第490話・謎の久遠諸島・その六

Side:久遠一馬


「これは凄いな。暑い」


 温室の中に入った信長さんは、気温の違いに驚いていた。


 戦国時代でも蔵はある。ちゃんとした蔵は外と違い涼しい。でも逆に暑くするというのはあまり聞いたことがない。まあ驚いて当然だろう。


 温室は一部の窓が空いていて、外から新鮮な風が入っている。季節的に暑くなり過ぎないようにしているんだろう。


 中にはバナナやパパイヤやマンゴーなど外と同じものも結構ある。


「ここは収穫の時期を変えることも試しております。私たちの調べでは暖かいこの中では季節に関係なく作物や果物が育てられます」


 お市ちゃんは温室の外に出たり中に入ったりして気温の違いを楽しんでいる。そんな姿にクスっとわらってしまうが、エルが温室で試している説明をするとどよめきがおきる。


「冬にも収穫が出来るということか?」


「はい。そのように育つ条件さえ整えてやれば育ちます。とはいえこの温室の欠点は硝子が高価なことと、育つ条件を整えるのが大変なことでしょうか。冬には中を温めなくてはなりません」


 季節に関わらず作物が収穫出来る。その言葉に重臣の子弟の一部はにわかには信じられないと言いたげな顔をした。エルはあまり自慢する様子でもなく淡々と説明している。


 ただ信長さんはいち早くその意味に気付き、外の果樹と同じ果樹を見つけて自分で比べて見ていた。


「三郎、いかがした?」


「叔父上。この木とあの木が同じものだ。中の木には実がなっておるが、外の木には実がなっておらん」


「おおっ、確かに……」


 信長さんの行動の意味を皆さんわからなかったらしいが、信光さんが訊ねると信長さんは素直に答えてほかの人も見比べている。信じられないと言いたげな表情をしている人もいるね。


「久遠家ではこのようなこともしておったのか……」


「売れるものではないですよ。作るのに銭が掛かり過ぎます。ただこうした試行錯誤が当家の知恵になるとお考えください」


「鍛錬と同じか」


「はい」


 この件は信長さんにも教えてなかったからね。信じられないんだろう。ただ鍛錬と同じという理解が出来るのが凄い。さすがに三年近くウチに出入りしていただけはある。




 お昼は西洋建築の屋敷に戻ってソーメンだった。


「なっ……」


 硝子の器に出されたソーメンに信長さんたちが絶句している。


「つめたくておいちい」


 『みんな食べないの?』と言いたげなお市ちゃんは、硝子の大皿に乗っていたソーメンをつゆに浸すとツルツルと食べて笑顔を見せた。


「これぞ、南蛮妖術です!」


 お市ちゃんは理解してないが、あり得ない冷たさのソーメンに信長さんたちが絶句しているんだ。ソーメンの麺の盛り山もりやまの中には氷が入っているし、つゆも冷え冷えなんだよね。


 あれ? 誰も笑いもツッコミもしない。みんな固まっている。


「ようじゅつってなぁに?」


「実はね。夏にも冷たいものを食べられる技がみつかったんだ」


 反応してくれたのはお市ちゃんだけだった。エルは困ったようにしていてすずとチェリーやパメラたちはクスクスと笑っている。


 オレの味方はお市ちゃんだけだ。なるべくわかりやすい言葉で教えてあげるが、お市ちゃんは小首を傾げている。いまひとつ凄さと言うか、特異とくいさがわからないんだろう。


「さあ、皆さま。せっかく冷やしたのです。温くなる前に召しあがってください」


 結局、エルが再度ソーメンを勧めると、信長さんたちは恐る恐るソーメンを口にした。


 種明かしをすれば、これは冷蔵庫や冷凍庫を使ったのではない。硝石を水に溶かすと吸熱効果があるようでマイナス二十度くらいまで冷やせるんだって。凄いね。この時代の知恵も馬鹿に出来ない。


 耳を済ませれば風鈴の音が聞こえる。これも実は硝子の風鈴で、絵柄は金魚だ。風鈴自体はすでに日ノ本にもあるし、金魚も中華圏では貴人のステータスになっている。とはいえ硝子の風鈴は涼しそうでいいね。


「これは……、尾張でも出来るのか?」


「はい。叶うことです。詳しくは当家の秘とするところですが。実は妖術ではありません。きちんと理さえ知れば若様でもどなたでも叶うことです。少しばかり銭がかかりますが」


 信長さんの額にすっと汗が流れていた。今日は少し暑いこともあるが、日ノ本本土では梅雨期とはいえ島は夏と変わらぬ気候で天気も良好だ。


 こんな暑い日に冷たいソーメンを食べる。その事実がにわかには信じられないのだろう。




 食後はお市ちゃんのお昼寝タイムだ。信長さんたちもそれぞれに休んでいる。


 うーん。昨日の今日で少しばかり刺激が強かったのだろうか?


 午後は島のみんなと信長さんたちが会うし、その前に少し休む時間を設けようか。




Side:千代女


 思えば私はご本領を知らずに嫁いで参りました。これほど違うとは思わなかったというのが本音です。


 工業村にある煉瓦という石のようなもので建てたお屋敷に住み、椅子や食卓があります。驚きなのは硝子がいたるところにあることでしょうか。特に硝子の窓の多さには驚くしかありません。


「エル様、いつか日ノ本でも夏に冷たいものが食べられて硝子の器で食事をする日がくるのでしょうか?」


「そうね。私たちはそんな日のために働いているのよ」


 私は知っています。殿やエル様がいかにして皆が飢えずに暮らせるかで頭を悩ませておられることを。限られた身分の者だけが得られるのではなく、すべての民が望むものを得られる世を願っておられることを。


「これはね。硝石で冷やすのよ。いつか戦がない世がくれば、硝石は花火や冷たい料理や菓子のために使えるわ」


 久遠家でも新しき技だという冷たくする技は、なんと鉄砲の玉薬、その原料である硝石をつかうとのこと。エル様は今、硝石を水に溶かしたもので冷たい菓子を作っておられます。


 楽しそうに菓子を作りながら戦のない世のことを話すエル様には、すでに戦のない世が見えておられるのでしょうか。


「学問とは……自ら新しきものを見つけることなのですね」


 私は気付いてしまった。殿やエル様たちが学問を大切にする理由を。


 先人の教えを学び、その先を見つけることこそ学問なのだと、今日工業村と果物の試験村に行き理解致しました。


 久遠家では明や南蛮から学ぶだけではないのです。自らその先を探しておられるのですから。


「ふふふ。それを理解してくれているのは、若様と大殿を除けばごく僅か。千代女殿は学問を学ぶべきかもしれないわね」


 私の答えは正しかったようです。エル様は嬉しそうに笑ってくださいました。


「ですが、それを世に知っていただくのは難しゅうございますよ」


「ええ。わかっているわ。でもね。気付いた私たちがやらなければ、いつまでも世の中は変わらないわ」


 これがエル様でなければ、恐らく無理だと思ったかもしれません。


 京の都では公方様と管領の細川様の家臣だった三好家が対立して、とうとう京の都を三好家が力で制してしまったと聞き及びました。


 公方様と管領の細川様は近江の坂本に退いて、六角家と共に三好征伐に出るのではと噂されるほど。もっとも父上は六角家による三好征伐は無謀だと言い、ないのではないかとおっしゃられておりましたが。


 エル様はそんな日ノ本の諸将とはまったく違うものを見ておられます。


 この方ならば……この方ならば出来るのではと思えます。


「えるー?」


「あら、姫様。いかがなさいました?」


「おてつだいする!」


「ではこれをゆっくり混ぜてください」


 若様たちは島の者たちが挨拶に来るまでお休みになられていますが、お昼寝をされていた姫様が目を覚ますと屋敷は賑やかになります。


「つめたいね!」


「ええ、とっておきのお菓子ですよ」


 姫様もまたエル様のことが大変お好きなようです。嬉しそうに手伝いをされる姿が、ことほかあいらしゅうございますね。


 こんな日々がずっと続いてほしいと願わずにはいられません。




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