第477話・評定の後で

Side:久遠一馬


「いや、助かりましたよ」


「なんの、清洲では無駄ですので」


「そうですな。蟹江のほうがよいでしょう」


 この日、評定にて公営市場の設置が決まったが、揉めていた場所に関しては蟹江に決まった。


 決定打は津島の大橋さんと熱田の千秋さんが、蟹江の利点と清洲の問題を指摘してくれたことだ。


 その流れで二人とは、那古野のウチの屋敷で公営市場の今後のことを相談することにした。


 現状では清洲のほうが人口も多くて賑わっているんだよね。あそこは街道の要所でもあるから。ただ品物を清洲に集めるには蔵が足りないし、水運で運べるとはいえ河川湊かせんみなとの拡張はすぐに限界が来る。結局は代替の用意が必要だ。広がった織田領の全体からみると物流拠点として開発中の蟹江が最適だった。


 というか公営市場の件は津島や熱田の利権を奪うことでもあるので、反対するかとも思ったんだけどね。


 どのみち止められないならば、蟹江のほうが津島と熱田にも利が大きいか。切り替えの早さは見習いたいね。


「街道整備を急ぎましょうか。海路もいいんですが、陸路のほうが安全ですし」


「そうしていただけるとありがたい。蟹江から熱田と津島を繋げば、その効果は計り知れないですからな」


 見返りは街道の整備への協力資金の増額でいいか。大橋さんの表情がよくなった。街道整備は津島と熱田でもやっているが、資金力と人員の確保なんかもある。ウチにもっと力を貸してほしいんだろうな。


「しかし、熱田と津島が揃って町構まちがまえからして、見直し、拡げねばならなくなるとは……」


 一方の千秋さんは少しため息交じりに現状を語った。


 そりゃあそうだ。尾張に東日本の経済の拠点を作ることになるとは思わなかったんだろう。


 現状では津島と熱田も足の引っ張り合いすらやる余裕はない。それどころか仕事を相手に押し付けあっているときもあるほどだ。


「町を拡げることに関しては、屋敷などをあまり密集させないようにしたほうがいいですよ。それと道は広くし、ところどころに火除け地を設けることもお勧めします」


 少し懸念があるとすれば津島と熱田は町はずれを場当たり的に広げることをしていて、計画的な拡張でないことか。都市工学的な学問を学んだ訳でもないだろうし。基本構想に当たる町構え、その中で区画機能を考慮・調整する町割りが存在しない。このまま進むと機能不全に苦しむのが予測される。


 こればっかりは仕方ない。清洲と那古野はウチが計画したが、津島と熱田はほとんど関与していない。その影響もあって抜本的な町割りはしていない。お金もかかるしね。


 ただ町割りの件は現状では余裕がないのだろう。だが、道に関しては、あまり狭い道は作らないように考えてくれるようだ。特に、物資の運搬が頻繁に行われるから、狭い道では不便なのは理解しているようだ。街道ができて余裕ができたら、隣接地に新市街を作り、いったんそっちに移転してもらってから、旧市街の再開発をやるのもありかな。


「おそくなりました」


「そういえば、近頃はまた堺からの文が増えましたな」


 評定の後も清洲城で仕事をしていたエルが戻ると話に加わるが、そこで大橋さんが複数の書状を見せてくれた。


「またか」


 それは堺からの書状だった。一言で言えば品物を優先して売れという手紙だ。上から目線なのは相変わらずか。まだ余裕があるらしい。


 内容は面白い。遠回しにどこぞのお偉いさんが欲しがっているが、そのお方に尾張が軽んじていると言うぞという脅しのような内容まである。ただ具体的な名前はない。


 そりゃあそうだろう。朝廷と幕府には相応に貢物を送っている。石山本願寺だって懸案が片付いたんだ。現状で畿内へは大湊経由の海路と陸路で、石山本願寺を経由して品物が流れている。


 優先度が高くないのと値が下がらぬように品薄にしてはいるが、相応の身分の家にはそれなりに品物が届くようになってきている。


 堺のために前面に出て織田と交渉してくれる人なんて現状だといない。三好ですら六角家のように織田が細川晴元を支援するのではと警戒して直接取引しているのが現状だ。


「当方にも届いておりますな」


 とうとう熱田の千秋さんのところまで手紙を出し始めたか。大湊の会合衆やウチにも来ている。政秀さんや信秀さんのところにも来ているそうだ。


 面白いのは相手の身分によって内容が違うこと。信秀さんのところには堺が織田を支援すると言いたげな内容もあるらしい。


「ふふふ、堺は織田と本願寺が争うのを願っていたのでしょう。その隙を突くつもりだったのだと思います。しかし本願寺のほうが上手でしたね」


 最近また増えたお手紙の理由を、エルが大橋さんと千秋さんに面白そうに語った。


「では先の六千貫も……」


「はい。何年も長引くよりは、さっさと決着をつけたほうが得だと判断したのもあるでしょう」


 千秋さんが六千貫の意味を理解して唸っている。一方は仏教で一方は神道と違いはあるが、同じ宗教関係者として理解できる部分もあるのだろう。さすがに石山本願寺と熱田神社は規模が違うけどね。


 交渉と和睦に時間をかければかけるほど、三河からは影響力は落ちて織田との関係が悪化する。


 それに堺ばかりではない。比叡山のように石山本願寺が目障りなところも、内心では織田と石山本願寺の争いを願っていたはずだ。


 本願寺もそれらを理解していたからね。実際、本願寺内には堺と親しい者もいる。


 堺には石山本願寺を使って織田を叩き、織田とウチを屈服させて自分たち堺がウチと南蛮貿易を支配する。そんな夢想を考えていた者もゼロじゃないんだよね。これが。


 誰も相手にしなかったし、石山本願寺では笑い話程度だったようだけど。


 織田に有無を言わせぬ金額で即決させてしまえ、というのが石山本願寺の結論だ。本当に手強い相手だね。


「遠江まで獲らぬことに、家中には不満もあったようですが……」


 ここで大橋さんはふと思い出したのか、先の本證寺との戦で今川との停戦をしたことに対して家中や三河で不満があったことを口にした。


 本当、ちょっと勝つとイケイケどんどんとなる人がいるんだよね。それもあながち間違いじゃないんだけどさ。でも、今回潰したのは本證寺であり、今川家の主力部隊に勝ったわけではないんだよ。


「今川も遠江は簡単には渡しませんよ。本気で遠江を奪うにはどれだけの苦労があるか。そのうえ今川と争えば本願寺との和睦もこれほど早くはなかったでしょう。加えてあまり東にばかり目を向けると美濃がどう転ぶかわかりませんので」


 大橋さんも千秋さんも今川との停戦を、エルがほとんど取りまとめたことは知っているからね。そこまで読んでいたのかと唖然としている。


 まあこの件は今川の首脳陣が和睦にまで踏み込んで、現行勢力圏の確定を狙う気だったことも大きいけどね。


 武勇は示して懸案だった本證寺は潰した。そのまま長年敵対していた織田と今川が電撃的に引いたのは、オレが思う以上に周囲には衝撃だったようだ。織田と今川は先代からの宿敵同士だからね。もはや、親の仇状態だ。実際、義統さんも本心では今川のことを親の仇と思っているかもしれない。


 ただ、オレからすると今川のほうが凄いと思う。エルの策を完全に見抜いたわけではないだろうが、勝ち目がないとふんで今川の威信と武勇を最大限に守りつつ織田と和睦の足掛かりを掴んだのだ。


 現状で今川と戦ってはダメだ。勝ち目がなくても織田を最大限困らせる戦略でもされたらシャレにならない。


「手強いですな。石山は……」


 千秋さんはそんなエルとまともにやりあって、上手く結果を得た石山本願寺の恐ろしさを痛感したらしい。


 まあ、尾張国内の内輪の戦ではない。これが日ノ本の戦なんだけどね。織田弾正忠家もそこまで大きな他国との戦はほとんど経験してないしね。


 大橋さんや千秋さんが驚くのも無理はない。


「重要なのは、いかに戦をせずに国を富ませるかなのです。津島と熱田は織田の原点ですので、今後も協力していただかねばなりません」


 しんと静まり返った部屋にエルの透き通るような声が響いていた。


 それはいいんだが、お市ちゃんとロボとブランカが騒いでいる声がする。今日はすずとチェリーと一緒に遊んでいるらしい。


 変な遊びを教えないといいけどなぁ。





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