第486話・謎の久遠諸島・その二

Side:久遠一馬


 エルが語ったのは魔女狩りと宗教裁判だった。特定の神以外は異端であり、宗教に絶対的な力がある。


 まあこの時代は日ノ本の宗教も酷いが、欧州の宗教も酷い。


「初めは純粋な取引だったり布教だったりします。しかし彼らはやがてそれを利用して、おのが領地にしてしまい、その地の民をことごと奴婢ぬひへと落とします。なぜなら彼らの神によって、彼らのみが『人』であり、他は人に似た『畜生』であると世の始まりと共に定まったと信じているからです。もっとも近頃は海に嫌われたという噂で動きが低調ですが……」


 時代背景が違えば価値観も違う。元の世界の人権や倫理が確立された時代の価値観で批判するのは間違いだろうが、弱肉強食のこの時代ではオレたちも元の世界の価値観で過剰に配慮する必要は必ずしもない。


 オーバーテクノロジーでの妨害はやり過ぎと言えばそうかもしれないが、現状の日ノ本で対抗は難しいからな。


 ただ、この話は皆さん概ね理解してくれたようだ。ひとりひとりのお坊さんは決して悪人ばかりではない。とはいえ宗教として団体となれば武家以上に厄介で面倒な集団となる。


 比叡山と本願寺、日蓮宗が京の都で争い滅茶苦茶にした法華一揆は記憶に新しい出来事だ。


 ほかには加賀の一向一揆も土一揆や一揆と呼ばれて警戒されているし、織田では三河本證寺の件が昨年あったばかりだ。本證寺の件にしても、賛成派と反対派で分裂したし、あれが泥沼になれば恐ろしいというのはみんな理解している。


「実はウチの島とか領地では、私の父の代から特定の寺社を建てるのを禁止しているんですよ。信仰するなとまでは言ってませんので、各家には仏壇や神棚を作っている人もいるようですね。個々ここの家の中のことまでは規制していませんので。また、お坊さんもいませんね。病人は医師が診ますし、人が亡くなれば皆で弔います。お坊さんいなくても困らないので」


 エルの話に日ノ本の外も決して極楽浄土ではないと理解した皆さんに、オレが引き続き本題に入る。


 これはエルたちが考えた政教分離の第一弾というかきっかけとしての策だ。宗教家がいなくても人は生きていける。規模が小さくても単純な成功例としてそれを見せること。


 強要はしないし排除もしない。とはいえ、なくても生きていけると見せることで、宗教についてみんなに考えるきっかけを作りたいんだ。


 オレたちの介入で、この世界では明治維新クラスの革命は起こらない可能性が高い。史実のように欧州が世界を制したあとに、後進国として食うか食われるかの状況になるのは御免だしね。その前に対策はしたいんだ。


 ただ、そうなると明治維新クラスの政教分離がこの時代に必要となる。


 信秀さんがいて信長さんがいて、オレたちがいる。こんな時代でなければそんな大改革は無理だろう。有史以来、日ノ本の政治には宗教が密接に絡んでいるんだ。


 理想は元の世界か。葬式仏教なんて言われていたが、世界的にみても政教分離が一番進んでいたほうだろう。


「なるほど。工業村に寺社がなかったのもそのためか」


「ええ。神仏を名乗る者を信用するな。人の心を惑わす鬼と思え。父の遺言です」


 信光さんがオレの話に工業村のことを口にした。


 実際、不思議に思う人は結構いたんだよね。普通は寺とか最初に考えるからさ。あとから求められるまで宗教施設を作らなかったし。


 ちなみにオレの実の父は宗教に興味もなかったが、鬼と思えなんて言ってないよ。架空の久遠家先代のお言葉としてエルたちと考えたんだよ。


 このくらい言わないと信心深いこの時代の人には響かないと思ってさ。


「さぞ、苦労されたのであろうな」


 批判的な人がいるかなと様子を見るが、そうでもないみたい。賛同とまではいかないが、理解出来る部分もあるというところか。


 ただ信光さんが架空の先代の苦労を察してくれたように神妙な表情をすると、若干胸が痛い。騙しているという意味ではオレたちは悪徳宗教と大差ないのかもしれないと思う。


 それでも未来のために……。


 心の支えとしての宗教は残す。だけど現状の宗教は、あぶれた貴人が看板を掛け替えているだけにしかみえない。


「みてみて~」


「おおっ、市。よう似合っておるな」


 少ししんみりとして静かな時間が過ぎた頃、すずとチェリーに連れられて、お家探検にいったお市ちゃんが子供用の洋服を着て戻ってきた。


 すずとチェリーも同じく洋服に着替えていて、三人とも確かによく似合っている。


 クルリと回ってみせると、真っ先に褒めた信長さん。口下手だけど姉妹や弟には甘いんだよね。




 お市ちゃんのおかげで沈んでいた空気が一変した。その後は長旅の疲れを取ってもらうことにして、夕食の時間となる。


「これは鯨ですかな?」


「はい。本日は新鮮な鯨がとれましたので、鯨料理になります」


 夕食は久々に揺れてない陸上での食事にみんな喜んでいる。しかも今日は鯨づくしなので特に反応がいい。


 ワンピースタイプの洋服に着替えたエルがエプロン姿でメイドさんたちと料理を運んでくると、一品ずつ説明していくが半分くらいの人が聞いてないね。


 いつも控えめな資清さんですら思わず笑みをこぼしているほどだ。戦国時代では鯨は人気の高級食材だからね。しかも新鮮な鯨は尾張ではウチでも食べられない。塩漬けとか燻製とか干物はあるけどね。


「なあ、わしら場違いじゃないか?」


「食っていいのか? 殿にお叱りを受けないか?」


 ああ、大きな食堂では佐治水軍の船乗りのみんなもいる。彼らは初めて見た西洋建築の豪邸で、信長さんたちと同じ食卓の席に座っていることに戸惑っている。


「それは鯨の刺身ですよ。新鮮なうちにしか食べられないものです。たくさんありますので、皆さんも遠慮なさらずに召し上がってください」


 信長さんと信光さんが遠慮なく食べ始めると、織田家御一行様のみんなが食べ始めるが、それでも戸惑う佐治水軍の船乗りのみんなにはオレから食べるように促す。


 佐治さんはそんな船乗りのみんなに少し苦笑いを見せて笑っていて、その様子に彼らもようやく料理に箸をつけた。


 彼らは武士ではないからね。身分とかマナーとか気にしているんだろう。信長さんなんかはまったく気にしてないが。


「うめえ」


「鯨漁はしてるが、食べたことねえからなぁ」


 佐治水軍の船乗りの男たちは普段は久遠船で漁業や荷物の運搬をしているみたい。以前佐治さんに勧めた捕鯨もやっていて、何度か鯨を獲って塩漬けにしてウチで買い取ったこともある。


 最初は訓練を兼ねてウチの船も同行して手伝っていたんだけどね。最近では船も増えて自分たちだけでも捕鯨を始めたらしい。


 大湊が友好的だからね。佐治水軍は大湊を利用して太平洋での漁も始めている。伊勢志摩の水軍はお金を払えば邪魔はしないしね。どのみち黒船は織田の船だと知られているから、手を出す水軍はいないだろうけど。


 メニューは刺身・鍋・竜田揚げ・ステーキ・寿司もある。


 味付けは完全に元の世界のものだね。エルたちが作ったんだし当然だけど。


「かぁ~、美味い! もう、このまま隠居してここに住むか!」


「それはさすがに親父が許さぬぞ」


 というか信光さん。勝手にここを隠居地にしようとしないでください。もっと働いてください。信光さんがいないと、天下統一が遠のくよ。


「殿、それにしても明るいですな」


「今日はお祝いだから、ランプをたくさん使っていますからね」


 重臣の子弟のみなさんも夢中で食べる。そんな中、太田さんはランプの明るさに驚いている。


 インテリアとしても使えるようなガラス製のランプをたくさん使っているから、この時代にしては明るいんだよね。


 ちょんまげ姿のみんなが西洋建築の建物で鯨料理を食べて金色酒を飲む。


 うん。光景はカオスだね。


 でもこの光景は嫌いじゃない。






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