第511話・守護様の想い

Side:斯波義統


 晴れて良かったの。雨が降れば花火が見られぬというので皆が気を揉んでおったのだ。


 早めに動きを決め、余裕ある道行みちゆきとするために、わしは山科卿を始めとした公家や招待客と共にゆるりと津島へと向かう。


 わしらの後には同じく花火見物に向かう多くの領民が、少し離れて続いておる。皆がわしらの前を歩かぬようにと道を譲るが、花火が楽しみなのであろう。誰もが笑顔だな。その様子に公家や他国の者は驚きを隠せないようだ。


 これほどの権勢を世に示すことになるとはの。ただの祭りとしてしまうのは、少し惜しい気もする。


 近江では大御所が亡くなったが、公方は葬儀もそこそこに三好討伐を口にしたと山科卿がこぼしておったな。盛大に葬儀を行い、三好を呼び和睦でもすればよいものを。


 討伐をするのは構わん。されどいかにして三好から京の都を奪還して三好を畿内から追い出すのだ?


 後先を考えぬまま武威でも示したいのか? それとも細川晴元が許さぬのか? わからぬ。わからぬが当分、畿内は落ち着かぬな。


「あの馬車というものは面白きものよの」


 しばし考え事をしておったところ、山科卿が先ほど我らより先に清洲城を出立した馬車のことを口にした。


 京の都には公卿衆が乗る牛車があるが、今では困窮しておって使えぬとも聞く。馬で牽く馬車に興味を示して当然であるな。


「幼き者たちが学び舎に通うのに使うておりまする。尾張は田舎ゆえ橋もろくになく清洲から那古野までしか使えませぬが」


 馬車はせがれと弾正忠の息子と姫たちが那古野まで行くのに使うておる。今日は学校から学徒たちと一緒に津島まで行って花火見物をするらしいからの。せがれの特別扱いは不要じゃ。他の学徒と一緒に見物させるのがよかろう。


「牛車ではなく馬車とは考えたの。あれならば誰が使うても問題あるまい。牛に牽かせるよりも速そうである」


 難癖でもつけるかと思うたが、そこまで愚かではないか。もっとも牛車ではないのだ。公家に遠慮する気などないが。


 それにしても、公家の相手は疲れるわ。大人しく京の都に籠っておればよいものを。少し釘を刺しておくか。


「山科卿。田舎者の努力を取り上げることだけは、為さらぬようにお願い致します」


「そう案ずるな。われも主上もそのようなことはせぬ」


 山科卿はわしの懸念を理解したうえで、笑ってそれを否定した。だが過去を学べば朝廷と公家が世を乱す原因とも思える節もある。


 特に尾張には久遠家がおる。欲深い公家が騒ぐことも十分ありえるからの。


 先日には、なんの前触れもなく冷たい菓子を突然食わせてくれた。


 今や朝廷でさえ夏場に冷たい氷を食うなど珍しいというのに、他の者ならば恩を着せて立身出世を狙うであろう。それをあの男は弾正忠の姫たちに食わせてやりたいから作らせたというではないか。


 あのような者を愚か者どもに潰されてなるものか。


 弾正忠には、すでに畿内を敵に回す覚悟があるようだ。だがそれはわしとて同じだ。新しき世を願うは我も同じぞ。




Side:甲賀望月家の新参の家臣


 オレは今年の初めに望月家の家臣である親戚の家に婿に入った男だ。三男だったオレは親にさえも、郎党よりも低い扱いしかされなかった。


 そんなオレが望月家家臣となったきっかけは、昨年末に亡くなった先代のご当主が、兄であり先々代のご当主でもあった尾張望月家の殿に反発したことらしい。


 詳しい事情は、噂以外は知らない。当時の家臣はほとんどが尾張に出ていったし、残った者もその件は口にしなかった。


 婿に入ったと言っても義理の両親も親戚もほとんどいない。養女とした娘がオレの妻となった以外は年老いた者が残っただけだ。


 信じられない話に親父もオレも何度も本当にいいのかと聞いたが、皆で尾張に行くので家と領地は譲ってくれるとの話だった。僅かな物しか譲れず、すまないとまで言われた。


 噂で聞いた滝川家と同じことをしたのだと知ったのは、養子に入ってからだった。


「義父殿、尾張での暮らしはそんなによいのですか?」


「ああ。かなり良いぞ。その分忙しいがな。とはいえ食うには困らぬ。日々腹いっぱい飯が食えて酒も飲める、領地はないが禄は悪くない」


 新しい甲賀望月家のご当主のお供で尾張に来たオレを、義父殿は温かく迎えてくれた。身綺麗になったといえば失礼に当たるだろうか。


「あそこは大変だろう? 少ないが援助は続ける。それと、どこかに働きに出るくらいならわしのところに来い。素破と蔑まれずに済むぞ」


「ありがとうございます」


 遠縁だが望月家の血がオレにも流れている。まあ甲賀は狭い地だ。そんな奴は結構いる。


 現状では義父殿の援助のおかげでウチは飢えずに済んでいる。甲賀望月家の家臣なんて、どこも似たようなものらしいが。


 あまり作物が実らない土地なんだ。ただでさえ田んぼにできる土地が少ないというのにな。とはいえ三男で邪魔者扱いされていた頃と比べたら極楽のような暮らしだ。


「義父殿。いつか甲賀に戻ってこられるのですか?」


「戻ることはなかろう。気にせず子を作り、後を継がせてよいぞ。そなたへの援助は、余裕のある分だけでやっておる。その援助も、代々命を懸けて土地を守ってきたご先祖様に対し、土地を捨てることへの詫びのようなものだからな。気にするな」


 義父殿は実の親より優しいな。実の父や兄は散々オレを邪魔者扱いしていたくせに、オレが養子に入った家をまるでおのれの領地のように考えている節がある。今のところ大人しいが秋の年貢の頃になるとなにか言ってくると思っている。


「その……、実は実家の父が少し勘違いをしておりまして……」


「それはそなたの問題だ。助けてやりたくば助けてやればいい。だがな、欲は人を変える。実の親だからと信じると痛い目に遭うぞ。お前はもう一家の主なのだ。誰を信じて誰を疑うか己で決めねばならん」


 義父殿はそう言うと先代のご当主の話を教えてくれた。


 以前は大人しく兄の言うことをよく聞く人だったらしいが、自ら家を継ぐと変わってしまったのだと。兄を羨んでいたうちはよかったが、兄が名を上げて裕福になっていくと次第に恨むようになったらしい。


 その兄とは尾張望月家のご当主なんだが、いつのまにか己が兄を従えるべきだと考えるようになったというのだから驚きだ。


「三雲などの織田家や久遠家の悪口を言う輩には気を付けろよ。六角の御屋形様は違うが、ほかには望月家が目障りな輩が多いからな」


「心得ました」


 欲は人を変えるか。実の父とは少しを空けるか。


 羨ましいという思いはオレにもある。だが恩を仇で返すわけにはいかない。義父殿の家なのだ。たとえ帰ってくる気がなくても。命に代えてでも家と土地を守る覚悟が必要だろう。


 滝川家の本筋である伴家でも滝川家を羨む声が聞こえるともいう。どこも難儀だな。




◆◆

斯波義統。尾張国守護様。武衛様。


山科卿。山科言継。官位・内蔵頭と権中納言を兼任。朝廷にて織田家との橋渡しをしている人。


甲賀望月家。千代女さんの故郷。千代女さんの叔父が亡くなり、当主交代した家。

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