第501話・堺の現状

Side:堺の名もなき商人


「酷いもんだな」


「ああ」


 堺でも名のある遊女だった女が、一生消えぬ傷を負って自害した。人当たりもよく、遊女仲間には文字の読み書きを教えたりしていて、町衆からも一目置かれていた女だったんだ。


 原因は酒に酔った南蛮人が乱暴狼藉をした結果らしい。止めようとした遊女屋の主も刃物で切られて重傷だ。恐らくは助からんだろう。


 商人仲間と遊女屋の主の見舞いと遊女の弔いに来たが、仲間は悔しそうに拳を握りしめているほどだ。


「会合衆はなにをしてるんだ?」


「穏便に済ませるらしい。南蛮人様だからな」


 遊女屋の主は悔しさで泣いている。自害した女には身請けの話が進んでいたらしい。商人仲間は怒りの矛先を会合衆へと向けるが、会合衆は駄目だからな。


 当然遊女屋も会合衆に訴えたが、取り合ってもらえなかったとのことだ。ただでさえ明の船を沈めてしまったことで困っているこの時期に、遊女のことなど知らんと冷たく切り捨てられたという。


「伝え聞く尾張では、久遠様の南蛮人は立派な連中らしい。大湊にも時折来るそうだが、騒ぎのひとつも起こさんそうだ。大湊のやつらは堺に来ている南蛮人を見て驚いていたくらいだ」


 あの南蛮人どもは特に酷い。先日など湊に入ろうとしていた明の船を邪魔だと大砲で沈めてしまった。明の商人は助かったが激怒している。


 会合衆はなんとか明の商人をなだめて穏便に済ませるようにと必死だ。南蛮人どもは我らを未開の蛮族だと見下しているというのに。


 近頃それと比較されているのが、尾張の南蛮人だ。


 我らは知らんが大湊の商人がたまに来ると、堺に来る南蛮人の粗暴さとタチの悪さに驚いているというではないか。


 まあ、我らは南蛮人と一括りに呼んでいるが、連中も様々だからな。日ノ本にも野盗と変わらん者や破戒僧もいる。久遠様の南蛮人は病人を無料で診たり困ったら助けてくれるほどだと言うし、武芸に学問、様々に優れた立派な南蛮人の女もいるらしいが…


 久遠様というお方も道理と信義を重んじると聞く。久遠様のところの南蛮人も野盗の如き南蛮人と一緒にされたら怒るだろうな。


「品物も売れなくなったな」


「ここで買うより大湊か尾張まで行ったほうがいいと知られているからな。職人連中の中には見切りをつけて尾張に行く者もいる」


 近頃では西国の商人ですら、尾張に行く途中に立ち寄る程度になってきておる。まだ米や絹織物なんかは売れているし、武具も売れている。しかし確実に堺で品物を買う商人は減っている。


 商人仲間は商売がやっていけないほどに取り引き客が減っているらしい。


「なあ、織田様に頭を下げる時期じゃないか?」


「ダメらしいな。こちらの信用がまったくないらしい。大湊が言うには会合衆をすべて討ち取って代えるくらいしないと、織田様は許さんそうだ」


 堺でも会合衆が織田様を怒らせたことを知らぬ者はいない。少し前には石山本願寺の坊主が偽の金色酒を売っていることで怒鳴り込んできたくらいだからな。


 なんでも今年の正月に高僧のひとりが苦労して手に入れた金色酒を馴染みの公家に献上したら、偽物だと露見して大恥をかいたと激怒したらしい。


 みんなそろそろ頭を下げてほしいと思っているが、会合衆は未だに尾張は田舎で織田は野蛮な田舎者だと公言してはばからぬ。


 久遠様の評判も気に入らぬ様子。新参者とコケにしているのだから許されるはずがない。


「あの南蛮人どもはいつまでいるんだ?」


「さあな。銭もろくに払わんでも飲み食いできるからな。飽きるまでいるんじゃないか」


 騒ぎを起こした南蛮人どもはまだ堺にいる。帰る気配すらない。


 利がないほど高値で硝石と生糸を会合衆が買ったせいで銀や銭は山ほど持っているくせに、連中は会合衆が甘い顔をするせいでどこに行っても銭すらろくに払わん。


 当分居座るだろうな。




Side:久遠一馬


 約一か月ぶりの尾張はやっぱり落ち着くね。お帰りなさいとみんなに言われるのがなんか嬉しい。


 お土産はパイナップルとマンゴーの瓶詰めにバナナチップスにした。お市ちゃんが南国のフルーツを美味しかったとか言いそうだしさ。


 ああ、お市ちゃんの姉妹には洋服もお土産にした。お市ちゃんには島で着ていた洋服をあげたからね。あと土田御前には怒られなかった。みんな無事に帰ってきてよかったと笑顔で言われた時には、心配をかけて申し訳ないと謝ったけど。


 結局、熱田祭りは間に合わなかったなぁ。ただメルティとリリーが孤児院の子たちとかと一緒に今年も参加して頑張ってくれたみたい。


 朗報はオレたちがいなくても尾張の賦役や改革が進んでいたことだろう。メルティが時々信秀さんにアドバイスはしていたらしいけどね。織田家のみんなが目標をもって頑張ってくれていたのがなにより嬉しい。


 今回の旅で学んだことは、一番はやはり久遠船はいい船だが、外洋航海に利用するには無理があるということだった。


 佐治さんは久遠船の増産を決めたが、同時に大型船の建造をできないかと相談された。使い勝手のいい久遠船の量産は必要だが、今後を考えると大型船も欲しいのが本音なんだろう。ただ、問題はお金だろうな。今の佐治水軍の規模では、大型船の建造も運用もできるほどのお金がない。ウチから船を貸し出すことも検討すべきだな。


 あと船大工の育成と船乗りの育成の学校は、佐治さんも協力してくれることになった。これは島にいた時に話したんだが、これからの時代は海だと佐治さんも考えているらしい。


 船の生産体制は本格的に見直す必要があるのかもしれない。


 それと信秀さんに帰還の挨拶に行ったら、林秀貞さんの謹慎を解くことを考えていると言われた。元の地位には戻れなくても、本人に働く気はあるらしい。


 確かに信秀さんに反感を持つ人や敵対的な人と接触していて、信秀さんにそれを報告していたんだよね。あの人。


 ただ、それもすでにほとんどなくなった。動く気がないと思われたからだろう。信秀さんはそろそろ役目を終えて復帰させてもいいのではと考えたらしい。


 実際に文官が足りないしね。信長さんはあまり気が進まないようだけど、今の織田家では秀貞さんが影響力を行使できる状況じゃないから、オレは賛成しておいた。それに、那古野で筆頭家老を務めたほどの能力がある文官を遊ばせておく余裕は今の織田家にはない。


 エルも脅威になる人ではないと言っていたしね。ウチの影響力はすでに秀貞さんの比じゃない。


 今回は留守中の書類が溜まっていない。事前にメルティと一益さんに代行してもらうようにしたからね。ウチも安定してきたし、このくらいはできる。俺が知っておく必要がある報告書と当主決裁が必要な他家絡みの書類だけが最低限残っているだけだ。


「うーん。困ったね」


 帰還の挨拶が一段落すると、まず手を付けたのが南蛮人の一件だった。


 義統さんや信秀さんのところには、公家衆や石山本願寺から南蛮人とはどういう者たちなのだと尋ねる文が来たようだ。


 公家衆や石山本願寺には、メルティのアドバイスを基にして彼らの危険性を教える文を返したみたい。


 朝廷には宣教師の危険性を前に伝えていたので、畿内でもそれなりに南蛮人を警戒していたらしいけどね。とはいえ、あそこまで酷いとは思わなかった。というのが関係者の本音だろう。


 特に明の船を沈めた問題はかなり深刻な事だと考えているらしい。密貿易船とはいえ、明の商人の船を沈めたということに変わりはない。下手をすれば、明国と南蛮との外交問題に日ノ本が巻き込まれる恐れがあると考えているみたいだ。


「私たちを憎むあまり見誤りましたね。堺は……」


 この件はエルも少し困り顔だ。


 この時代の南蛮船はあちこちで問題を起こすからな。歴史に残るような有名な船でもそうなんだ。それ以下の船なんてもっと酷いのが山ほどある。


 舐められてはいけなかったんだよね。




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