第531話・子供たちの見学

Side:斯波義統


「左様か。今川がのう」


 弾正忠から、今川が甲斐を攻めるべく戦支度を進めておると報告があった。義元は然程さほどに弾正忠が恐いのか? 父上が知ればなんと言うたであろうな。


「今川家中には三河の織田領を攻めるべしという声も大きいとか。念のため戦の支度はしております」


 以前ならば手放しで喜び、期待したのやもしれん。ただ少し気になったので地図を用意して改めて見てみることにした。


「遠江は少しばかり遠いの」


「はっ、それが問題かと某も懸念しております」


 遠江は遠い。しかも途中の三河が曲者だ。長年の混乱で荒れておる。更に北の甲斐の武田は同盟破りをしたと聞くうえに、実の父を追放した。侵略した土地でも苛烈だったようで、残虐な男として知られておる。


 北条との関係は良好だが、関東は関東で厄介な土地だ。ただ遠江を取り返せばいいというものではないことは、戦を知らぬわしにもわかることだ。


「仮にだ。遠江を取り返したとして、今川はいかがするのだ?」


「そこまで行けば残さぬほうがいいでしょう。如何にせよ、心情にかまけて残せば恨みが残ります」


 残せぬか。厄介なことだが、今川は足利一門だ。駿河まで攻めれば、さすがに公方がしゃしゃり出てくるであろう。


「わしはな。遠江にはこだわらん。要らぬとは言わぬが、遠江と駿河を獲って四方を敵に囲まれては元も子もあるまい」


「そのお言葉に安堵致しました」


 弾正忠が胸のつかえをはらった顔をした。状況が動けば嫌でも攻めねばならん。とはいえ遠江のために状況が悪化しては困る。


 人の欲とはキリがないものだ。遠江の次は越前を取り戻せと言う者が現れよう。最後には管領の地位を取り戻せなどと言い出すに決まっておる。


 家臣はほとんど弾正忠に仕えさせたが、それでも今もなお三管領家である斯波家の悲願である遠江奪還などと言い出す者がおるのだ。手元に置かなくてよかった。手元に置けば弾正忠との関係がいかがなっておったのやら。




Side:久遠一馬


 今日は学校の子供たちや孤児院の子供たちと清洲城に来ている。


 子供たちの生活圏はだいたい決まっている。日常では那古野から出ないのが普通であり、みんな清洲や津島に熱田なんかに行くことを楽しみにしている。


 今日は清洲城の見学だ。まだ幼い子もいるので長距離を歩くことは好ましくない。街道整備もしていて治安もいい清洲が一番安心だからね。


「注意事項は覚えているかな? お城の皆さんに無礼がないように、年長さんたちは年下の子たちを見守ってあげてね」


「はーい」


 子供たちは今日この日を楽しみにしていた。この時代のお城は別に観光施設ではない。弱小零細な所は単なる統治者の家屋敷でも、尾張の清洲城は斯波・織田体制下での行政統治の総司令部ヘッドクォーターだ。とはいえ噂は聞くし、一度は行ってみたいと思うらしい。


 学校を任せているアーシャが先導する形で、大勢の子供たちが清洲城の門をくぐる。


「おっきいね!」


「凄い門だ!!」


 門番の人に『こんにちは』と挨拶をして門を潜るが、新しい清洲城の門は鉄板を張り付けているので重厚感があって子供たちも歓声をあげている。


 装飾なども学校や病院よりは当然豪華な造りだ。


「若武衛様はここに住んでいるの?」


「そうだ。日々ここから通っておる。父上と弾正忠殿は領内のことをここで治めておる。皆が飢えぬようにと、戦にならぬようにとな」


「すごい!!」


 ああ、見学者の中には義統さんの息子の岩竜丸君と信秀さんの息子の信行君もいる。信行君は最初の頃から普通に馴染んでいたが、岩竜丸君も随分馴染んだなぁ。


 岩竜丸君は孤児院の子供たちに、清洲城のことや義統さんや信秀さんの仕事などを教えてあげている。というか幼い子供たちの面倒も見てあげている様子だ。


 ちょっと会わなかっただけで変わったなぁ。やっぱり子供の成長って早いんだな。


 子供たちは皆、瞳を輝かせてキョロキョロと見渡している。見るものすべてが新鮮で珍しいのだろう。


 そもそもこの時代の一般的な庶民の家は粗末なもので、城なんかとは別物だ。学校の生徒の場合は、武士やウチの関係者が多いのでそこまで酷くはなく、寮に入る者も多いのでまだいいほうだが。


 中に入っていくと、ちょうど天守や時計塔の建設もしていて、子供たちは邪魔にならないようにと見学する。


 高くそびえるこれらの建物が造られる姿を見上げる子供たちの笑顔がいいね。


「かじゅま! みんな!!」


 ちょっと建設関係の基礎知識をアーシャから語って聞かせたあと、子供たちを連れてきたのは政務を行う館だ。出迎えてくれたのは孤児院の子供たちと仲がいいお市ちゃんだ。


 ちなみに清洲城にはいくつかの施設があるが、その中に守護である斯波義統さんの館、信秀さんの館、それと政務を行う館がある。


 それらの館は渡り廊下で繋がっているが、厳密には別の建物になっている。


 もともとこの時代でも政務を行う館と住居部分は別であることが多いしね。


「お袋様! たくさんの人が働いていますね」


「皆さん、国に住むみんなのために働いてくれているのよ~」


 今日はアーシャがいるからか任せているリリーだが、彼女の周りにも子供たちが多い。働く文官の皆さんの邪魔をしないようにしつつ、彼らの仕事を説明してあげている。


 実はこういう働いている姿を見せるのは大切なんだよね。この時代だと殿様は偉いからいい暮らしをしていて、偉そうに命じていればいいとシンプルに考える人が結構いる。


 元の世界でも政治家や公務員に厳しい見方は多かったが、実際には真面目にやってみると大変で、文官衆の中には働き過ぎだとケティとパメラに止められた人もいるくらいだ。


 ブラックなお仕事は、この時代からなくしていかないと。労働基準法を守れば会社がつぶれる、なんてことを平気で言うやからが人の上に立つ世の中にはしたくない。


「あー、若様だ!」


「若様もお仕事?」


「お前たちか。そうだ、親父の手伝いだな」


 子供たちが喜んだのは信長さんの仕事場に来た時だった。相変わらず子供たちには人気なんだよね、信長さんは。


 現在の清洲城で文官を表立って馬鹿にする人はいない。信秀さんを筆頭に重臣たちはみんな文官仕事をしているからね。


 もちろん苦手な人もいるらしいが、馬鹿にするようなことをしたら今の地位が危うくなることくらいみんな知っている。


 何人かは恥を忍んでと、ウチにどうすればいいかと、こっそり聞きに来た人もいる。織田家が変わることは理解しても、どうすればいいかわからない人が結構いる。


 まあ今ではやる気のある人には、苦手や不向きでも仕事を教えて任せ、労苦ろうくを学んでもらい、委任出来る家臣の発掘にいそしんで貰うことをしているが。


「皆、よくきてくれました。広間にいらっしゃい。お昼を御馳走しましょう」


 一通り見学が終わる頃になると、土田御前が現れてお昼を食べることになる。


「ありがとうございます!!」


 そろそろお腹が空いていたのだろう。ご飯だと喜ぶ子供たちは一斉にお礼の挨拶をした。土田御前はそんな子供たちに少しクスっと笑うと、広間へと案内してくれる。


「うわぁ」


「すごい!」


 お昼は豪華なお膳だった。焼き魚・刺身・煮物・漬物・味噌汁などがある見た目も立派なお膳の料理だ。


 子供たちにはマナーも教えているので、この機会にそれを実践することになる。


 まあ、初めから予定していた昼食なんだけどね。


 楽しげに話をしながら食べる子供たちの姿を見ていると、織田家の将来は明るいなと思う。


 子供のうちは身分とか忘れて、いっぱい遊び、いっぱい勉強して、いっぱい食べればいい。


 こんな日常がずっと続けばいいな。



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