第474話・名誉回復の機会

Side:織田信友


 あれから一年と数か月。今、わしは清洲に屋敷を構え悠々自適の隠居暮らしをしておる。


 あれほど失いたくなかった守護代の地位も失うと清々するとはのう。


 日々の暮らしは変わらん。いや、金色酒などを飲めるようになったことを思えば豊かになったと見るべきか?


「お呼びでございましょうか?」


 この日、わしは久々に清洲城に呼ばれた。あれから清洲の町や城は信じられぬほど大きく広くなった。意地を張らずによかったと改めて思う。


 死した者の誇りなど、もはや誰も覚えてはおるまい。それどころか戦があったことすら覚えてはおらんかもしれんな。


 通されたのは南蛮の間という久遠家がもたらした技でしつらえた部屋であった。白い壁には南蛮絵が飾られておって食卓と椅子がある。


 驚いたのは父上がおったことか。織田因幡守家の当主として信秀に仕える父上までおるとは……。なにかあったのか?


手慰てなぐさみの一服いっぷくですが、どうぞ」


 茶を運んできたのは『桔梗の方』と呼ばれるらしい外国とつくにの女だ。なんでも奇抜な姿と言動から当初は『奇矯の方』と言われておったらしいが、熱田神社の茶会で見事に茶を振る舞い桔梗のようだと言われたとか。


「シンディ。そなたも同席しろ」


「はい。では失礼致します」


 かのものの淹れる紅茶という茶を信秀は好むというのは本当であったのか。


 部屋には信秀と父上と桔梗の方とわしだけ。近習すら下がらせたのは気になる。何か大事か?


「話は因幡守家のことだ。そろそろ隠居したいと申しておるのだが、因幡守を継ぐ者がおらん」


「父上……」


 そうか、因幡守家のことか。ならばわしが呼ばれたのもわかる。先の戦で父上にだけは迷惑をかけぬようにと、すべてを捨てたとはいえ、わしの実家だからな。隠居した身でも関わり深き縁者えんじゃか。


「そなたが因幡守家を継がぬか?」


 だれぞ信秀の子が養子に入るのかと思うたが、信秀からはまさかの言葉が聞かれた。信じられん。長年対立しておったわしを許すのか?


「……某は隠居した身。それに今某が動けば余計な諍いになりまする」


 わからん。儀礼に過ぎぬ提案なのかもしれぬ。ひとまず断るべきだ。今更燻ぶる大和守家の旧臣の神輿など御免だ。


「それは心配無用だ。そなたは動かん。今更わしを討てるなど思うまい? 左様な短慮たんりょな輩ならば声はかけん。まだ老け込む歳でもあるまい。今一度やり直さぬか?」


 父上は何故口を開かん。父上の本意はいずこにあるのだ。それに信秀は何故今更わしなどに声を掛ける?


「理解できませぬ。弾正忠殿の子息を養子にすればよいではありませぬか。そうですな。久遠殿でもよろしいかと思いまするが?」


「残念だがそれはない。そなたが継がねば因幡守家は途絶え、断絶は家門一党の凋落に繋がるのだ」


「何故……」


「わしはな、武家のあり方そのものを変えるつもりだ。源氏と平氏が争ってからこれまで争いばかりではないか。それをなくすために根底から変える。そのためにはそなたに働いてほしいのだ」


 なっ……なんということを。本気か。いや、わしなど騙したところで信秀に得るものはない。殺すならば密かに殺せばいいのだ。邪魔ならば高野山にでも送ればいい。


 わしなど騙す価値すらないのだ。ということは信秀の本音か。


「ですが某は知らぬとはいえ久遠殿に刺客を向けました。某が因幡守家を継げば、久遠殿が面白くありますまい」


 ここまで言われたのだ。従うべきかもしれん。だが懸念は久遠殿だ。かの御仁は信義を欠く者には厳しいと言われておる。今の織田家であの御仁に恨まれるのは困る。


「案ずることはない。この話は一馬が持ってきたものだ。そうであろう? シンディよ」


「はい。織田が現状で満足して終わるのならば、先の守護代様のお力は不要でしょう。ですが天下を狙うならば先の守護代様のお力が必要でございますわ。失礼ながら貴方様の引き際は決して悪くありません。今一度、名誉回復の機会をお手に取ってみてはいかがでございますか?」


 なんだと。久遠殿が……。


 天下か。噂はまことか。久遠殿は戦のない世を望んでおって、そのために動いておるというのは。


「そろそろ親孝行をしたらいかがだ? いつまでも生きておると思うのは間違いぞ。わしなどすでに孝行する父がおらん。今の尾張を父に見せたかったといつも思うておる。父がおるそなたと代わりたいくらいだ」


「……承知致しました。因幡守家を継ぎ、弾正忠殿…いや、これよりは殿とのに従いまする」


 父が涙を堪えておるのが見える。わしも涙が堪えきれん。深々と頭を下げると涙がポツリポツリと零れてくる。


 仏の弾正忠とはまことであったか。




Side:久遠一馬


「ええ子や。お手!」


「ワン!」


「かわええなぁ」


 屋敷の庭では技能型アンドロイドの鏡花がロボとブランカと遊んでいる。島と尾張を定期的に行き来しているアンドロイドのひとりだ。


 黒髪ロングで京都弁の大和撫子をイメージして作ったアンドロイド。年齢は設定時で十六歳だったが、今はアンドロイドたちも自然成長をするように調整したので十八歳になるのか。


 本来の専門は航空宇宙工学と船舶工学だ。現在ある宇宙要塞シルバーンや次元航宙艦を始めに、大気圏や重力圏の艦艇は、ほぼ彼女が設計したものになる。ガレオン型の船もそうだね。


 ただ、現状では特にやることがないひとりだ。


「鏡花。蟹江の船大工の皆さんを任せてもいいか? エルの負担を減らしたいし」


「ええよ。でもどこまで教えてええの?」


 特に暇を暇と思わずに戦国の世を楽しんでいるところ悪いけど、エルの負担を減らしたいんだよね。ゆくゆくは蟹江の造船と水夫の学校を任せてもいいかも。操船技術や航海術は教えているが、航海中に船を直す技術までは教えていないからね。現状では、ウチの水兵が直接指揮して修理している状況だ。


「久遠家が作った物に関しては全てを教えても構わないがやりすぎない範囲でいろいろと。彼らの創意工夫を潰さない範囲で」


「うーん。それが一番難しいわ」


 隣でお市ちゃんがお絵描きしているから、オーバーテクノロジーのことはあんまり言えないんだよね、


 織田家が広がって苦労しているのはエルと政秀さんだ。どちらか一人でもいなくなると織田が回らなくなる。


 現在エルとメルティは政秀さんと共に行政機構の構築の素案作りに乗り出している。文官も徐々に増えているが、まだ専門的な職業にはしてないからな。制度設計だけでもしておかなければ。


 なぜ今かと言えば、信秀さんが天下を見据え始めたことだ。統治体制は今からやらないと旧来の武家の体制が残ってしまうんだよね。


 むろんすべてを否定はしない。とはいえ封建制は緩めないと発展が阻害されかねない。正直、封建制のままでは近代国家は作れないと思うんだ。


「鏡花様は職人なのでございますか?」


「うん。親父さんがそうだったんだよ。ウチの船は最近では鏡花が設計したものなんだよ」


 鏡花と打ち合わせをしていると、ちょうどやってきた資清さんが少し驚いた様子で訊ねてきた。


 こっちでは遊んでばっかりだったからね。


「それは善三殿が喜びますなぁ。南蛮船を造った者たちに会いたいと申しておりましたので」


 資清さんがぽろっとこぼした一言に苦笑いが出そうになる。やっぱりそうだったんだね。現状に不満はないようだったが、南蛮船が造りたくてウチにきた人だからなぁ。


 先日会った時も言ってくれればよかったのに。


「ええわ。ウチに任せとき!」


「うん。頼むよ。織田の拡大が早すぎて、船の数が足りなくなりそうなんだよね。技術指導で造船速度を速めてほしい」


 少し悩んでいた鏡花だが、資清さんの言葉が効いたのか気持ちよく引き受けてくれた。


 織田家の拡大が早すぎるんだ。できれば今後十年は現状維持でいたいが、そうも言っていられない可能性が出てきた。ウチが引っ掻き回したことに対する悪い方の影響が出始めているんだ。


 まあ、ウチの影響で織田家の天下統一が早まるとは事前に予測はしていたが、予測の中でも早いほうになりつつある。


 信秀さんや信長さんを筆頭にした織田家の面々の変化と成長が思っていたより早いんだ。


 皮肉なことだが、武士としての伝統や形式なんて、みんな意外なほど気にしていない。


 みんなにとっては伝統よりも現実の暮らしのほうが大事なんだ。新しい価値観やいいモノを取り入れることには思った以上に貪欲だった。


 先日には畿内では相変わらず終わりのない争いをしていると報告したところ、重臣たちが呆れたように笑っていたくらいだ。


 とりあえず船大工たちを鏡花に任せれば、少しはエルも余裕ができるだろう。



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