第505話・久秀の旅

Side:松永久秀


「これが桑名か?」


 殿に尾張行きを命じられて桑名までやってきた。少々険呑ではあったが、風待ちがある船では遅すぎる故に東海道にて陸路で桑名に着いた。細川晴元を庇護する六角家の力及ぶ地を通ることに不安もあったが、手遅れになってからでは面目が立たぬ。


「織田と対立してずいぶんと寂れましたので。これでも良くなったほうでございます」


 案内役にと伊賀者を雇い少数で急ぎの旅であったが、桑名は噂通りというべきか寂れておった。


 伊勢でも有数の湊町だったはずが、今では東海道の宿場程度の賑わいしかないとは。


「和睦したのではないのか?」


「和睦した結果が現状でございます。されど以前は集まっておった近隣の国の商人たちは戻っておりませぬ」


 商いを織田に持っていかれた結果か。確かに今の伊勢の内海の商いは尾張が中心だと報告があったが。


「近頃は桑名ではなく蟹江か津島まで足を延ばす者も多く、旅人も泊らぬ者が多いのでございます」


 まだ海が荒れておれば、旅人が船待ちをして残るようだが、桑名に泊まるくらいならば、足早に素通りして蟹江か津島に行く者が多いとは……。


「近いのは蟹江か?」


「はい。蟹江でございます。ただ津島神社に寄られる旅人が多いことと、津島は海に出なくても行けるので海が荒れておっても川が静かな内は行けます。なのでそちらも多いですね。織田領は金色酒や麦酒などが安いのです。飯も確実に向こうのほうが美味いと評判でございます。どうなされますか? 泊るならば宿に案内いたしますが。湊へ行けば津島か蟹江に渡れます。夕刻ですので蟹江行きの船は難しいかもしれませんが、津島行きの船はまだあるでしょう」


 もうすぐ夕刻だというのに東海道を行く旅人は、ほとんどがそのまま湊に行くようだ。わしも急ぎの旅、ここで悠長に泊っておれん。


「黒い船。南蛮船を模した船か」


「はい、佐治水軍の久遠船でございます」


 湊で驚かされたのは渡し船が黒いことだ。しかも南蛮船と同じような帆を張っておる。違うのは大きさだ。それによく見ればこの船は、そこらにある日ノ本の船と大差ない造りと見受ける。


「久遠船か……」


「船の足が速いうえに揺れ少なく、よう働いておる船でございます。これは古い船を改造したものかと」


 銭を払って船に乗ると、多くの旅人が乗船しておった。伊賀者の話では織田との和睦のあと、佐治水軍が船による渡しを始めたのだとか。


 これは桑名に人を残さぬ策か? 織田はだいぶ桑名に怒っておったと聞く。結局わしは船の行き先が津島だというので津島にいくことにした。


「おおっ、こっちは賑わっておるの」


 しばらく船に揺られておると、津島に到着した。日暮れ前に着けたとは、本当に船の足も速いではないか。


 しかし津島の賑わいは凄い。もう夕刻だというのに、まだ荷揚げをしておる船がある。湊は舟橋を用いてし広げたようだな。それでも足りておらんが。


「お武家様。今日の宿はお決まりで? いい宿は早くなくなりますぜ」


 すでに日は西に傾いておる。今日はここまでだな。船を降りると下賤な笑みを浮かべた客引きの男が近寄ってきた。


「いや、まだだが。本当にいい宿なのだろうな」


「そこは銭次第というところですな。尾張では宿代が他国の数倍するところもあります。ただしそれに見合うのも受けあいやす。飯も酒も美味いでっせ」


 わしがただの牢人ではないと見抜いたか。銭の匂いを嗅ぎ分ける者はいずこにでもおるな。まあいい、試してみるか。


「ほう、面白い。わしは明日には清洲にゆく。満足させる案内を致せば駄賃は弾むぞ」


「これはこれは。お任せを」


 わしは下賤な笑みを浮かべた男に今宵の宿と清洲までの案内を任せることにした。会う前に噂の仏の弾正忠の真価を見極めてくれようぞ。


 案内された宿はまだ新しい宿だった。


「今日はいっぱいだよ」


「そんなこと言わねえで頼むよ。畿内からわざわざお越しになったお武家様ですぜ」


「銀次。またお前か……。しかたねえな。ただし言いふらすなよ。すでに何人も断ってんだ」


「わかってますって」


 いずこの町にでもおるようなろくでなしかと思ったら、新しく立派な造りの宿に顔が利くのか。この男何者だ?


 驚いたのは案内された部屋には畳が入っておったことだ。それなりの武家でも畳を入れた部屋などしつらえられぬ者が多いというのに。


夕餉ゆうげと風呂はいかがいたしますか?」


「風呂もあるのか?」


「ええ。別料金ですが。お人払いを望まれるならば、さらに別料金でございます。夕餉も料金次第でございますが、畿内からお越しならば金色酒などいかがでしょう。当宿の金色酒は混ぜ物もなく本物でございます」


 宿の主人は上物の着物を着ておる。それに風呂まであるとは……。


 それに金色酒もあるのか。しかし、なんだこの値付けは。堺の偽物より格段に安いではないか。本当に金色酒か?


「本物であろうな?」


「もちろんでございます。当宿は久遠様より直に仕入れさせていただいております」


 無駄な銭を使う気はなかったが、ここまでくると試さぬわけにいかぬな。


 わしは供の者の部屋と合わせて二部屋を借り上げた。道中は相部屋で済ませたが、ここは相部屋ではなく貸し切りの部屋なのだとか。


 それにしても整いて趣きのある部屋だ。驚いたのは陶器に花が飾られておることもある。花が飾られておる部屋など初めてだ。


「お客様。ご希望ならば、お風呂の際には貴重品をお預かりいたしますのでお申し付けください」


 至れり尽くせりだな。ここまでの部屋と気配りは畿内でもまず見かけぬぞ。





 銀次という者は明日の朝、迎えにくると言って去った。飯の前に風呂に入るが、ここも清浄でいい湯だった。


「おおっ、殿。これは豪勢な飯ですな」


 さて、いかような飯が出るのかと思うたが、白い飯と金色酒。それに新鮮な魚がある。


 刺身に煮つけか。味付けは噂の尾張醤油か? 味噌溜まりと同じもののようだが、味がまったく違うという。わしも金色酒は見た事があるが、尾張醤油はない。


「うん? この味噌は……」


「当宿の味噌は特別でございます。これも久遠様がわずかに売っておられる味噌でして」


 尾張に限らず、東国の田舎ではとにかく料理が塩辛いと聞いたが、まったく塩辛くない。味噌も赤黒く辛いと噂の尾張の豆味噌ではないな。


 しかもこれはなんの味だ。ダシが入っておる。まさか尾張でこれほどの味噌汁が飲めるとは。具はハマグリか。これは絶品だ。


「刺身は……、これは昆布で締めたか?」


「その通りでございます」


 刺身は白身の魚だ。畿内では手に入らぬ尾張醤油で食えるとは。本当に美味い。当然醤油の味には感動すら覚えるが、それ以上に驚きなのは微かに白身に感じる昆布の味だ。


 三好家の料理の味より美味い。白身の魚の味を邪魔しない程度にほんのりと昆布の味がするのが心憎い。


 次は煮つけを。むむっ、これもまた絶品だ。ヒラメの煮つけだ。刺身の時も感じたが、魚の生臭さもない。


 味が染みておるのに塩辛くないのも驚きだ。ふわりと優しく煮つけておる。


「本物だな」


 ここで金色酒を一杯やるが、その味に思わず箸が止まる。本物だ。殿が昨年織田家と直に交渉して手に入れた金色酒を頂いたが、その味と同じだ。


「当然でございますよ。畿内では堺で造るまがい物があるとか。一度飲めば誰でもわかる味でございます」


 供の者も驚き言葉が出ない様子。飯盛り女が我らの様子をみて誇らしげにしておるわ。


「堺の偽物の話はいかに伝わっておるのだ?」


「……ここだけの話にしてくださいよ。尾張では堺はまがい物の町だと笑われております。昔は堺の商人と言えば威張ってばかりで横柄な態度が大いに鼻について、ここ津島の商人も幾度も悔しい思いをしたことか」


 少し気になり堺のことを聞いてみるが、これは思った以上に厄介なことになっておるな。


「今は違うか……」


「はい。久遠様のおかげでございます。金色酒も私たち領民が飲めるようにと、他国に高く売るばかりではなく、領内に安く売ってくださるのですよ。そういえばお客様は、いつまで津島に? 明後日まで待って是非花火をご覧になってください。あれは誰でも見られる最高の贅沢でございますよ」


「噂の花火をやるのか?」


「はい。津島神社のお祭りで清洲のお殿様が花火を催していただけるそうです」


 堺の件を悩んでおったが、女から出た花火という言葉に驚きを隠せなかった。


 闇夜に花を咲かせた。織田は夜空を制したのだと大騒ぎになった花火をやるのか?


「あれは熱田ではないのか?」


「清洲のお殿様のお決めにより津島と熱田、交互でやるようです。一昨年は津島、去年は熱田だったので、今年はまた津島ですよ」


 見てみたい。だが、わしは早く清洲に行き、織田殿に南蛮と明のことを訊ねなければならんのだ。


 いや、待てよ。織田殿も見に来るのではないか? 後学のために観ても、殿に怒られることはあるまい。明日には清洲に参って会見を申し入れて、ときが掛かるようならば、明後日には津島に戻って花火を見るか。


 それがいいな。そうしよう。




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