵と言える今川に属するわしにも気さくに声を掛けていただいておる。


 昨日には『お互い苦労をしたな』と労わる言葉をかけていただいた。味方になれという思惑もあるのだとは思うが、それを口にすることはない。


 正直、今川や吉良を見ておるせいか、名門というものに少しうんざりしておったが、名門にも様々あるということか。


「ご家中の者は残念であったな。だが尾張では、今日のために一年かけて鍛錬しておる者が多いのだ」


 武衛様の計らいで招待客からも参加を許されたので、日頃から武勇を自慢しておる者を槍の試合に出したが、結果はひとりに勝ったところであっさり負けてしまった。


 相手は森三左衛門殿だ。あまり聞かぬ名だが、尾張では槍の名手として名の知れた武士だという。


 いずこでこれほど差が付いたのだ? わしの父上は尾張まで攻め込んだこともあるのだぞ。その頃も、これほどの差があったのか?


 戦になれば織田など物の数ではない。そううぞぶいておった家臣どもでさえ、尾張のにぎわいにおとなしくなっておる。


 近隣の有力な者が揃っておることもある。それに集まった領民の数に圧倒されたということもあるだろう。


「武衛様も弾正忠殿も皆に慕われておりますな」


「わしはなにもしておらん。すべては弾正忠がしたことよ」


「これは困りましたな。それでは某が守護様をないがしろにしておるように聞こえますぞ」


「フハハハ、そのくらいの男でなくば、この乱世で国は守れぬ。もっと好きにやるがいい」


 思わず漏らした本音。武衛様も信秀も、家臣や領民に信じられぬほど慕われておるという事実を口にしたが、ふたりはそれすら笑い話としてしまった。


 吉良家の者など、それを見て目を見開いておるわ。傀儡に成り上がりと軽んじておったのであろう。


 それに、何もしておらんとはよく言うたものだ。無論、何もしておらんなどあり得ん。少なくとも昨日は吉良家の挑発をなしつつ、美濃の斎藤家を味方にした。


 本当に見事であった。三河では吉良家といえば厄介者扱いだが、尾張の武衛家が慕われておるのもわかるというもの。


「松平殿はまだ若いのだ。諦めずに励むがいい」


「はっ、ありがとうございます」


 わしはまだ敵方とも言えるものを、武衛様は励めと仰せになるとは。しかし屈辱すら感じぬ。


 昨年の戦の様子を見ると織田と戦になれば、松平宗家は籠城もできぬからな。対抗などできぬ。死するつもりで戦うか?


 それでなにが残るのだ。今川はもう援軍すら寄越さぬかもしれぬのに。


 ふと見渡せば、わしばかりか家臣の前にも金色酒や澄み酒と豪華な料理がある。鮭の焼き物に椎茸や昆布に鮑など、松平宗家では正月でなくば出せぬようなものばかり。


 いや、正月でも織田が許さねば手に入らぬ品だろう。今年の正月は大湊の商人がそれらを売りしぶらぬことで家臣に出すことができたのだがな。


 頃合いだな。


 織田に臣従するべきだ。織田に臆した今川などあてにならん。


 尾張を攻めて亡くなった父上に謝らねばならんことになるとはな。




Side:吉良義安


 屈辱だ。今川に敗れて生き恥を晒した斯波に、過ぎたことは忘れるなどと言われるとは。


 だがここで怒鳴り散らしてもいかようにもならん。


「弾正忠殿。そなたは三河守として、今後三河をいかがするつもりなのだ?」


 信秀の真意だけでも見極めて帰らねばならん。


「いかようにも致しませぬ。現状で織田に従っておる者たちを守り食わせることで精一杯ゆえ」


 ちっ、そのような心にもないことを。近隣に奪える土地があるのだ。指を咥えて見ておる奴があるか。


「では臣従せぬ者がいかがなろうが知らぬと?」


「そこまでは申しませぬ。されどできることとできぬことがありまする」


 本證寺の寺領とてほとんど奪っておきながら、よく言うわ。


「左様か? 今川は西三河の人質をまだ駿河に戻しておらん。今ならば西三河をまとめることも容易であろう。そのまま東三河と遠江を不当に支配する今川を討ってこそ、武士というものではないのか?」


「某にそのようなつもりはありませぬ。それに西三河には足利一門である吉良殿もおられるではありませぬか。それほど今川が許せぬと仰せになるのならば、吉良殿が西三河をまとめて今川と対峙したらいかがか?」


 この無礼者が。たかだか守護代家風情がわしに指図する気か! それができぬからおのれなどに頼んでおるのではないか!!


「今年は尾張と美濃も米が不作気味なのです。織田はその対処で手一杯でございます」


 なにが手一杯だ。これほど贅を尽くして無駄ばかりの武芸大会などやっておきながら。そんな銭があるのなら戦をできるではないか!


 己のような輩がおるから、世が乱れるのだ。


 わしに力があれば、己のような成り上がり者に大きな顔などさせぬものを……。




Side:織田信長


 吉良義安がとうとう親父に挙兵をじかに求めだした。


 あの男はまだ状況がわからんのか? 三河攻めなどすれば、吉良家など真っ先に滅ぼされるのだぞ。


「人とは己が知りうることしか知らぬのだ。婿殿」


 理解できぬ。そう思うておったら、たまたま隣で話しておった義父殿が、小声でそう教えてくれた。


 ああ、義父殿は土岐家のお守りをしておったのだな。なるほど。あの手のやからは慣れておるということか。


「わしは不忠者と罵られ、謀叛人とまで言われる。それを否定はせぬ。じゃがの、土岐家は家督争いで近隣の者を軽々しく巻き込んだのだ。美濃を守りたいという思いがあったのもまた事実。その結果が今じゃからの」


 蝮と言われる義父殿にも言い分はあるか。オレはそれもわからなかった。


「義父殿、吉良殿はいかようにも理解しておらぬと?」


「しておらぬな。武衛様も弾正忠殿もお優しいの。わしなら……」


 あの男は己がいかに危ういことをしておるのか。今川を討てというのに己が討たれると思うておらんことが不思議でしかたない。


 義父殿は、自身ならば生かしておかぬと言いたげな意味深な笑みを浮かべた。生かしておけば土岐頼芸のようにろくなことをせんと思うが、足利一門である吉良家を戦で滅ぼすのは面倒なことになるか。


 なるほど。それで義父殿は暗殺などしたのかもしれぬな。


「時に婿殿。領内の治め方を変えるとか、よければわしにも教えてくれぬか?」


「あれは今しばらく試す必要がありまする。ただ、少し話をする場を設けることでいかがか?」


「それはありがたい。是非お願いいたす」


 吉良義安はまだ親父に食い下がっておるが、それよりも義父殿のほうが強かで恐いな。


 まだ始めてもおらん新しい統治を知っておったとは。仕方ない、かずとエルと話す場を設けてやるか。臣従するというのが本気か知らぬが、無駄にはなるまい。






◆◆

森三左衛門。森可成さん。

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