第527話・一歩の歩み

Side:久遠一馬


 清洲城の改築もだいぶ進んで信秀さんの館が完成した。現在も建設中なのは主に天守と時計塔になる。


 まあ信秀さんの館は一部が完成した場所からすでに使っていて、今回は全体が完成したということなのだが。


 以前にも説明した通り、基本設計はエルたちがしたものだが、信秀さんや信長さんの意見と要望があちこちに入っている。清洲城に関して言えば、史実の安土桃山時代と江戸初期にあった城よりも広く大きいものになるだろう。


 基本構造は防衛というよりは権力の象徴という意識が強い。この時代の城は軍事施設なので複雑な構造と防衛設備があることが当然であるが、新たな清洲城はシンプルに住みやすく豪華絢爛な城になる。


 時間が掛かったのは液状化対策とかもしたからだろう。史実の西暦一五八六年にあった天正地震の対策になる。尾張の欠点は軟弱な地盤なんだよね。


 学校とか病院とか工業村に蟹江でも液状化対策の地盤改良と地震による倒壊対策をできる範囲でしたんだ。


「かじゅま~! える~!」


 今日は館の完成のお祝いに来たのだが、お市ちゃんが待ってましたと言わんばかりに城の玄関で待っていた。


 まるで久々に再会したみたいな喜び方だけど、昨日も一緒に牧場で小豆芋の収穫をしていたよね?


 案内してくれるようなので一緒に館の廊下を歩いていく。庭の景観は秋を感じるようになった。実は清洲城の庭は日本式庭園と西洋式庭園の二種類がある。今見えているのは日本式庭園だ。


 西洋式庭園は現在造営中になる。西洋式庭園は信秀さんの希望で作られることになった庭なんだよね。正直、オレとしてはすべて家庭菜園にでもすればいいと思うが、客観的には景観も必要なのは確かだろう。特に清洲城は他国からの使者が来るからね。


 新しくした広間は今までの広間とは違う。普段はふすまで仕切っているが、襖を取り払うと広く数百人が一度に集まれるようにした。


 この日も織田領各地から家臣がお祝いに来ていて、大広間は多くの人で賑わっている。


 オレたちは信秀さんや信長さんに挨拶をして、あとは織田一族に挨拶すれば自由にできる。そういう点では身分があると楽だね。というか、挨拶を受ける立場だから、どっかで遊んでないと挨拶待ちの行列ができてしまうんだ。


「新たな館の完成、おめでとうございます」


 主要な人たちが揃ったあとに、ある人が広間に姿を現すと和やかだった人たちが静まり返った。


 林新五郎秀貞。信長さんの以前の筆頭家老であり、弟の林通具が謀叛を起こして謹慎処分だった人だ。


「久しいな、新五郎。息災であったか?」


「はっ、ご温情を以って、穏やかな余生を過ごしております」


 ほんの数年前までは政秀さんと同じくらい織田家で力があった人だ。それがまるで腫れ物を触るかのように周りから見られるのはどんな気分なのだろう。


 信秀さんは過去になにもなかったかのように、秀貞さんに優しく声を掛けた。


「皆とも話したのだが、そろそろそなたの蟄居を解くつもりで呼んだ。今日は新しい館の完成祝いだ」


 しんと静まり返ったままの広間には信秀さんの声が響く。お市ちゃんも空気を読んでかエルの膝の上でじっと大人しくしている。こんな様子を見ると成長したなと感じるね。


「某は謀叛人の兄でございます。林家の存続を許されて、穏やかな余生を頂けただけで十分でございます」


 信秀さんと秀貞さん。他人にはあまり入り込めない何かがあるように感じる。実際苦楽を共にしたんだろう。そんな雰囲気だ。


 まあ、この人に対する処罰は確かに甘かったんだよね。そのあとに勝手なことをした大和守家の旧臣とか蜂起した土岐家の旧臣は厳格に処罰されるか追放されたし。


「そなたは三郎とは合わぬゆえに損な役回りをさせたな。五郎左衛門が三郎の守役として信頼された一方で、そなたは三郎と合わぬと思うたがゆえに必要だったのだ。結果として上手くはいかなかったが、周りに相反する者のひとりも置かねば三郎のためにならんと思うてな」


 秀貞さんは現状からの名誉回復をあまり望んでないようにも見えた。まあ林家は娘婿が継いで評判も悪くないしね。このままでもいいと思ったのかもしれない。


 ただ、そんな秀貞さんに信秀さんは、彼を信長さんの筆頭家老にした理由を打ち明けた。


 多分秀貞さん本人は知っていた話なんだろう。信長さんは微妙だ。ほかは知らなかったんだろうな。そんな雰囲気だ。


「いえ、すべては某の未熟と不徳の致すところ。己の力量がいかに足りなかったか、今の尾張を見ておれば、わかるつもりでございます。あの愚かな弟も草葉の陰で理解しておるでしょう」


「そう言うな。一馬の真似はわしもできぬ。ゆえに任せておるのだ」


 悔しさは見えない。なんというか客観的に自分を見られる人というか、悪く言えば冷めている人にも見える。


 わずか数年で自分たちが築き上げた尾張が変わったことに対しては、複雑な思いもあるんだろう。


「これからは若の世。某のような謀叛人の兄は不要でございましょう」


 ただ、ここで秀貞さんは信長さんをこの日初めて見て、声を掛けるように語った。


「罪も功もすべて己の責と器であろう。そなたが本当にオレに謀叛の意思がなかったと言うのならば、最後まで己で証し立てしてみせろ」


 それが信長さんへの問い掛けだと信長さんも感じたのだろう。信長さんが口を開いた。


 なんというか言葉はきついが、嫌いな相手とも向き合おうとする姿は以前とは違うと思う。


「……変わられましたな。若。他者を理解しようともせず、ご自身のお考えを伝えようともなされなかったのに」


「そなたの考えは未だに理解はできぬ。とはいえ、理解しようともしなかったのはオレも悪かった。疑う前に問うべきだったのだろうな」


 信秀さんは信長さんと秀貞さんの会話を、口を挟まずに聞いている。親として我が子を見守るという様子だろう。


 あれから三年ほど年月が過ぎている。お互いに合わないとは理解しているが、憎しみあっているわけでもないし、理解しようとしている。


 このふたりの史実の関係も厳密にはわからない。最後は追放されたが、長らく文官として働いていたのも確かだ。


 結局、歴史とは残された資料からの推測に過ぎない。目の前のふたりは少なくとも最後の一線を越えないで歩み寄ったのだと思う。


 正直、家臣というものをどこまで信じてどこまで疑うか。足利将軍家とか見ると信用できないのも理解する。ただまあ、共存という方向に進まないと双方のためにならない気もする。少なくとも同じ織田家の人間なんだしね。


「織田は今、新しい方法で人と領地を治めようとしておる。親父を助けてやってくれ」


「……心得ましてございます」


 最終的に信長さんが秀貞さんを説得した。この影響は本人が考えているより大きいかもしれない。信秀さんと土田御前の嬉しそうな顔が印象的だ。


 先日にはエルと土田御前にお説教されたからね。効果があったんだろう。




◆◆◆◆◆◆◆◆


 天文十九年。織田家では元守護代であった織田信友と、信長の元筆頭家老だった林秀貞の復帰が許されたと幾つかの資料にある。


 この時代では謀叛を起こした者や、戦った者が許されて仕えることも珍しくはなかったとはいえ、彼らがすでに過去の人となっていた織田家では驚きがあったとの記録がある。


 復帰が許された理由に関しては、滝川資清の『資清日記』にそれらしい記載がある。織田家の急速な拡大と各種改革の影響で使える人材が足りないと信秀や一馬が悩んでいたようで、彼らの復帰が認められたと思われる。


 信秀と敵対した者には、使えないと判断されて追放や処刑された者もいたようで、彼らがそれなりに優秀だと認められていたことが隠居や蟄居で許されていたという事実にも表れていると推測できる。


 



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