第500話・尾張への帰還と不穏な報告

Side:久遠一馬


「陸だ……」


 航海九日目。初めて見えた本土は渥美半島だった。やはり当初の想定よりも東に流されていたようで、紀伊半島ではなかった。


 嵐の日以降、元気がなかった一部の重臣の子弟が遠くに見えた陸地に涙を流しそうな勢いで喜んでいる。


 戦に行くのと同じで死ぬかもしれないと覚悟はしていたんだろう。とはいえ頻繁に行き来するウチの船に危険性をそこまで理解してなかったんだと思う。外洋航海は負け戦に悲壮な覚悟で臨むレベルの危険性なんだけど、そこまでの認識はなかったんだろう。


 船団はそのまま一路尾張の蟹江を目指す。


「礼砲用意して」


「はっ」


 肉眼で蟹江が見えると、みんな本当に嬉しそうな表情をしていた。帰ってきたと実感するんだろうな。オレもそう感じるくらいだ。


 擬装ロボットに指示を出して四隻の船から一斉に帰還の礼砲として定めた空砲が撃たれると、蟹江の港が騒がしくなる。見ていると少し面白いくらいだ。


「ただいま~!」


「姫様、お帰りや」


 蟹江の港で出迎えてくれたのは、造船関係が専門のアンドロイドである鏡花と湊屋さんと蟹江で働く文官の人たちだった。


 ガレオン船から降りたお市ちゃんは鏡花に笑顔で駆け寄っている。


 あと船酔いに苦しんでいた重臣の子弟は、港に座り込むように大地のありがたみを実感しているね。


「おかえりなさいませ。無事なるご帰還、お祝い申し上げます」


「うむ。大儀である」


 信長さんたちは文官の皆さんに出迎えられているね。島とは違う戦国の世なんだと実感する。


「殿、おかえりなさいませ」


「出迎えありがとう。留守中変わったことなかった?」


「いくつかありまするが、火急の問題はございません」


 オレのところには湊屋さんがきてくれた。ウチでは船に乗るのが当然だからね。湊屋さんも商人時代から普通に船に乗っていたから慣れているが、それでも心配してくれていたんだろう。ほっとした表情をしている。


 もちろん港での検疫などは実施済みだ。オレや信長さんがすることで、今後これを身分に関わらず、富貴を問わずやらなければならないのだと示すんだ。


 そのあとは蟹江の織田家の代官屋敷に入った。


「へぇ。不破殿がね」


「そうや」


 なんかまだ揺れている気がする。十日も船に乗っていたからなぁ。屋敷に到着したオレたちだが、信長さんたちはさっそく温泉に入っていて、オレとエルたちはその間に鏡花と湊屋さんから留守中の報告を受ける。


 まあ密かに通信機で報告を受けていた内容だけどね。


 ちなみに船では当然お風呂なんか入れない。ウチの船では水で濡らした手ぬぐいで体を拭くくらいはできるけどね。欠点は、海水で体を拭くのでべとべとになって、頻繁に拭かないといけないことかな。体を拭くことに貴重な真水を使うわけにはいかないからな。正直、お酒で体を拭きたくなったよ。


 この時代だとお風呂に入らない人もいるし、信長さんたちはあんまり気にした様子はないけど。オレと女性陣は水で濡らした手ぬぐいで体を拭くくらいはしていたよ。


 まあウチの船と言えども、『人の目がある所では時代の最先端にプラスアルファ程度でしかない様に抑えてますよ』って話だ。


「あと、堺にて南蛮人と明の密貿易商人が揉めたとの知らせが届いております」


 鏡花に続き湊屋さんが報告をしてくれるが、思わずため息が出てしまった。これもオーバーテクノロジーで偵察していて事前に知っている話ではあるが、少し面倒なことになっている。


 今年に入り、東南アジアと太平洋にも白鯨型無人潜水艦を配備して、この地域の南蛮船と宣教師の数を少し減らすことを始めたんだ。


 その影響もあるんだろう。日ノ本には未だ宣教師は来ていないが、機嫌が悪かった南蛮人が堺の港で明の密貿易商人と揉めて、りにもって大砲を撃って明の船を沈めてしまったらしい。


「原因は?」


「それが湊入りに割り込んだと南蛮人が難癖をつけたようで……」


 元の世界でもあったことだよなぁ。車で割り込んだとかそんな理由で事件が起きることは。


「こっちまで来る船なんて、その辺の賊よりタチが悪い連中が多いからね。堺は知らなかったのか?」


「いえ、存じておったようでございますな。連中はやりたい放題で騒ぎを起こすことも珍しくなかったようですので……。ただ他国の船を沈めるのはさすがに……」


 実は堺は治安が昨年あたりから悪化している。原因は堺が南蛮人や明の商人に足元を見られていることだろう。


「舐められているんだろうね」


 堺では尾張への対抗として明や南蛮の船が東に行かないようにと、ほとんど言い値で商品を買い上げてあれこれと接待して必死に引き留めている。


 初めは些細な問題だったんだろうが、堺の側が南蛮人の引き留めのために問題を起こしても甘い裁定を下してしまったことから、南蛮人たちは好き勝手にしているみたいなんだ。


 彼らからしたら世界の果てであるこんな地域まで一攫千金を狙って来るんだ。荒くれ者なんて可愛いくらいの犯罪者とかが平気で混じっている。


 ただ、その被害が明の密貿易船にまで及ぶとは。これは厄介なことになりそうだ。


「大殿は大湊に対して、南蛮人が来た場合には警戒するようにと書状を出されました。また大湊からは万が一の場合に援軍を含めた支援をとの内々の話も来ております」


 南蛮人からしたら堺は日ノ本の中心の港だと信じているだろうし、それは嘘ではない。


 そんな地域の商人が卑屈なまでに下手に出ているんだから、そりゃぁ調子に乗るよね。宣教師は来ないように沈めているから今のところは大丈夫だが、これ宣教師が来たら厄介なことになるな。益々宣教師を近づけられないよ。


「言葉に、礼節、道理、善悪…、なんにせよ。金銭を除く全てに於いて話が通じる相手じゃないからなぁ」


 このままこっちにくれば、南蛮人は絶対勘違いしたままくるね。未開の蛮族だと。


 どうしてこう、堺は厄介事ばかり起こすんだ? 『織田家が畿内に出たら潰したほうがいいのかも』と、今まで思っていたが、それを待たずにあの手この手で早ければ早い程がいいかもしれない。




「久々のお風呂だ!」


「早い者勝ちなのです!」


「むむ、負けないでござるよ」


 信長さんたちが温泉から上がると、オレたちが入る番になる。オレはエルたちと一緒だ。本当は先にお市ちゃんが入るはずだったんだけど、お昼寝しちゃったんだよね。


 パメラとチェリーとすずは脱衣所で着物を脱ぐと、隠すこともなく温泉にダッシュしていくよ。まったくやめなさい。子供じゃないんだから。


「殿、お背中を流します」


 みんな石鹸で体を洗い始めたが、千代女さんとお清ちゃんが気を利かせたのか背中を流してくれると言ってくれた。


「じゃあ、お願いね」


 侍女さんじゃないんだから、そこまで気を使わなくていいのに。


「お返しにふたりの背中を流してあげるよ」


 結局洗われてしまったが、結構気持ち良かった。次はオレがお返しにふたりの背中を流してあげる番だ。


 ウチではオレとエルたちとお風呂に入るのが当然だからさすがに慣れたよ。いろいろとね。


 なんだかんだと長湯になりそうだけど、お市ちゃんが起きていたら温泉を待っているはずだ。早めにあがらないと。


 あがったらロボとブランカも洗ってあげようか。


「あらあら、元気ですわね」


「仕方ないだろ。生理現象だ」


 浴槽でゆっくり温泉に浸かっていると、シンディにニヤリと笑われた。


 うん。なにがとは言わないが仕方ない。オレだって男なんだから。


 さっさとあがろう。お市ちゃんが乱入してくるなんて、おかしなフラグは立てませんよ?




◆◆◆◆


 天文十九年五月、織田信長は久遠家本領である久遠諸島を訪問している。


 この時の様子は太田牛一の『天文十九年久遠諸島訪問記』に詳細が書かれている。


 織田家に仕官して以降、一度も帰っていなかった久遠一馬の里帰りだったようで、島では信長と一行は大いに歓迎されたとある。


 煉瓦造りの建物と白亜の屋敷に石炭ガスによるガス灯があったことに大いに驚き、進んだ文明を目の当たりにしたようである。


 信長一行はその光景と久遠エルたちの一族が祖国から謂れ無き迫害を受けて流民となったとの証言から、当時南蛮と呼ばれていた欧州に危機感を覚えたとある。また、記録から推測すると既に久遠家の技術は当時の欧州を超えていたと思われる。


 ただ久遠家でさえもどこまで当時の欧州を正確に知っていたかは疑問があり、自分たちが欧州を超えたことを知らなかったと思われる記録もいくつか残っている。


 ほかにも久遠諸島では植物の栽培の研究や品種改良をしていた農園を視察したという記録があり、そこには温度計と硝子の温室があったことも確かに書かれている。


 農林水産業や工業など久遠家で研究していた膨大な資料が当時はあったといい、それらは一部が現代にも残っている。


 尾張からの船旅についてもかなり詳細に記されていて、当時の久遠家の高い航海技術が読み解ける。


 なお『天文十九年久遠諸島訪問記』には慶次郎という名で有名な滝川秀益の写実的な挿絵が掲載されており、当時の久遠諸島を知るうえで貴重なものとなっている。


 信長一行が泊ったと書かれている西洋屋敷は今も現存していて、久遠家がごく最近まで居住していた。


 近代に入るとテレビなどで度々紹介されたこともあり、ぜひ見学したいという意見が後を絶たなかったことから、久遠家では久遠一馬記念館として現在は一般公開している。


 ただ久遠諸島は久遠家の私有地であることから、島の上陸には今も久遠家の許可が必要である。



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