第523話・畿内の様子
Side:三好長慶
松永弾正が尾張より戻った。入れ違いで堺の会合衆が南蛮人を逃がしたが、まさか連中が尾張へと行くとは思わなんだ。
連中め。よほど日ノ本を軽んじておると見える。
「
「はっ、花火もまた噂以上でございました。織田は夜空を制したという噂も、あながち偽りではございませぬ。山科卿に至っては、是非とも主上に
それにしても、弾正め。南蛮人について聞きに向かったはずが、織田や斯波は元より山科卿と共に花火を見物して、茶会や歌会にまで出ておったとは。いやはや、こやつにしかできぬことよ。
しかも、見たこともない白磁の茶器を土産として持ち帰った。家中にはさっさと戻らなかった弾正を責める声もあるが、そのようなことは些細なことよ。
「ふむ、やはり織田は畿内に介入する気はないのか?」
「ござらぬようですな。お会いした織田家の当主、重臣も、斯波武衛様にもその気はないようでございます。それよりも尾張を豊かにすることに熱心な様子」
弾正の報告では美濃の斎藤家とも関係は良好だという。今川は健在だがあちらも織田との争いを避けておる様子。尾張に美濃と三河の自領地の兵で畿内に向けて上洛すれば、形勢が一気に変わる。
今ならば六角と組んで斯波と織田で天下を狙うことも、公方様と三好家の和睦を斡旋することもできるであろう。六角も本心から我が三好家と争うのは望むまい。朝廷の覚え
「殿、それで堺を攻めるので?」
「まだ決めてはおらん。そう見せて堺が如何に出るかによる」
「聞けば平身低頭、
「弾正は堺との和睦には反対か?」
「堺より織田との関係が気になりまする」
南蛮人に船を沈められた明の密貿易船の商人は南蛮人を逃がしたことを怒っておったが、尾張で
問題は堺の扱いだ。平身低頭な堺に、家中では矢銭で和睦が落としどころだと見ておる者が多い。とはいえ弾正は堺よりも織田が気になるとは。
「堺を潰しても織田との
「はっ。堺よりも織田との誼を保つべきかと思いまする。久遠家では、今回初めて堺にやってきた、あの複雑な帆の南蛮船を上回る物をすでに自前で建造しておる様子。それに加えて、すでに諸国から様々な品々が尾張に集まっております。織田が六角に味方すれば、京の都は維持できませぬ……」
「仏は仏のままにしておかねばならぬか」
仏の弾正忠といえば、今や畿内でも知らぬ者はおらぬ。領民には拝まれるほどで弾正忠のためならば喜んで死ぬ者も多かろうとの噂だ。
とはいえ以前は虎と言われた男だ。三河の一向衆のように不義理をすれば修羅に変わる。あの一向衆を瞬く間に鎮圧して戦を終わらせた手際は恐ろしい限りだ。
石山本願寺や加賀よりは規模が小さいので当然だと言う者もおるが、あれは織田が一向衆の力を削いだからこそであろう。敵に回していい男ではない。まして三好家には織田と対立する理由がないのだ。
「織田は堺になにを望むのだ?」
「少なくとも偽金色酒と堺銭はやめさせねば交渉にもならぬかと。偽金色酒は朝廷と石山本願寺も気にしております。また堺銭は質が悪く、尾張では
「あの愚か者ども。さっさと織田に詫びを入れればよかったものを……」
いっそのこと堺を本当に攻めてしまうか? いや、その前に偽金色酒と粗悪な銭を改めさせるほうが先か。少なくともそれを要求すれば織田に配慮したと言えよう。
あとは堺の出方次第だな。
Side:堺の会合衆
会合の席はいつにも増して重苦しい。やることなすことすべてが裏目に出たからな。
「それで斯波家からの使者はいかがしたのだ?」
「これ見よがしに南蛮人に乱暴されて自害した遊女と、止めようとして斬られて死んだ遊女屋の墓を詣でて帰ったわ」
斯波武衛家か。しばらく名を聞かなかったが、尾張では健在であったか。すでに三管領と言われた頃の力はない。とはいえ家臣である織田の力は畿内の争いを左右するほどだ。
三好家も六角家も織田との争いは避けたいのが本音であろう。それに足利家に連なる名門斯波家の名は軽くない。
そんな使者が抗議と絶縁を言い渡しに来るとは穏やかではないな。反論も謝罪も許さぬとはさすがに驚いたのが本音だ。
肝心の使者は南蛮人の被害に遭った者たちに仇は討ったと知らせに歩いておるばかりか、連中が奴隷として買っていった者たちの文を持参して家族や親戚に届けておる。
おかげで会合衆の評判は更に地に落ちた。尾張の武士は信義を大切にして情け深い。それと引き換え我ら会合衆は、日ノ本の民を遥か地の果てに売り飛ばしたと言われておる始末だ。
無論、使者は我らへの嫌がらせに、そんなことをしたのであろうがな。
「久遠が怒っておるのであろうな」
「当然だろう。連中は奥方を奪いに行ったんだ。陪臣の奥方とはいえ、斯波家も無視できぬほど激怒したと見るべきだろうな。だから余計なことを言うなと言ったんだ」
原因は恐らく久遠だ。新参だが久遠の船と商いの力は大きい。あんな賊の成れの果てのような連中をけしかけておいて黙っておるはずがない。斯波家とて今の尾張では久遠の怒りを無下にはできまい。
「三好様は矢銭でなんとかなるだろう。とはいえ織田との和睦はもう無理だな」
「なんだと! 東国との商いばかりか、近頃では西国の商人も尾張に行くのだぞ! このままでは飢え死にだ!!」
南蛮人の一件さえなくば三好様に頼んで和睦も考えられたが、とはいえ偽金色酒を止めぬ限りは和睦もなかったのだ。今更なことだな。
今では職人や商人の中には堺に見切りをつけて出ていく者まで出始めた。
明からの船も別に堺でなくともよいのだ。湊はほかにもある。昔から職人が多く栄えていた堺から職人が出ていくのだ。これに
「なにか手はないのか?」
「あるぞ。われらの首をもって織田に
「なっ……」
「織田は他家とは違う。自前で商いも交易もできるのだ。我らがおらぬほうが織田には都合がいいのやもしれぬ」
偽金色酒を作っておる者もさすがに危ういと思うのか、今日は大人しい。そろそろ和睦がしたいのは皆同じなのだ。
とはいえ機を逸したな。大砲を持つ珍しい南蛮人が来たからと欲を出してしまったのが間違いだった。
織田との商いを失い奪われた者は切実に和睦を望むが、織田嫌いの者が冗談交じりに最悪の条件を口にすると絶句してしまう。
とはいえ冗談では済まないのだがな。桑名では対立した会合衆は
「もうこうなったら、とことん織田に対抗するしかないだろう。どうだ。あの南蛮人の船を造らせてみないか?」
「我らも明や南蛮まで行って商いをするというのか? それにあんな船を造れるのか? 誰も中に入れてもらえなかったのであろう?」
「同じ船なのだ。なんとかさせる」
結局、和睦を願う者の声は、織田如きに譲歩するのは嫌だと言う者に話を流されてしまった。
偽の手形と金色酒に続き、今度は偽の船か。
懲りぬ者というのはいつまでも懲りぬのだな。
◆◆
三好長慶。松永久秀の主君。細川晴元の元家臣。現在天下人(仮)
六角家。近江の六角定頼の家のこと。現在足利将軍が逃亡中。
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