第529話・秋のひと時

Side:織田信長


「人が人を治めることが、これほど大変だとはな。よくこれで治められておるな?」


 オレは今日も清洲城で人を治めることを学んでおる。大変なのは見ておったので、知っておったつもりだった。れど、じつつとめをおのれでやってみると大変どころの話ではない。


 勝手なことばかりする家臣や寺社や領民に対して、いちいち判断して動かねばならん。爺ならば上手く対処できるのであろうが、よくも問題が尽きぬのに、騒動に至らぬものだと疑問が浮かんだ。新五郎が筆頭家老の頃は何も言うてこなんだが、尾張半国にもならぬ頃とは言え、上手うもこなしておったということか。


「重要なことと厄介なことは一馬たちが素案を出しておるからな。あとはなるべく公平にするだけだ」


 思わず隣におった与次郎叔父上に愚痴をこぼすと、上手くいっておる理由を教えられた。なるほど、かずとエルたちが差配しておればうまくもいくか。小さき島々とはいえ、かずも親父と同じ、数多の諸衆を束ねる立場の領主だからな。


「公平にか?」


「それが一番、不平不満が出ぬそうだ。実の処、地位や家柄で判断を変えると、ろくなことにならんのは言われなくともわかる。それに上の者こそ、己がもとに連なり、生き暮らす者たちの模範となるべきであろう」


 左程に難しきことはしておらん。とはいえ厄介なことも多い。叔父上は新しき治め方を理解しておるようだが、果たしていかほどの者が同じく理解しておることやら。


「分国法もそのために作ったものだしな、ようやく形になったか」


 いかなるわけか、かずたちは初めからこの形を見通しておった気がする。決まり事を明確に作って、なるべくその通りにする。


 言うのは簡単だが、実をおこのうのは大変だ。


「確かにこれならば戦はなくなるかもしれん。とはいえこの先、あらが邪魔じゃまては大きかろうぞ。古き権威と習わしを重んじる者は認めぬだろう。正直、わしや息子が当主でなくてよかったとさえ思う」


「望むところだ。誰かがやらねばならんのだ。ならばオレと親父でやる」


 与次郎叔父上が斯様かようなことを言うとはな。孫三郎叔父上ならば、そう言うと思うたが。


 しかし今やらねば織田も日ノ本も先はあるまい。世の中は進んでおるのだ。いずれ南蛮の兵が大挙して押し寄せるのかもしれぬ。左様さような時に内輪もめをしておっては守れるものも守れなくなる。元寇の時のように日ノ本が一致団結しなければならないだろう。


「久遠家に助けられるのは構わん。だが頼り過ぎては久遠家とて困るであろう。それに美濃も三河も未だ予断はゆるさぬはずだ。ひとつ間違えれば、すぐに周りが敵だらけになるぞ」


 叔父上が少し不安げに現状と先のことを口にした。確かに今の織田家は久遠家に支えられておる。だがそれでは駄目だと皆がやる気になっておるということか。


 まずはオレがしっかりせねばならぬな。爺や親父の背負う荷を減らしてやらねばならん。




Side:久遠一馬


「すっかり形になったね。この短期間で」


 この日は清洲郊外にある運動公園にて、ウチの兵たちの訓練が行われている。総勢二百五十名の精鋭だ。


 信秀さんの許可をもらって、一部警備兵から引き抜いた人や、ジュリアの弟子がウチに仕えることになった。人選はジュリアとセレスにお任せしたが、一党いっとう一家いっかの当主以外だと割と自由らしいね。


 初期に仕えてくれた信長さんの悪友やその後に募集した兵もいるが、彼らは文官としてや商いで働く人も多い。あとは忍び衆の中からも数人、そちら側に引き抜いたらしいけど。


 忍び衆も兵といえば兵なんだが、あっちは諜報と工作が専門だからね。仕事と能力が合わない人も忍び衆にはいるんだ。ちなみに忍び衆に関しては現在でも増えている。


 各地から雑兵以下の扱いの素破や乱破などが今も逃げてくるからね。


 ただ少し増えすぎなんだよね。信秀さんとは忍び衆の所属をどうするか話をしている。織田家直轄の忍びも僅かだがいるので、今後はそちらで雇うことにするように調整しているんだ。ただ、ウチと織田家で待遇の差が出てしまうと問題が出るんだよね。


 これ以上ウチだけが力を持つのはよくないからね。もっともこの時代では力を求め、配下を持つことが当然であり、多少警戒はされているが反発までは表立ってはされていない。


 とはいっても忍び衆の運用は結局ウチがすることになりそうだけど。ウチの忍び衆と織田家直轄の忍び衆の役割分担とか必要だし、そもそもの問題として忍び衆の運用ノウハウはウチにしかない。


 将来的には統合して諜報機関とするのが望ましいかな。でもウチの忍び衆は忠誠がウチに向いているから当面は無理だろう。なんとかして、忠誠心が織田家に向くようにしないといけないな。


 現状では忍び衆の大半は商人やくすとして他国に行っている。以前は今川家で捕まった人がいたけど、ほかはそう露骨に捕まえることはしていない。


 薬とか塩とか魚の干物とか、売っているものは確かにあるしね。領内に入ってから出るまで見張っていても、村を回って、商売をしているだけだ。忍び衆以外の尾張商人も他国に売りに行くので、今や伊勢よりも尾張商人が増えているかもしれない。主にウチの影響で。


「今川が動きそうなので訓練を急がせています」


 少し話は逸れたが訓練の差配はセレスがしていて、直接の指揮は一益さんがしている。オレはエルと視察しているが、少し離れたところでは一益さんと兵のみんなが訓練している姿が見える。


「どうなるんだろうね。今川は……」


 今川の様子が微妙だ。義元と雪斎はどうも本気で甲斐を狙うつもりらしいが、一方で今川家中には今まで友好関係にあった武田ではなく尾張を攻めるべきだという意見が根強い。


 それと義元の求心力に陰りが見え始めたのは朗報なのか悲報なのか。


 そもそも義元はよくよく調べてみると、史実においても戦にて絶対的な強さを発揮したというほどでもない。元の世界では創作の疑いもあった第一次小豆坂の戦いでは、信秀さん率いる尾張方に敗北しているし、駿河河東は武田と同盟したことにより北条に奪われていた過去がこの世界でもある。


 個人的には、どちらかといえば政治向きな人なのではと思う。領内統治や外交で盛り返したようにも思える。まあそれも太原雪斎の功績かもしれないが。


「甲斐攻めならばいいのですが、困ったことに内乱の気配もあります。その場合は動かねばならないかもしれません」


 第二次小豆坂の戦いはこの世界では起きていない。あの戦いで史実の織田家は苦境に陥ってしまい、織田信秀は挽回することなく亡くなってしまう。


 言い換えれば第二次小豆坂の戦いは、今川にとっても重要だったということかもしれない。


 織田の三河侵攻に対抗するためという名目で三河を勢力圏に収めていたものが、ろくな戦もしないで奪われるというのはこの時代の武士には許せないことなんだろう。


 今川で内乱もありえると警戒していて、織田家では密かに準備をしている。今川が揺れれば北条はともかく、甲斐の武田が南下してくることもあり得る。織田も動かざるを得ないというところだろう。


 今川に関しては史実の歴史がほとんどあてにならない状況だ。北条とは織田家の方が親しく、同盟にいたらないのは双方ともに離れていて特に必要性がないからだ。


 織田家から派遣される船団の代表は、謁見できる身分でなくとも毎回必ず小田原城に呼ばれて氏康さんへの目通りが叶っている。その際に畿内や関東の情勢を話して、商いの意見や要望を精査し合うことが定例になっている。


 まあ北条とすれば今川の謀略で関東が荒らされるのを抑えられればいいのであって、西と東から今川を抑えている現状で十分なんだろう。実際、今川は関東のことに口を出す余裕がなくなったからね。


 結果としてあらゆる選択肢を考慮して準備が必要だ。


 というかこの世界では義元は海道一の弓取りなんて言われないだろうね。恐らく信秀さんがそう呼ばれるはずだ。


 特に三河の本證寺との戦は評価が高い。ただ信秀さんって意外と素直で、自分の策じゃないって言っちゃうんだよね。おかげでエルの策であることが結構知られている。変に深読みして警戒する人もいるけど。


 まあそれで信秀さんを過小評価する人なんていないが。家臣の功績をちゃんと認めるふところの深い殿様だと余計に評価があがるくらいだ。家臣の手柄を横取りするのが当たり前の時代だけに、逆に新参者でも手柄を正当に評価してくれる殿様というのが、今の信秀さんの評判だ。


「武田よりは今川のほうが共存できるんだよねぇ」


 武田晴信こと信玄との共存は難しそうなんだよね。裏切りの代名詞のような人だし。統治の考え方も領国の運営もまったく違う。むしろ今川のほうが共存は可能だろう。


 とはいえ、義元もどうなるんだろうな。下剋上で義元や雪斎がいなくなったら、共存なんか不可能だろうし。本当、今川はどうなるんだろう。


 甲斐攻めをして桶狭間のようにならなきゃいいけど。




◆◆

与次郎叔父。織田信康さん。犬山城城主。

孫三郎叔父。織田信光さん。守山城城主。

新五郎。  林秀貞。信長の元筆頭家老。

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