第526話・初秋の庭にて

Side:久遠一馬


 気が付くと夏が終わっていた。季節の変わり目はこの時代に生きる人々だと元の世界より敏感に感じるらしい。食べ物が変わるからだ。


 夏野菜も終わり、スイカやメロンも終わった。この時代のメロンと言えるマクワウリも、貰い物として頂いたので何回か食べた。メロンに比べると甘さは足りないが、あれはあれで美味しくいただいた。


 キュウリの漬物やトマトソースに乾燥トマトなど、夏野菜を可能な限り保存するべく、いろいろ作るのも楽しい。


 そういえば山科さんから宮中でミルクティーを飲んだという手紙が、信秀さんのところに来た。


 宮中試飲会に参加したみなさん、驚き喜んでくれたようで、牛乳を飲むことが流行りそうだとも書かれていたみたい。


 山科さんには牛乳は鮮度と搾乳さくにゅう時をふくめた衛生管理に不安があるから、気を付けるように助言したんだけど大丈夫かね? でもまあ、この時代の人も馬鹿じゃないし、お腹は元の世界の日本ほどデリケートではないから大丈夫だろうとは思うけど。


「関所の撤廃は概ね順調です」


「概ね?」


「一部では銭を取れないのならば、自分の土地に入るなという者がいました」


 この日は夏野菜の終わった庭の畑の後始末をしている。秋の野菜などはまだあるが、夏野菜のあとには冬の野菜を植える予定だ。


 そんな作業をしながらオレはエルから、先日からいよいよ始めた清洲・那古野・津島・熱田・蟹江の間の関所撤廃の報告を受けている。


 困った人は何処にでもいるね。この時代は行政によるセーフティーネットもないので自己責任の時代だ。当然の反応ではあるが。


 ただ、正式な領地にはみんな根回しした。変な騒ぎを起こしているのは、それ以外で勝手に銭を取っていた領民だ。


 そこまでは保証しないし、きちんと説明と注意をしても駄目なら罰するしかない。


「道の件は正式に織田家の管轄にするべきだね」


「一部の重臣からも同じ意見が出ているようです。ここまでするなら所有権を明確にしたほうがよいと」


 この調子だと朝廷や幕府が切り売りするようにばら撒いた権利や権限を取り戻すのが、織田家の仕事になりそうだね。道は正式に織田家の管理下において、整備の義務も織田家が負うべきだろう。


 重臣などもそろそろ現行のやり方に慣れてきていて、ウチがいちいちアドバイスする前に考えてくれているのが嬉しい。


 関所撤廃の評判はいい。特に商人の反応はいいね。関所で一番銭を払っていたのは彼らだし、その分だけ販売価格に上乗せされていたから。


 撤廃区間がひとつの経済地域となる日も遠くないだろう。


「新設の関所はどうなった?」


「そちらは急造きゅうぞうでは有りながら明確な尾張の統治者の関所として人を配置しました。三河で使っていたゲルが戻ってきましたので、ゲルを臨時の関所施設にしました」


 それと関所撤廃区域とそれ以外の地域の間には関所を新設した。この時代以降にも良くある、税の名をかた掠取料りゃくしゅりょうを取る為のものでなく人を検める関所だ。


 本来は織田領全体でやりたいことだが、三河や美濃は飛び地が多いこともあるし国人領地は交渉が必要だからね。関所を撤廃した地域を守るという名目で織田家の管理する関所を置くことにした。


 立派な建物や人が抜けないような塀や柵もない。だが昨年の水害と本證寺の一件で家を失った人たちの仮設住宅として三河に提供していたゲルが戻ってきたんだ。


 それを関所の屯所として利用したらしい。ゲルなら雨風をしのげるし、すぐに移動もできる。臨時の関所にぴったりだね。


 あとは当面はやってみて問題点を洗い出していくだけか。


「ケティは美濃だしね。大丈夫かな?」


「問題ありませんよ」


 それとケティは現在、稲葉山城に往診に行っている。勝家さん率いる千五百名の護衛と共にだ。美濃で診察を数日する予定なんだ。


 護衛はまたしても勝家さんだ。奥さんの結核もすっかり良くなったようで、ウチに、特にケティに恩義を感じているらしく裏切る心配がない。


 あとは湊屋さんとか滝川益氏さんに慶次とかも同行したが。


「美濃も変わりつつあるんだよなぁ」


 道三さんに関しては驚くほど変わったのかもしれない。夏の花火には奥さんたちと息子の義龍さんと共に見物に来ていたし、統治方法も変わった。


 正直なところ、あまり統治が上手い人ではなかった。評判も悪かったしね。ただ、ウチがアドバイスしたことを着実に実行していて、稲葉山城の城下町である井ノ口は、尾張との商いで賑わっている。


 尾張から見て西の大垣城と北の稲葉山城。このふたつが美濃全体を経済的に牽引する拠点となりつつある。




 畑の作業が終わったので手足を洗って屋敷に入ると、湊屋さんの息子さんが来ていた。名前を儀介という。湊屋儀介。みんなからは湊屋の若旦那と言われている人だ。


「若旦那さんか、なにかあった?」


 オレは若旦那さんと呼んでいる。基本的に年上は呼び捨てにはしてないんだよね。慶次とか年が近い者や年下の者は別だが。


「はっ、大湊から書状が届きましてございます」


 この儀介さんは蟹江の織田家の代官屋敷に滞在していて、事実上の蟹江の代官的な仕事をしている。無論湊屋さんも一緒だが、湊屋さんはウチの商いの全般を担当しているから、彼が蟹江の細かい差配をしている。


 まだ二十代前半のしかも新参の自分が蟹江の差配などと戸惑っていたが、商いを理解して蟹江を任せられる人なんてほかにいないんだよね。


 大橋さんなんかでもできそうだけど、あの人は津島で忙しいし。ほかに商いを理解して任せられる人はみんな忙しい。


「これ、内容は見た?」


「いえ、ですがそれとは別に父にも文が来ておりましたのでおおよその内容は……」


 ひと通り読んだ手紙をエルに渡して見せると、儀介さんに声をかけた。


 内容は堺が南蛮船の建造を考えているという商業界の最新情報だ。同じ情報は畿内での情報収集を頼んでいる伊賀者からも先日知らせが届いたし、ウチはオーバーテクノロジーがあるからもっと前から知っていたことではある。


 とはいえ大湊からの情報も早い。これが重要だと理解しているんだろう。この後、ウチに擦り寄りたい色々な所から、同じ話が持ち込まれるだろう。


「造れるものなのでございましょうか?」


「うーん。もと根本こんぽんの構造が違うんだよね、南蛮人たちの船は。構造を知っている人がいるか、詳細な図面とかないと十年はかかるんじゃないかな」


 大湊からはどれくらいで建造できるものなのか、教えてほしいと手紙に書いてあった。彼らが自前で交易を始めれば状況が変わるからね。気になるんだろう。


 儀介さんもウチの利権が取られるのではと少し心配してきたようだ。この場に湊屋さんがいないのは、ケティのお供で美濃に行っているからなんだ。商い関連の視察を頼んだんだよね。


「船が造れるようになるまで銭が続きませんよ。それに船ができても交易ができるわけではありません。ただでさえ堺の商いは縮小しているのに……」


 エルが書状を見てため息交じりに答えた。無謀だと顔に書いてある。言わなくてもわかることだが。


「では脅威ではないと?」


「そうですね。脅威ではないですが、問題ではあります。これ以上堺が混乱して疲弊すると畿内の全てに影響しますので。それが新たな火種となって、争いが起きることも……。巻き込まれるおそれも考慮しなくてはなりません」


 儀介さんは南蛮船の建造が現状ではほぼ無理だと理解して少しホッとするが、エルの表情は芳しくない。


 腐っても堺とでもいうべきか。あそこは畿内の重要な町であることに変わりはない。その混乱は経済のみならず様々なところに波及するだろう。


 しかし、歴史ではなく現実として生きると上手くいかないね。なんで本願寺が味方で堺が敵なんだ?


 蟹江もいろいろと人が増えて湊屋さんと儀介さんも大変そうだ。そろそろ蟹江のウチの屋敷もできるから、任せる予定のミレイとエミールを早く呼び寄せたほうがいいのかもしれない。




◆◆

湊屋さん。久遠家家臣。元大湊の会合衆の商人。


勝家さん。柴田勝家。


滝川益氏さん。滝川一益さんの従弟。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る