第524話・関所の廃止

Side:蟹江近郊の領民


 蟹江はすっかり変わったな。ほんの数年前までとは大違いだ。ウチの村じゃ田んぼで暮らしていたが、近頃では蟹江に働きにいく奴が何人もいる。


 年寄りなんかは若い者が村から出ていくことに怒っていたが、どのみち賦役で外には出るんだ。しかもウチの村は海が近いせいか米の出来があまりよくない。


 賦役のおかげで安心して暮らせるんだ。外に出るなというのは無理だと思うんだがな。


「聞いたか? 隣村の連中、関所を止めたらしいぞ」


「へぇ。なんでまた。あの欲張りな連中が?」


「なんでも織田の殿様の下知げちらしい。このあたりはことごとく関所を廃止するらしい」


 ウチの村は街道からも外れていて人が来ることはあまりないが、隣村の外れに少し前に蟹江から清洲や那古野に行く街道ができたので、よく人が通るようになった。連中はそれに味を占めて村を通る人から銭を取っていたからな。


 一時は病院に行く者や賦役に行く者からまで銭を取ろうとしていさかいになった。さすがにこれは清洲の目安箱に訴えたら止めるように命じられていたけど。


 隣村の連中は陰では文句を言っていたが、近隣の村では喜んでいる。そもそも蟹江に町ができるまでは銭なんか取らなかったんだ。街道ができた途端にそんなこと始めやがって。


 おかげで昔は誼があったが、近頃では口も利かなくなっていたんだ。


「止めてよかったよ。織田の殿様が造った道で、なんで連中が銭を取るんだ?」


「どこでもやっていることだろ。ただお触れが出たからな。今後は勝手に銭を取ると罰を受けるんだと」


 隣村の連中の汚いところは武士とか坊主からは取らないことだ。弱い立場の者ばかり狙ってやがる。仕方ないとみんなは言うが、本当に仕方ないのか?


 織田の殿様はおらたちみんなが飢えず食えるようにしてくれる。だが汚い連中には甘いからな。不満もあった。


 贅沢をしたいわけじゃねえ。働きに行くときや病院や市に買い物に行く時くらいは、銭を取られずに行きたいだけだ。


 隣村のような連中はみんな捕らえて罰してしまえばいいんだ。




Side:津島の商人


「しかし、織田様がじかに関所を押さえるとはな。よく津島神社が許したな」


「いろいろ揉めたらしいがな。商いはすでに久遠家が差配しておる。勝てんからな」


 数年前までなら考えられなかったな。津島は織田家に従っておるが、それでも津島の中にまで口を出されることはなかった。


 商人仲間の語る通りだろう。勝てん。それがすべてだ。以前は近隣の商人が集まっておった桑名でさえ、ろくに反論も許されず衰退してしまい、最後は会合衆が同じ桑名の商人たちに討たれてしまった。


 他家ならば詫びの銭で矛を収めるだろう。だが織田家では自前で商いも交易もできるからな。


 仲間の商人が討たねばならぬほど追い詰められたことは恐ろしくもある。


「久遠様は尾張を変えたいのであろうな」


「それは確かだろう」


 ただ、織田様も久遠様も損得勘定が極端に変わらぬようには配慮してくださる。故に新しい試みにも大きな反対をしにくい。特に久遠様は商人だからな、反対するとこちらが損をするような提案をしてくるんだ。


 関所の件は今後織田領の者は銭を払わなくても領内を行き来するようになり、関所は人を検めて他国の者から銭を取る場所になるという。


 新たな商いの機会ができるだろう。関所に関してはすでに蟹江で試しておると聞き、実際に見に行った者も多い。どうもあそこの関所は疫病を防ぐためと、他国の怪しげな者を調べるための関所だからな。銭を取ることは二の次なのであろう。


「まあ津島は問題あるまいし、悪くはあるまい。願証寺と大湊辺りは心中複雑だろうがな」


 ただ、我らはまだいいほうだ。織田家にとって津島はもっとも古くから従う町だから扱いがまったく違う。


 それと引き換え内心で困っておるのは願証寺と大湊か。織田家に臣従しておらぬことで、口を出せぬままに世が変わっていくのだ。怖さもあろう。


 近頃の織田家はそこが露骨だからな。素直に臣従する者には手厚く、また従わぬ者や反発する者には利を与えん。その手法はまるで商人か寺社のようでもある。


 これが本当によかったのかどうかはわしにはわからん。とはいえ今後尾張の下四郡はより栄えることだけは確かであろう。




Side:久遠一馬


 清洲・那古野・津島・蟹江・熱田の間の関所廃止が正式に発表された。


 大きな問題は起きてない。一部の勝手に税を払えとお金を取っていた者は騒いだようだが、街道沿いの主要な勢力とは話がついている。


 もっとも、なんの権利もないのに道を塞いで、通りたければ銭を払えと脅す連中は何処にでもいる。


 まあそんな連中にも一度は丁寧に指導するようにはしている。というかそれ関所じゃなくて賊だから。でもまあ今まではそれでまかり通っていたんだよね。


 関所の件は勝手に関所を作らないように分国法にも明記したし指導していたが、今まで当然のようにやっていたことがそれに違反すると理解してない人もいるし、意図的に無視している人もいる。


 ただ、この段階でそんなことをしているのは織田家に従う武士や寺社ではなく、自称武士の土豪や村単位の領民だったりする。


 国人などの武士は大人しい。事前に説明と調整をしたし、今の織田家に逆らうと普通に領地召し上げで死罪や流罪になるからね。


 武士に関しては関所の税が重要だったところもそれなりにあった。借金があって関所を禁じられたら生きていけないなんてところも。最初だし場所が織田家の本領とも言える地域なんで、そこは丁寧に調整した。


 問題なのは領民のほうかもしれない。権利は欲しいが義務は要らない。与えられるものは受け取るが、自分たちの暮らしには口を出すなと考えている人が一定数いる。


 まあこの時代に限らず、いつの時代でもいると思うけど。


 みんなで協力して生きていかないといけない。それを理解してもらうのにどれだけの時間がかかるんだろうね。




◆◆◆◆◆◆◆◆


 天文十九年秋、織田家では清洲・那古野・津島・熱田・蟹江間での関所の廃止をしたと織田統一記にある。


 これは織田家で進めていた中央集権の一環だったようで、歴史学者の中には、すでにこの頃の織田家が中世的な統治から脱却をしていたのだと主張する者もいる。


 ただ、当時の資料にはこの関所の廃止に際した調整の苦労と混乱があったという記録もあり、まだ過渡期にあったというのが定説となっている。


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