第517話・事件とは無縁の茶会

Side:久遠一馬


 南蛮船による襲撃の翌日、尾張は特に騒ぎになることもなく、いつもと変わらぬ様子だった。ちょっと意外だ。もう少し騒ぎになるかと思ったんだけど。


 ただ、理由ははっきりしている。賊による襲撃が珍しくないことだ。単に賊が南蛮人だったという程度の認識だ。ウチ以外だと初めての南蛮人なんだけどね。エルたちの一族が故郷を追われたとの後付け設定の身の上話や、南蛮人の危険性を以前から伝えていたことが実ったとも言える。


 南蛮人たちは蟹江の牢にいる。防疫の観点からも危険だと判断して蟹江に留め置くことになっていて、数日は蟹江で取り調べが行われる。


 そのほかには奴隷として連中が買った人たちが大勢いた。彼らの検疫と救護、取り調べも必要であり、今しばらく時間がかかるだろう。


 連中の乗っていたキャラック船に関しては沖合で消毒が行われている。冗談抜きにネズミなんかがヤバい病気を持っている可能性が高いんだそうだ。ネズミって数百メートル泳ぐ時があるんだよね。


 信秀さんに船の扱いについて問われたので、技術の確認のために船大工に預けたいとお願いして許可を貰った。消毒が終わり次第、ウチの船大工の善三さんと佐治さんのところの船大工の皆さんに預ける予定だ。二隻あるから教材には十分だね。


 南蛮人は裁きが尾張でされることになった。ほぼ確実に全員死罪だそうだ。斯波家や織田家の体裁と今後の尾張のためにも裁判権は他所に渡せない。形骸化してるけど、幕府の法律上も裁判権は守護の権限だ。


 弱腰とも受け取られかねないことをすると後に響く。まあこの時代に限ったことじゃない。


 堺には斯波家の名前で正式に抗議をすることにしたらしい。罪人を逃がした疑惑が通訳や一部の南蛮人から出ているのと、尾張に行けば白人の女がいると吹き込んだ連中もいるとのことに対してだ。


 あとは織田領への堺の商人の出入り禁止や交易の禁止なども検討するみたい。現状でも偽金色酒と偽手形の一件からウチの商品は売らないように頼んでいるから、事実上の交易禁止と同じなんだけど。


 ウチの個人的なお願いと、守護である斯波家からの正式な命令とでは意味合いが違うからね。違反したら罪人となる。




「さすがは織田でござるな。堺であれほど暴れておった南蛮の賊をあっさりと生け捕りにするとはの」


 この日は清洲にて斯波義統さん主催の茶会が行われている。昨年同様に野外と室内を合わせたティーパーティーといった感じだろうか。


 今オレの前でご機嫌な様子でミルクティーを飲んでいるのは山科言継さんだ。


 はっきり言わないが京の都にも近い堺で、得体の知れない連中が好き勝手にしていたことへ不満がかなり強かったみたいだね。


 ただ南蛮人自体を非難するのではなく、あくまでも南蛮の賊だと明言しているのはエルたちとオレへの気遣いだろう。


「とはいえ、あまり愉快な状況ではありません。遥か西にある南蛮の国では、勝手に世を二分してこの世の果てまでもおのれたちのものにせんと企んでおるとのこと。決して油断はできません。昨日の連中は、都落ちした賊のようなものでございます」


 いつものことではあるが、少し楽に勝ち過ぎたのが気になる。南蛮人など恐るるにたらずと軽く見ると困ったことになるんだよね。


「ふむ、日ノ本の外も乱世であるか。備えよと言うても、大樹があの体たらくではのう。おっと失言であった。忘れてくれ」


 山科さんはそれなりに見識があり、現実が見えている人らしい。このままでは駄目なのは理解しているが、朝廷が率先して動くのは無理だしやりたくもないのが本音か。建武の新政は悲惨な結末を迎えたからね。


 さらっと織田が畿内に来ればと言いたげな顔をするのは止めてほしい。三好も六角もそこまで望んでないだろう。


 今畿内に行けば泥沼が待っているんだ。


「これは、なんとも美味い茶だ」


 次にやってきたのは松永さんだ。この人も紅茶が気に入ったらしい。そういえば茶の湯が好きな人だったんだっけ。


 堺辺りで流行っている茶の湯とまったく違うんだけどね。抹茶も出しているけど、マナーとかはまったく違う。侘び寂びなんてないし。


 どうでもいいが、斯波家主催の茶会をシンディが仕切っているのはいいんだろうか。信秀さんがシンディの淹れるお茶が気に入っているみたいで任せたんだよね。義統さんも感化されたのか、異論はなかったみたい。これも一種の文化侵蝕なんだろうか?


「茶の湯でご高名な松永殿にそう言っていただけるとは、ありがたい限りですね」


「久遠家の茶の湯は畿内でも評判でござるな。越前の公家衆から京の都にも伝わったのでしょう」


 この人、まさかこの茶会に出るために残ったんじゃないよね? なんかそんな感じがするけど。


 好き勝手やっていたら久遠家の茶の湯という新しいジャンルにされそうだ。


 戦国時代といえば、侘び茶としての茶の湯が格式を確立したと、元の世界では有名だが、正確にはこの時代よりもう少し先のことになる。侘び寂びの茶の湯は現在でもあるが、どちらかといえば侘び寂びの茶の湯はまだ新しい文化なんだよね。


 歴史としては闘茶というお茶の産地を判別し合って遊興する利き茶の歴史が深く、いわゆる東山文化の頃から侘び寂びの茶の湯の流れが生まれたはず。


 華やかな茶の湯も、べつに悪いというものではない。


 個人的に寺院とかの侘び寂びは嫌いじゃないんだけどね。趣があって好きだ。ただ堺の商人は嫌いだ。侘び寂びなんてもてはやしておいて、自分たちで高値を付けた茶器を売りたいだけにも見える。


「それは畏れ多いことです」


 山科さんからも紅茶やミルクティーのことを言われたが、ウチの茶の湯が畿内で流行るのか? 正直畿内に広める気はなかったんだが。京の都は侘び寂び文化でいいのに。




Side:松永久秀


 美味い。牛の乳で淹れた茶がこれほど美味いとは。


 しかし織田は噂以上だ。南蛮人をあっさりと捕らえて船を奪ってしまったのだからな。できれば三好家も船が欲しかったのだが。致し方あるまい。


 堺の連中め。余計なことばかりしおって。


「この茶を売っていただきたいですな」


「ええ、構いませんよ。専用の茶器もお譲りいたします」


 おおっ、茶器は無理であろうと、せめて茶の葉を売ってほしいと久遠殿に頼んだのだが、まさか白磁の珍しい茶器も売ってくれるのか。


 これは薄く軽いうえに白い茶器で、一見するともろく壊れそうに思える。されどそこまで壊れやすいわけでもないらしい。


 しかしこの男が堺の会合衆をして、蛇蝎だかつの如く嫌い恐れさせておる噂の久遠家の当主だとは……。いずこにでもおりそうな人の良さそうな男にしか見えんが。


 わしも決して久遠家と織田家を甘く見ておったわけではない。されど尾張に来てみるとまったく印象が変わる。


 畿内では戦続きで荒廃しておるが、尾張は栄えておるとは聞いておった。とはいえこれほど栄えておるとは思わなんだ。


 これは下手なことをすれば畿内の勢力が一気に変わりかねんぞ。


 美濃の斎藤家からは当主が自ら来ておるし、伊勢の北畠家からは嫡男が来ておる。そのうえ、駿河と越前の公家衆が来ておるということは、今川家と朝倉家も織田とは争いを避けたいという考えが透けてみえる。


 たとえそれが仮初の力関係であっても脅威は脅威だ。近江の公方と取り巻きどもは気付いておるのか?


 ともかく織田を味方に出来る縁や利も義も、我ら三好家にはない以上、中立にするようにせねばならん。織田が六角と組んだら大事だいじとなる。


 堺の扱いは織田と少し話して帰る必要があるか。もしかすると堺は攻め落す好機かもしれん。石山本願寺さえ反対しなければさわりは大きくはないであろう。


 堺が織田と敵対しておるせいで三好家が被る損は計り知れぬ。その利が六角に行くのもおもしろうない。


 とはいえ……。


「もう一杯いただきたい」


「少々お待ちください」


 今はこの新しい茶を楽しむことにしよう。





◆◆

山科さん。山科言継。織田と朝廷の取次をしている人。

松永さん。松永久秀。

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