第528話・職人たちの成果

Side:林秀貞


 清洲の町にある八屋に入ったわしは、注文をすると一息ついた。


 すぐに運ばれてきた小魚の大野煮を酒の肴にして麦酒を一口飲むと、今日のことを思い返す。最早このまま隠居して余生を穏やかに過ごすこともいいと思うたのだがな。


 婿の新次郎は警備兵で働いておるが巷の評判も悪くない。あの愚かな弟が謀叛などしたせいで辛い思いもしただろうに。よく頑張っておるわ。


 そんな新次郎を取り立てたのが、久遠家の奥方だというのだからな。家柄など関係なく実力のある者を登用する。中々できることではない。


 過去の因縁など忘れたということか? 亡くなった愚かな弟にも、立身出世する男はああいう男なのだと教えてやりたいわ。


 今や久遠殿に逆らえる者などおらぬとまで言われておる。不満を陰で口にしておるのは久遠家と疎遠な幾許いくばくかの寺くらいだ。由緒ある寺などには見向きもしないようで、貧しい寺などに寄進しておるのが不満だとこぼしておるとか。


 あとわしに声をかけてきたのは、美濃から追放された土岐家の旧臣くらいだ。織田を見返さぬかと、久遠を恨んでおるだろうなどと言うてな。


 巷ではわしが久遠家を恨んでおるなどと、いい加減な噂があるが、正直なところ恨みなどない。恨むほど知らんというほうが正しかろう。


 確かに久遠家が尾張に来たばかりの頃は面白くないところもあった。それに今も海の向こうの者ゆえに、得体の知れぬ恐ろしさは僅かにあるが、恨むほど強い思い入れがないと言うほうが適切かもしれぬ。


 どのみちあの愚かな弟では、誰が相手でも上手くいかなかったであろうからな。


「親父、かすてら、十個くれ! 今日は祝いの日なんだ」


 慚悔ざんかいとも言えぬ思いと酒に身をゆだねておると、その耳に入った喜色きしょくあふれた声に、ふと辺りを見渡すと、あまり裕福とは思えぬ領民が菓子を買いに来ておる。


 祝いの日か。裕福でない者も祝いの日に菓子が買えるようになったのか。嬉しそうな顔をする男に織田家の行く先を見たような気がした。




Side:久遠一馬


 残念ながら今年の米の収穫は不作気味になることがほぼ決まった。とはいえこの時代ではそれほど珍しくはないし、飢饉が起きるほどでもない。多少米の値が上がる程度だ。不足分を備蓄米から放出すれば済む程度の問題だ。


 織田家が保有する備蓄米は、織田家直轄領以外でも各国人の城にも備蓄している。勝手に使いこんでいる人もいそうだけど、大勢に影響はないだろう。


 文官衆が現在備蓄米の確認をしている。保有量と品質など確認しながら、古い米から消費するようにしたほうがいいだろうしね。


 第三回武芸大会の準備も進んでいる。今年からは評定で広く意見を求めることもしている。細かい疑問や要望など色々と出ていて、実行可能なことは試してみることにしている。


 あと三河の本證寺跡地での慰霊祭に関しても進めている。こちらは願証寺と元本證寺の末寺が喜んでいたな。特に本證寺の末寺は、昨年起きた戦のあとで供養したいというところもあったが、織田家が拒否したからね。


「へぇ。これが新しい馬車か」


 この日、工業村から領内で織田家が許可した相手にのみ販売する馬車の試作品が届いた。


 当然といえば当然だが、領外への持ち出しは禁止だ。まあ川に橋もないので持ち出すのはほぼ無理だけど。


 とはいえ清洲と那古野の移動には使えるし、清洲に屋敷を持つ家臣が増えたので、家臣が屋敷と城を行き来をするのには使えるだろう。実用性というよりはステータスのような感じかもしれないが。


 見た目は木製のニスを塗ったシンプルな感じで、現在ウチと織田家や斯波家が使っているものよりも小さい。当然ながら硝子窓も採用されておらず、ゲルに使用したものと同じ布で幌を付けた形になっている。


 日本在来馬が一頭で牽くことを想定して作ったらしい。乗員も二人乗りになる。


「基本的な構造はいいんじゃないかな」


 あとは好みと費用次第で漆塗りにしたり、装飾を施したりすればいい。なんか豪華な荷馬車のような見た目だけど、箱馬車は重量の関係から厳しいだろうしね。


「さあ、旅に出るのです!」


「いざ行かん。未知の世界へ!!」


 まるでファンタジーの物語でみるような馬車の見た目からだろうか。チェリーとすずが馬車を試してみたいからと借りると、旅に行くのだと出ていってしまった。


「午後の菓子の時間までに戻るのですよ」


「はーい、なのです!」


「了解でござる!」


 どこまで行く気なんだと家臣が慌てて付いていくが、エルは止めることもなく、おやつの時間までに帰るようにと送り出した。


 まあ、あのふたりはいつものことだ。


「あー、それ可愛い!!」


「そうでございましょう? お方様の皆さまの装飾品を見て作ってみたのでございます」


 一方、パメラは工業村から来た別口の職人が見せてくれた装飾品の試作品に食いついていた。


 頼んだわけじゃないんだけどね。エルたちが装飾品を身に着けているのを見た職人が試作してみたらしい。


 鉄の簪と漆塗りの櫛にイヤリングもある。凄いな。頼んでないのに。


「いいわね。金を提供するわ。金の細工も試してみて」


「金でございますか?」


「ええ。金箔もいいわね。金の細工共々、いろいろ使えるわよ」


 パメラは試作品を身に着けてくるりと回ってポーズを決めてご機嫌だが、メルティはその出来に驚きながらも、やる気があるならと金細工を作るように頼んでいるよ。


 べっこうとかの装飾品や装身具関連の知識も教えるべきかな? この手の技術も長い積み重ねが必要だ。今からやれば必要な時が来ても京の都や畿内の職人とかに頼まなくてもよくなるし、逆に向こうの職人が技術を教えてほしいと頭を下げに来るかもしれない。


「職人も増えているからなぁ」


「堺の職人は優秀ですからね。いい刺激になっているようです」


 エルと一緒に装飾品に喜ぶアンドロイドのみんなを見ていたが、工業村の発展は外部の職人との比較にもなって双方に刺激となっているんだよね。


 先日には堺から優秀な職人たちがやってきた。三十人くらい職人がその家族や弟子を引き連れての大所帯でちょっと騒ぎになったようだ。


 この時代だと基本は閉鎖的だからね。他所から職人が来るなんて、下手すると同じ職人に邪魔をされるが、織田領だとそんなことはさせないから優秀な人も来るんだろう。


 先日来た堺の職人は、ある意味残念だが領外に流失した尾張産の農具を見て尾張に来る決断をしたらしい。鉄の質と使い方に、尾張ならもっと自分の腕を活かせると思ったと言っているらしい。


「金の細工物とかは海外に高く売れるよなぁ」


「少し前からは絵師も噂を聞きつけてやってきていますからね。今後はもっといろいろな人がやってきますよ」


 あとエルも言うように、絵師とか文化人とかも集まっているんだよなぁ。


 絵師は今後需要もある。エルが織田家で召し抱えられないかと提案して、現在数人の絵師を清洲城の襖絵とか描かせて試しているところだ。


 メルティひとりにずっと絵を描かせるわけにもいかないしね。


 それに焼き物村の白磁の皿に絵付けする職人も欲しかったところだからさ。現在尾張では城の改築に家臣の屋敷を清洲に建てるなど、絵師なんかは需要がある。


 駿河とか越前とかのように、尾張も様々な人が集まるようになってきたということか。


「あー、悪いね。試作品なのに。代金を払うよ」


 結局、工業村の職人が持ってきた試作の装飾品は、ウチの女性陣が全部買い上げることになった。


「いえ、喜んでいただけたようで、なによりでございます」


 まあ職人たちも嬉しそうだ。自分たちの作ったものを喜んでもらえたことが嬉しいのだろう。


「これはエル様に……」


 最後に職人のひとりがエルに手渡したのは、硝子の装飾が付いているイヤリングだった。


 なんというか綺麗な色硝子が付いている。


「凄いね」


「先日、お方様より硝子の扱いを少し学びました。その試作品でございます」


 誰だ? 工業村に硝子を教えたのは? まあいいけど。


 尾張に遊びに来ているアンドロイドがちょくちょく工業村に行って、いろいろ教えているみたいなんだよね。


 同じ「物を作る立場」として気が合うんだとか誰かが言っていたが。


「似合いますか?」


「うん。よく似合うよ」


 イヤリングを着けて笑むエルに、思わず惚れ直すようだった。


 硝子のイヤリングなんて元の世界だと安物になるのかもしれないが、この時代の日本だと高級品になるだろうな。


 というか、職人の皆さんも女心がわかっているのか。


 オレも見習いたいところだ。



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