第510話・夏の夜長に……

Side:山科言継


 尾張の賑わいは驚くしかない。都ですら下京などでは人心が荒んでおるというのに、尾張では下々の者から皆が明るい顔をしておるとは。


 地下人の若い公家にも世を見せようと連れて参ったが、皆が尾張の町や人にただ驚くばかりであった。


 周防や越前、駿河などは都より穏やかで活気があると見聞したが、尾張も負けてはおらぬの。


「山科卿、織田の三河守様は都に参る気はあるのでございまするか?」


「残念ながらその気はないようであるな」


 ここまで栄えておれば、いかにしても期待しよう。実は朝廷には織田を従えた斯波が、三好と細川への口出しは憚りても、細川が巻き込んだ六角と大樹を三好と和睦させられぬかと期待する声があった。


 実に於いては織田が和睦を整えることで織田は名を上げることと、斯波もまた健在なのだと諸国に示せると期待する声があったのだが。織田にも斯波にもその気はないらしい。


「和睦をしたとて続くまい。大樹殿は若いゆえにな」


 厄介なのは若き大樹殿は武勇に拘るということか。三好と和睦など簡単には飲まぬのであろう。大御所が亡くなったことで引き際さえ見失うかもしれん。


「しかし三河守様が内匠頭を欲するとは……」


「誰も予期しなかったことでござるな」


 織田に関しては、弾正弼か美濃守か、今川を意識しておれば、坂東平氏にとって一族の総領格となる上総介もあるかと思うたのでござるが。いかにもまったく違うことを考えておった様子。若い者たちは、左様な官位でいいのかと首を傾げておるほどじゃ。


 もしかすると初めから内匠頭を欲しておったがゆえに、献上品を贈っておったのやもしれぬな。戦ではなく商いで飯を食う算段をしたというところでござるか。


 しかし領内が栄えておるのは、明との交易がある大内や朝倉に織田か。何処も自ら率先して都を目指そうとせぬのは寂しいものがあるの。


 朝倉は都より近い故に相応に働くが、あそこは近隣が厄介じゃ。大内は過去の失敗からか最早畿内への野心はないと見える。


 織田もまた関わりたくないとは。嘆かわしいと言うべきか。致し方ないと言うべきか。


 とはいえ尾張が荒れると関東から畿内まで荒れるやもしれぬ。織田がここで動かぬ意味もまた大きい。


 尾張の御料所の回復も頼んでみるかとも思うたが、時を見極めるべきでござるな。もっとも堺が大人しく言うことを聞いておれば、それもよかったのでござるが。


 あれを黙認したと思うておれば、気前よく献上品をくれる織田の機嫌を損ねるかもしれん。それに今ひとつ、如何なるを考えておるか計り知れぬところもある。見極める時が必要じゃろうて。




Side:久遠一馬


 何処からか蛙の声が聞こえる。


 今夜は蒸し暑い夜だなぁ。蚊取りのいのさんの入れ物から匂う蚊取り線香の香りに、遠い記憶の夏を思い起こさせる。


 蛙の声が煩いほどの夜の静けさは、元の世界にはなかったなぁ。田舎でも車の音くらいは聞こえたものだ。


「しかし予定通りいかないね」


「うふふ。当然よ。人が相手なんだもの」


 今夜のお供はメルティ・セレス・すず・チェリーとほか数名だった。ふと今日会った松永さんについて思い出していたが、乱れた髪を整えているメルティに笑われちゃった。


 あれだけ警戒して個人的にはあまり好きじゃない石山本願寺が味方で、同じ商人の堺が敵に回っている。あまり想定してなかった展開だね。


 しかもボンバー野郎が尾張に来るなんて。


「なかなか強かな人のようですね。ああいう人は手強いですよ。ただ私はあまり関わりたくありません」


 今夜は諸国からの来客を歓迎する宴も清洲城では開かれていて、オレもエルとセレスと顔見せ程度に参加したが、松永さんも当然のように参加していた。


 駿河や越前から来た公家衆に挨拶して談笑していたかと思うと、こちらに来てオレたちにも笑顔で挨拶してくれた。社交スキルの高い人だ。


 どうでもいいが、若い地下の公家衆と女性の話で盛り上がっていたね。エルとセレスも挨拶の時には少しスケベそうな視線を感じたそうだ。見知らぬ外国人に見えるエルとセレスにそんな視線を向けるなんて好きモノだね。


 セレスは苦手と言うよりしょうに合わない人らしい。メルティのほうが好悪こうおは兎も角、相手をするなら向くだろう。


「南蛮人はいつ頃来そう?」


「早くても明後日ね。船は花火見物に来た人のための見世物を理由に留め置いているわ。ただ近海での砲撃戦は避けたいわね」


 現在少し困った状況になっている。偵察衛星の情報では堺で好き勝手した南蛮人が堺から逃げたが、南に帰らないでこっちに向かっているらしい。


 メルティには対策を頼んでいたが、現状ではできることは多くないか。


 そもそも連中の目的は堺での収奪しゅうだつまがいの交易に加えて、尾張とウチの調査もある。ウチも将来に備えて琉球や明や東南アジアにも交易船を出しているからね。


 最近見かける黒いガレオン船はどこの船だと話題になっても不思議じゃない。こんな世界の果てで自分たちと同じ欧州由来の船に乗る者がいると知れば興味もあるんだろう。


 ガレオン船に関してはこの時代に堺に来ていたという記録が史実ではない。来ていなかったのかどうかははっきりしないが、今回話題になった連中は史実には来なかった可能性が高いんだ。


 明との取引は海産物や数打ちの刀剣とか、あまり騒がれない品物にしたんだけど。まあこれだけ派手に動けば噂のひとつやふたつは出ている。


「絶対騒ぎを起こすよなぁ」


 堺の連中が甘い対応をしたせいで調子に乗っている南蛮人って最悪だ。おまけに船には堺で買った奴隷を積んでいるらしいしね。


「好都合よ。南蛮人に礼儀正しく商売をされると逆に困るわ」


「津島・蟹江・熱田の警備兵は花火見物の旅人の増加に合わせて増やしています。どこに来ても対応はできます」


 厄介だと思うがチャンスでもある。エルは現在各地からの客人の応対で忙しい織田家の手伝いで手が離せないので、メルティとセレスで対策をしているのだが、上陸後に問題を起こしたら捕らえるか討ち取る算段をしているらしい。


「この件を盛大に利用させてもらうか。奴隷を積んでいるのも使えるだろう」


 この時代での奴隷売買は別に犯罪じゃない。戦があれば敵方の人間を捕らえて売り買いするのはよくあることだ。厳密には商売の一環として成立している。とはいえ日ノ本の民がどことも知らぬ南蛮に買われていくことに心証がいいわけではない。


 史実では秀吉が問題視したくらいだ。家族などが買い戻しすることもある戦国大名同士の人の売買とレベルが違う。


 彼らが隙あらば侵略して人を奴隷としてしまうというのは、過大評価なんかじゃない。もっともこの時代の日ノ本は彼らの好きにさせるほど弱くはないが。


 後世に残るくらいの事件にしてやるのも面白いか。


「もうひと勝負なのです!」


「今度は負けないでござる!」


 ところで君たち。なんでも勝負にするのはやめたまえ。


 愛のカタチは人それぞれだというし、否定はしないけどね。君たちの愛はちょっと変わっているよ。


 まあそれに乗っちゃうオレにも問題はあるんだろうけど。


「あら、私も負けないわよ」


 メルティ。君もか。というかセレスも恥じらいを見せながら、その気になっているね。


 ああ、汗をかいたから、吹き抜ける風が気持ちいい。オレたちの寝室は蚊帳で包んでいるから、窓は開けっぱなしなんだよ。


 声が漏れないようにするのは気を使うけどね。


 どうやらオレはまだ寝られないらしい。




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