第534話・斯波家と吉良家

Side:吉良義安


 清洲は見たこともないほどの人で溢れておる。以前にも来たことがあるが、まるで別の町のような賑わいだ。


 面白うないの。たかが守護代家風情が随分と増長しておるのがわかるわ。


 そもそも、何故わしが尾張まで出向かねばならんのだ。本来であれば向こうから頭を下げるに来るべきであろうに。


 然れど、おかしきを越え、いぶかしきこともあった。熱田からここまで関所がなかった。道中多くの諸人もろびとが通っておるのに、何故関所を設けぬのだ?


「あれは清洲城か?」


「なんだ、あれは物見櫓か?」


 下々が多すぎてろくに進めんことに苛立ちを感じるが、さすがに他国で『退しりぞけ、ね』とも言えぬ。我慢致すしかないと己を諫めておったが、そんな時に家臣が清洲城に大きななにかを普請ふしんいたしておることに気付いた。


 たしかにあれはなんだ? 随分と高き建屋がふたつ建てられておる。畿内の寺にあると聞く、五重塔のようなものでも造っておるのか?


「殿、あれなるは岡崎の松平でございます」


 武芸大会の行われるところに案内役に先導されながら進むが、途上で岡崎の松平広忠がおった。


 氏素性の怪しき奴の一族のせいで三河は荒れに荒れ、今川に付け入る隙まで与える始末だ。織田も余力があるのならば、さっさと岡崎を滅ぼしてしまえばいいものを。


「ほう、あれが不出来と評判の松平広忠か。あれの父は凄かった。されど、あれは己の力でなにもできぬ奴よ。今川の次は織田に取り入るか? 節操がない男よな」


「義昭、やめよ。ここは尾張ぞ。斯波家の招いた者と諍いを起こすようなことは口にするな」


「申し訳ありませぬ、兄上」


 皆が同じことを思うたのであろう。西条吉良家を継いだ弟の義昭に至っては、思うたことをそのまま口にしてしまった。気持ちはわかるが、斯波の顔に泥を塗るような真似をされては困る。


 連中には今川と戦ってもらわねばならぬのだからな。




 招待客には高僧や武士に商人もおる。だが気に入らんのは、わしより上の席次に居座いすわる男がおることだ。何者だ?


「これは北畠殿とは、お初にお目にかかる。吉良義安である」


 相手の近習が名を明かしてきて驚いたわ。まさか伊勢の北畠の嫡男だとは。面白うないが官位を持つ公卿家では相手が悪い。


「北畠具教だ。吉良殿か。よしなに頼む」


 北畠とは言え、家督も背負わぬ子倅如きめが! 挨拶もそこそこに、わしのことなどと軽視けいしする気か? わしは足利一門の真の筆頭、吉良家の頭領ぞ。


「いや、この武芸大会を見るのが楽しみでな。北畠家でもやりたいのだが、中々に難しい。武衛殿が羨ましいわ」


「北畠家は名門ゆえ苦労も多かろう。わしなど近頃まで傀儡にされておった程度だ。弾正忠以下、皆に任せておるに過ぎん」


 なんだ。随分と和やかな雰囲気ではないか。いかなることだ。


 美濃の斎藤に伊勢の北畠。それ以外にも東美濃の遠山までおる。三河の松平広忠は大人しいが、これだけの家の者が集まっておるのに何故和やかなのだ?


 しかも斯波の義統めは己の立場を恥じもせずに笑い話にするなど、武士の風上にもおけん男だ。


「武衛殿、己の立場を恥じるべきではないのか?」


 だがここで隣におった弟の義昭が、また余計なことを口にした。この愚か者め! 言ってきこととしきこともわからんのか!!


如何いかに吉良家とはいえ、それは武衛殿に礼をしっするのではないのか? かつてはいかようであれ、今の尾張は近隣の何処よりも上手く治まっておる。謙遜して皆に気を使うたこともわからぬのか?」


 わしが睨むと義昭はうつむき大人しくなるが、表情を変えぬ斯波の義統めに代わり、北畠の具教めが不快そうに愚かな弟を窘めるような言葉を口にした。


 若輩者と侮ることはできん男だ。


「申し訳ござらぬ。実は吉良家はすでに領地は心許こころもとないのだ。愚かにも同じ吉良家で長い間争ってしまい、失うものが多かった。ついには庶流である今川にまで遠江の領地を奪われてしまったほどだ。それ故に弟は傀儡だと笑っておった武衛殿が気になったのだ」


 この愚か者のせいでわしが頭を下げねばならなくなったわ。あとで覚悟しておけよ!!


 雑多な視線がわしと弟に集まる。ど奴も殺してやりたいほど腹立たしいが、この際同情でも構わん。今川を滅ぼしてわしが吉良家を再興するのだ。そのためには頭のひとつやふたつ喜んで下げようぞ。




Side:斯波義統


 北畠殿と目がうたその時、有り有りと『この男は駄目だ』という心の声が聞こえてきそうであった。


 武芸を好み武辺者と見られがちな男だが、さすがは北畠家の嫡男だ。人品じんぴんを見る目にたけけておる。久遠家とその身一つで親交を深めておることといい、油断ならぬ男よ。


 まだ若いとはいえ、それと比べるとあまりに拙いな、吉良義安は。この場で自ら頭を下げたことは認めよう。されど北畠殿を相手に僅かでも自尊と誹謗の心を見せたことは失態であったな。


 吉良義安が謝罪の言葉を口にした時に、目が謝罪しておらんことに、当の本人が気付いておらんことがなんとも言えんの。まあ、弟の義昭が論外ゆえに、致し方ないの。


 恐らくは、己を偽り人を欺くことなど致したことがないのであろう。落ちたとはいえ名門吉良家だ。その辺りの土豪程度の領を差配するとは言え、一目置かれる。今川とて追い詰め過ぎぬようにとの配慮は多少なりともあったのであろう。


 吉良家が望むは織田と今川に戦をさせることだ。北畠殿はそれを早々に見抜いたのであろう。あとは美濃の蝮も見抜いた様子だ。当然、弾正忠もな。


「さすがは吉良殿じゃの。立派な心掛けじゃと思う。されど、わしなど過ぎたることは忘れることにしておる。きりがないからの。過ぎたることにこだわっても」


 弾正忠に聞くまでもない。この男は駄目であろうな。大人しく弾正忠に臣従でも致せば、また違ったのであろうが。いかにも、わしに遠江奪還を欲せんと言い出させたいらしい。


 その手には乗らぬよ。仮に遠江を奪還しても、働きもせぬ吉良家に返すなどありえぬ。


「わしは父や祖父の無念は忘れられん。武衛殿は御父上のご無念を忘れたと?」


「戦に負けたのじゃ。それがすべてであろう? 古き因縁など掘り返せばいくらでも出てくるわ。それらをすべて忘れるなと? 左様ことばかり考えるから戦がなくならぬのじゃ」


 わしの態度にしびれをきらしたのか。とうとう吉良義安は父上のことまで持ち出した。さすがに怒りを覚える。我が父上のことまで蒸し返すとは。


 さすがにまずいと思うたのであろう。弾正忠は止めに入ろうとしてくれたが、わしは目配せで不要じゃととどめた。ここは任せてもらおう。この程度の相手を御せぬようでは、わしにも斯波家にも明日はないのじゃ。


「わしはな。過ぎた因縁ではなく、今この時と明日を見ることにしておる。この場には美濃や三河から来られた方々かたがたもおられる。過去には斯波家や織田家と因縁ある者もおろう。然れどな、共に今この時と明日のために生きてほしいと願うておるのじゃ」


 戦がしたくば勝手にやれ。無用な混乱ばかり産む足利に連なる吉良家など、利も産まぬし、ようするにも値せぬわ。


「さすがは斯波武衛家でございますな。我が斎藤家は過去に執着いたさず、斯波家と織田家と共に明日を見ることをお誓いいたしまする」


「そう言うていただけるとありがたいの」


 真っ先にわしの言葉に賛同したのは、美濃の蝮。斎藤利政殿か。さすがに己を売り込む時を理解しておるわ。


 まごう事なく吉良家を喰うてしまったの。




◆◆

吉良義安・三河の国人。足利将軍家の一門。

庶流である今川に対抗心と、領地を奪われた恨みを持つ人。

忠臣蔵で有名な吉良上野介の先祖。


北畠殿。北畠具教。南伊勢の大名の嫡男。史実では剣豪大名として有名な人。


斎藤利政。史実の斎藤道三となる人。

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