第482話・久遠諸島への道・その三

Side:土田御前


 そろそろ日が暮れる頃になりますが、清洲城はいつもより静かに感じます。


「殿は市に甘すぎます」


 やはり市は戻ってきません。わかっていたことですが、一馬殿と共に久遠島に行ったのでしょう。


 静かにひとりで金色酒をたしなまれる殿に、愚痴のひとつでも言わねば気が済みません。母、女親おんなおやの気持ちなど殿方は理解してくださらないのですから。


「わかっておったのならば、止めればよかったであろう」


「市が久遠家にいずれ嫁ぐことになるのならば、早いうちに船に乗ったほうがいいと仰せになったのは殿でございます」


 殿の娘で一番一馬殿に懐き、またエル殿たちにも気に入られている市には、いずれ久遠家に嫁にいくのが定め。殿がなにも言われぬので誰も口にしませんが、織田と久遠には遠くないうちに確かな血縁が必要なのです。


 猶子でも現状では十分でしょう。されど織田は大きくなるばかり。殿と三郎のせいあるうちは問題が起きなくても、その先は……。


 一馬殿は無骨者ではありませんが、意外と難しいところがあります。わらわにもよく理解出来ませぬが、己の考えを曲げぬ強情な面があります。


 特に血縁や嫁の問題は驚くほど強情です。本来ならばすぐにでも市を一馬殿の嫁として婚約させて、一馬殿の血縁の娘が織田にほしいのですが、それだけは無理でしょう。


 子は他所には出さない。一馬殿自身がそう言ってはばかりませぬ。銭や知恵は惜しみなく出す一馬殿の譲れない一線であると、殿はお考えのようです。三郎からは『家族のためなら地位も領地も全て捨てる』と一馬殿が言ったとも聞きます。


 わらわもそう見ております。武家と成りながら、武家を否定しているのが一馬殿ですから。


 ただ、市ならば受け入れてくれると、わらわと殿は考えを同じくしているのです。


「案ずることはあるまい。船は四隻。もし一隻沈んでも帰ってはこられる」


「存じています。ただ、わらわくらいは反対せねば家中に示しがつきませぬ」


 それに下手な他国に嫁ぐことを思えば悪くないのが本音です。実はわらわが一馬殿に一番感謝しているのは、一馬殿が他国との婚姻に深い懐疑かいぎを示し、家中のおくき、そのことごとくに再考さいこううたことであります。


 殿の娘は幾人かおりますが、殿は一族と信頼出来る家中に嫁がせるおつもりのようです。日に日に大きくなる家中をまとめるためでもありますが、他国には娘をやらなくてもよくなったのは一馬殿に感謝せねばなりません。


 たとえわらわの、この腹を痛めた子でなくとも、共に殿の血を引き育つ娘が他国で一人ひとりなみだして、苦労すると思えば、かわいそうなのです。


 女が泣かずとも済む世が来るのでは、そんな期待をしてしまいます。


「そなたも堅物だな」


「殿が新しきに賛意さんいされ、押し進められるならば、わらわが危惧きぐを、時には不同意ふどういを示してでも、家中にれなりの配慮をする。それがおくたばねる妻の務めです」


 久遠家の本領はどのような島なのでしょうか?


 風邪など引かず、皆が無事に帰ってきてほしいものです。




Side:久遠一馬


 今回は蟹江を出て、そのまま小笠原諸島改め久遠諸島を目指す。この世界で小笠原諸島の名になることはないだろう。いつの間にか久遠島と言われているし、正式名称が久遠諸島でもいいか。


 航路は一旦東に向かい伊豆諸島で二回ほど補給をする予定だ。元々、外洋仕様のガレオン船やキャラック船にそこまで頻繁に補給が必要な訳ではないし、ウチの船は次元が違う。つまりは佐治水軍の久遠船の自航じこう能力が、航行用こうこうよう積載せきさい物資ぶっし面で四日よっかを越えると極めて不安なんだ。


 今日は少し雨が降っているが、風もあるし船は順調に航行している。


 太平洋に出ると一面の海ばかりになる。お市ちゃんが駄目そうなら引き返すことも考えていたが、普通にご飯食べてお昼寝しているよ。


 中々の大物だね。


「揺れますな」


「下は底知れぬ海であろう? 恐ろしいな」


 一方の信清さんとか勝家さんは、若干緊張気味らしい。今回初めてのメンバーだからね。するには大変だし、船に酔えば苦しいからって説明したんだけどね。


 そのくらいで泣きごとをいうのは武士ではない、みたいな反応が返ってくる。関東行きの時に駄目だった人がいたことも教えているんだけどね。本人の名誉のためにもあまり大っぴらには言えないしさ。


「船の旅の難点は暇なことだな」


 ちなみに二度目の乗船メンバーはある程度余裕がある。信光さんなんかは海を眺めてのんびりしている。


 それにしても島に戻るのは約三年ぶりか。正確には三年に達してないけど。


 日程としては余裕をもって片道十日の航海で六月中旬をめどに戻ることになる。早ければ六月五日の熱田祭りには戻りたいが、微妙だろう。


 それこそ天気と風次第と言える。ただ佐治水軍の練度も十分なようなので二十四時間航行で行く予定だ。




「いただきます!」


 夕方になった。食前のいただきますという挨拶は戦国時代にはないので、ウチで食事の経験がない信清さんとか重臣の子弟の皆さんがびっくりしている。


 ただお市ちゃんは慣れているので、すずとチェリーと一緒に揃った笑顔での挨拶だ。


 夕食は白米と味噌汁に焼き魚と野菜のおかずが一品になる。今日はなんとか火が使えたようで、温かい味噌汁がある。


 基本船の上ではみんな同じメニューだ。ただ以前にも説明したが、食中毒の心配や操船などに人が必要なので食べるのは一緒ではないが。


 まあ織田家御一行様のみんなとオレは基本一緒だ。皆さんはお客さんだからね。


「美味い」


「正月の宴のような味噌汁だ」


 信清さんと勝家さんは味噌汁に驚いている。今日の具はハマグリだ。蟹江で生きたハマグリが売っていたので、急遽買って生きたまま積んだんだよね。


 確かにハマグリのダシが出て美味しい。味噌も尾張で一般的な赤みそではなく、白みそと赤みその合わせ味噌だ。


 魚も今日は生の魚を焼いているが、明日からは干物や塩漬けになる。


「今日は特別です。今後は保存食が中心で、味噌汁も食べられない日があります」


 初日の夕食ということもあり、エルが改めて皆さんに説明している。事前に説明はしたんだよ。十日程になると最悪は生水が腐る可能性があるからね。


 一応腐らないように霊験あらたかな水と称して、腐りにくい処理をした水を各船に積んではあるし、ほかにはお酒や瓶詰めもある。


 それと途中で伊豆諸島で補給するから、そこまで神経質にならなくてもいいんだけどね。念のために厳しめに言ってある。


「それと事前に説明いたしましたが、お酒が苦手な方に水は優先いたします。姫様とほかに数人いますのでご理解ください」


 ただお酒は苦手な人はダメだからね。


 ちなみに食事とか水の配分とか食べ物は、ウチに一任してもらうように事前に了解を得ている。


 肝心の信長さんもお酒があまり得意じゃないし、今回はお市ちゃんもいる。エルのことだからお市ちゃんが来るのを知っていて準備はしてきたんだろうけど。


 ただ、違うものを出せば不満が溜まるかもしれない。きちんと事前に説明することは大切だからね。


「水が貴重で酒を飲むというのはまことだったのか……」


 信清さんが唖然としている。お酒って安くはないからね。信清さんクラスになるとお酒に困ったことはないんだろうけど。


「姫様。だいじょうぶですか? つらいですよ?」


「うん」


 念のためお市ちゃんにも聞いてみるが、返事はいい。でもどこまで理解しているかは怪しい。ロボとブランカも水は必要だしね。水は多めに積んできてはいるだろう。


 ただあんまり楽な旅にすると、海の旅が楽だと皆さんが勘違いするからな。無理のない範囲でこの時代の現状に合わせないと。


 さて、どんな旅になるんだろうね。



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