第535話・武芸大会の夜に

Side:斎藤義龍


 夜も更けて清洲城にて休むことになったが、わしは改めて父上の偉大さを感じずにはおられなかった。


 遠江攻めを暗に求めた吉良家に対して、それをなしておられた武衛様に、父上は軽々と自らを売り込んでのけた。


「新九郎よ。感心しておっては困る。動くべき時に動けぬようでは、これからの世を生きてゆけぬぞ」


 父上の言葉で吉良家は立場を失ってしまい、遠江攻めを言い出せなくなっておった。


「然れど父上、吉良殿に随分と睨まれておりましたが……」


「放っておけ。あの男ではなにも出来ぬわ」


 吉良家の者たちは、あの後永々えいえいと父上とわしのほうを睨んでおったほどだ。もっとも父上のおっしゃる通り、それ以上はなにもできんし、気に病むのも無駄のようだが、斎藤家は名門吉良家を敵に回してしまった。


 父上は昔からそうだが、駄目だと判断した相手には、早々に見切りをつけ、敵に回すことを厭わぬな。まあ今回は斯波家と織田家に売り込んだのだ。大事にはならぬと思うが。


「それよりも考えねばならぬのは、我が斎藤家の立場じゃ。織田はとうとう関所まで減らしておる。それに婿殿の領地では地侍などから所領を買い上げておると聞く」


 わしや家臣は父上の手腕しゅわんに感心しつつ、吉良家との関係を考えておったが、父上はすでに別のことを考えておる。


「殿、いったい織田はなにをしたいのでしょう?」


「国の治め方を根本から変えたいのであろう。土地を与えても代が変われば平気で裏切られる。そんな今の世を変えたいと考えれば納得がいく」


 家臣のひとりが織田の考えを父上に問うておった。なにがしたいのか、よくわからぬ。それが大半の者の意見だ。わしとてよく分からぬところが多い。


 織田は締め付けが厳しい。美濃の国人衆が織田への臣従に二の足を踏む理由だ。己の領地に口出しをされることを好む者など滅多におらぬからな。


「そのようなこと、まことに出来るのでございましょうか?」


「出来るであろう。今の織田ならばな。ここで考えなくてはならんのは、わが斎藤家の今後だ。ただ臣従するだけでは駄目じゃ。今から織田の治め方を学び、こちらから合わせる必要がある」


 家臣は半信半疑だ。何故今までのやり方で駄目なのかがわからぬのだ。織田とて戦に敗れれば、いかがなるか分からんと思うところもあるのであろう。


 父上が織田に傾倒することに不安を口にする者も少なくない。もっとも逆らいそうな者は粗方消えておるので騒ぎは起きておらぬが。


「ですが殿……」


「わかっておる。とはいえ関所は整理出来よう」


 まさか父上が家臣から領地を取り上げるのではと、顔を青くした者がおったが、さすがに父上も現状ではそこまでする気はないか。


 代わりというわけではないが、関所は整理したいらしい。稲葉山城は尾張に近い。尾張から稲葉山城と井ノ口までの直轄地の関所だけならばなんとかなるかもしれん。


 織田の商人と荷の税を軽くするなどはしてもいいかもしれん。領内は織田との商いで活気があるのだ。


 商いで儲けた商人に税を払わせるのもいいだろう。


「わしはすでに臣従を申し出たのだ。いつ臣従をしろと言われてもおかしくあるまい。畿内や今川の状況次第では早まるぞ。お前たちも覚悟しておけ」


 織田には勝てない。それはわしにもよく分かる。昨年、三河の戦に加勢したことでよく分かった。


 斎藤家では織田には勝てんのだ。わしなどは力も軍略も織田の足元にも及ばん。


 父上はすでに織田に臣従をする覚悟があるようだ。以前の父上では家中の者も反発したであろうが、それも最早あるまい。久遠殿が助言したことを父上は活かしておるからな。


 武士ではなく領民を見て治める。一言でいえばそれが今の斎藤家の方針だ。領民を飢えさせないことがなにより大事だということなのだ。


 斎藤家の直轄領はおかげで父上の評判がいい。国人や土豪は面白うない者も多いようだがな。織田の後ろ盾がある以上は誰も逆らえん。


 斎藤家はいかがなるのであろうな。


「新九郎。そなたの奥。もしかすると返さねばならんかもしれん。覚悟しておけ」


「……浅井とのよしみは不要なのですか?」


 期待と不安で言葉が出なかったが、そんな時に言われた父上の言葉に家臣一同が静まり返った。


 わしの妻は浅井家の娘だ。以前ならば浅井家との誼も必要だったのだが……。


「不要であろう。家臣が他国と繋がって、喜ぶ者がおるか? 弱小家臣ならともかく、斎藤家は大きすぎる。他家と繋がっておることを織田が許しても、織田家中が許さんかもしれん。もっとも織田がその繋がりを利用するというなら別だがの」


 返す言葉がない。妻に情がないとは言わぬが、情勢が変われば帰すこともよくあることだ。妻のためにも帰したほうがいいのかもしれぬ。昼にまみえた三河岡崎の松平殿の事が、心に浮かぶがせんなきこと。


「喜太郎はいかがなりましょう」


「……今のままにはしておけぬの。可哀想じゃが」


 やはりか。わしは妻子も守れぬ程度の男だったということか? 





Side:久遠一馬


「吉良家は駄目だな。己らの扱いが良うなかったとでも考えておるのであろう。足利一門というだけでありがたがるとでも思うたようだ」


 武芸大会初日も夜になった。北畠具教さんを歓迎しての宴を開いたら、ウチに泊まっている具教さんは三河から来た吉良家がやらかした話を教えてくれた。


 事前に忍び衆からの報告もあったがその通りの人だったわけだ。吉良家は人一倍自尊心と誇りが高いというのは、オーバーテクノロジーで調べなくても有名な話だったんだ。


 周囲の国人や土豪からも厄介者扱いされている。特に領地を接していれば、多かれ少なかれ関わりがあって対立するようなことがある。それに対して吉良家は家柄を前面に押し出して自己の主張を通すことしか言わない。


 まあ最近まで吉良家同士で東条吉良家と西条吉良家に分かれて百年近く争っていた人たちだ。考えなくてもわかるが。


「今川との戦に吉良家は必要ないのですけどね」


「むしろ邪魔だろう? あの家の者たちは恨むことはあっても感謝することはあるまい。味方にして害になるなら、初めからおらぬほうがいい」


 具教さんもほんと、身も蓋もない言い草だよね。物事が見えているし、裏表を感じさせず、武人らしく真っすぐな人だ。


 確かに邪魔なんだよね。とはいえオレの口からそこまでは言えない。自分の影響力は理解しているつもりだ。


「岡崎の松平殿のほうがまだいい。あちらは立場を弁えておった」


 なるほど。具教さんの評価は松平広忠さんが上か。


 実際、義統さんは松平広忠さんにも声を掛けていたらしい。主催者だから当然と言えば当然だが。とは言っても現状でさえ敵の今川方と見られてもおかしくない、松平広忠さんに対してでさえ一定の配慮をしたようだ。


 まあ居心地はよくなかっただろうけどね。広忠さんからすると。織田には息子を奪われているし、敵方だと見られてもおかしくないんだから。


「明日は頑張れよ!」


 一方、家臣のみんなは武芸大会に参加する者たちを応援して盛り上がっている。石舟斎さんや太田さんを筆頭に優勝を狙える人は数人いるんだ。


 いつの間にか笛や太鼓を鳴らして、宴を盛り上げている人もいる。


「本気の勝負ってのはいいねぇ」


「まったくだ」


 そんな家臣のみんなを見て、ジュリアと具教さんは勝負に賭ける男たちの情熱を感じてか、笑みを浮かべている。


 今のところ家柄や地位は関係なく武芸大会は運営されている。ただ気を付けないと八百長が蔓延るようになるんだろうな。


 ジュリアはそんなの嫌いそうだからね。今からそんなことが起きないように武芸の指導をしているそうだ。


「あー、それ、私のー!!」


「早い者勝ち」


 あの、パメラさんとケティさんや。焼き鳥一本を獲り合うのはやめたまえ。ケティはパメラが最後の楽しみにと取っておいた焼き鳥をひょいと横取りしている。


「パメラ、オレのあげるから」


「ありがとう! 大好き!!」


 このまま放置すると横取り合戦を始めるんだよなぁ。このふたり。仕方ないのでオレの焼き鳥をパメラにあげる。


 仲が悪いわけじゃないんだけどねぇ。仲がいいだけにこんなこともある。


 まあ、こういう賑やかな夜もいいね。





◆◆

斎藤義龍。道三の息子。通称は新九郎

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