第509話・官位の話

Side:千代女


「お招きありがとうございまする」


 明日の花火に合わせて甲賀から甲賀望月家の者たちがやってきました。五十人ほどでしょうか。私もよく知らぬ者ばかりです。


 私が甲賀にいた頃の望月家の者と家臣は、昨年の当主交代のあとにほとんどが尾張にやってきてしまいました。今の甲賀望月家は里を離れるのを嫌った者と、遠縁の親戚などで創設した新たな家と言っても過言ではないでしょう。


 関係修復のため父が殿の許可をいただき、彼らを花火に招待したのです。


「よく来られましたね。歓迎します」


 父はあいにくと忙しいので母と尾張望月家の家臣で迎えますが、明らかに着ている着物が違います。精いっぱいの着物なのでしょうが、苦労がわかるというものです。


 母も家臣たちも昔を思い出しているのでしょう。なんとも言えない顔をしております。


「姫様もお方様もお元気そうで安堵いたしました。尾張は賑やかなところですな」


 ただ甲賀に残ることを選んだ数少ない古参の家臣などは、私たちの様子に驚きながら笑顔を見せてくれています。


 誰かは残らねばご先祖様に申し訳が立たない。そう言って残ってくれた者です。


「近江では良からぬ噂になっていると聞きましたが、大事ないですか?」


「問題ありませぬ。所詮は陰口に過ぎず、我らを羨んでおるだけでございます」


 甲賀望月家の現状は必ずしも盤石ではありません。叔父が亡くなったあと近江では、父が叔父を暗殺させたと噂が流されました。


 どうも三雲家や美濃から追放した土岐家旧臣たちが、騒いでいるということまでは掴んでおります。土岐家旧臣はあまりに煩い者は、またもや追放されたようですが、それでも残る者がまだいるようです。


 三雲家は近江における反織田の急先鋒です。甲賀から尾張に次々と人が来るのが面白くないのでしょう。それと甲賀における久遠家の影響力が増えていることも気に入らぬ様子。


 あちこちの家から次男や三男が家族ごと尾張に来ており働いておりますが、そのことを好意を持って捉える家とそうでない家があるのです。噂話では、次男や三男を尾張に派遣して、甲賀への仕送りを期待している家もあるとか。


 惣の合議制によって成り立つ甲賀五十三家も、今では三雲家の影響力は落ちております。六角の御屋形様が織田との関係を重視するのに、三雲家は反織田なのですから少し立場が微妙なせいでもありますが。


「父も夜には戻ります。どうぞそれまでゆっくりしてください」


 六角家ともいつ敵対するかわからなくなりました。今の六角家の御屋形様はいいのですが、その後は……。


 とはいえ一族の関係を深めることが今は大事。皆にはゆっくりと尾張を楽しんでいただきましょう。




Side:織田信秀


 次は山科卿との会談か。用件はやはり官位の打診であったな。要らぬと文を出したが、それはそれで困るということか。


「以前訪れた時とは、別の国のようでござるな」


「すべては主上のおかげでございます」


 銭の無心のほうが楽だと言えば怒るであろうな。山科卿が尾張にやってきたのは十七年ぶりか。変わったと思うのも無理もない。尾張の者ですらここ数年で変わったと思うのだからな。


「それでじゃ、そろそろ官位など、いかがじゃ?」


「備後守に続き、三河守に任じていただいたばかりでございます」


 わざわざ来たのだ。断ることはできまいが、儀礼上は一度は辞退するべきであろう。


「主上がお気にかけておられての。官位を銭で買うような者が多い昨今において、官位を得た後も尽くしてくれるそなたには報いたいとな。無論、斯波武衛殿のことも考えておる」


「……さすれば、ひとつ困っておることがございます」


 主上の名を出されるとはな。それに守護様のことまで考えておると言われては、これ以上は断れんな。


「おおっ、なんじゃ? 堺の件か?」


 胸のつかえを下ろしたような顔をされたか。本当に要らぬと言えば困るのだろう。こちらが弱みをみせてこそ安堵もするというものだ。


「ご推察の通りでございます。ただ、酒のことはよいのです。あのような紛い物で騙るだけ無駄なこと。とはいえ今後も同じようなことをする者が増えるでしょう。織田は尾張の田舎者でございますゆえ」


「確かにの。して三河守より上がほしいか?」


「内匠頭に任じていただければさいわいと思っております。さすれば、尾張と朝廷はより繁栄いたしましょうぞ」


 こちらの要望を伝えると、少し表情が固まった。見越みこしておった官位ではないのであろう。


 さて、こちらの意図をいずこまで察するかな。


「……つまりは内匠頭の名で物を作り、売るということかの?」


「はっ」


 さすがは山科卿か。官位の官制から使い方まで悟るとは。まぁ、山科卿は権中納言と内蔵頭くらのかみを兼任しておるからな。内匠寮たくみりょうは内蔵寮の配下だから、職掌ぐらいは把握しておるか。


 内匠頭とは内匠寮を司る者。かつては朝廷においてものづくりを司っておった役職だという。今ではほぼ有名無実な役職ではあるが、手ごろな官位であり使い道がある。それに、内匠頭ならば公家や他家も騒がんであろう。


 まぁ。考えたのはわしではないがな。進言したのは一馬であり、恐らくはエルの策であろう。よくもまあ公家でも知るかいなかのような過去を調べたものだ。


「さすがでござるな。面白きことを考えるわ。内匠頭は任官者がおらぬ。さわりはないの」


「尾張で作れるものは尾張で作る。それが願いでございます。奪うだけの戦など織田はもう必要ありませぬ。それと長年の戦乱などで失われた技や知恵の復興も考えております」


 この先の織田の敵は武士のみではない。寺社や商人なども敵となろう。戦の大義名分など如何様いかようにでもなる。問題は武力を用いぬ商いの戦だ。


 織田には朝廷のお墨付きがある。世の中の者にそう思わせれば、いかほどに織田の利になるか計り知れぬであろう。


「うむ。われの一存では明言はできぬが、おそらく障りはあるまい。備後守に三河守が従五位下であるのに対して内匠頭も従五位下でござるな。その意図を説明すれば諸卿も異を唱えまい、奏上致せば主上もご理解していただけよう」


「よしなにお願い致します」


 これでいい。朝廷を如何にか致す気はないが、織田は織田で明や南蛮など日ノ本の外や他国に頼らぬ国にするのだ。


 武士の台頭と長年の戦乱で失われた技や知恵もあると聞く。それらをいくらかでも復興させれば朝廷も文句は言うまい。


「そういえば、尾張では牛の乳を茶にして飲んでおるとか。そこまで考えておったのでござったか?」


「当家は明や南蛮の知識がありまする。それを試しておるとも言えますし、古きものでも良きものは復興させる所存。牛の乳に関しては体によいというので復興させました」


「京の都にも噂が流れて参ったぞ。たいそう美味いそうではないか。主上も飲んでみたいとおっしゃっておられた」


 あれか。一馬たちがミルクティーと呼んでおったものか。出処でどころは駿河、越前いずれであろうか。公家の繋がりとは、恐ろしきものよ。主上のお耳に入るほど噂になるとはな。実はもともとは一馬たちが自家じけの内で飲んでおっただけなのだが。


 昨年の花火の時に公家衆ならば牛の乳も忌避きひがなかろうと出しただけだ。無論そんなこと言わぬがな。


 しかし、如何なるわけか公家衆の評判がいい。


「茶葉のほうを献上致しましょう。あれは他所では手に入らぬものでございますゆえ」


「それは主上も喜ばれよう。それにしても尾張はいいの。諸国の者が織田三河守のようになれば、世の中から戦が減るであろうに……」


 官位の問題が片付き、安堵されたのであろうな。思わずため息をこぼされた。


 だが、認識が甘いな。公家としては当然なのかもしれぬが。戦は日ノ本を治めておる現在の体制が問題なのだ。口が裂けても言えぬがな。


「そなたが都にまで来てくれれば……。すまぬ、忘れてくれ」


 山科卿はわしの本音を見極めるようにぽつりと都という言葉を口にした。期待するのは構わぬが、今は動くべき時ではないのだ。なにも言えん。だがこれではっきりしたな。公方に管領に三好。いずれも朝廷としては頼る相手としては不安があるというところか。


 多くを望んではおるまい。せめて京の都と近隣が穏やかになればとな。


 とはいえ和睦と敵対を繰り返す連中に困っておるのも確かか。




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