第473話・去る者

Side:本證寺の学僧


「この愚か者どもが」


 尾張に来て数か月。季節が春となり、ようやく我らの処遇が決まった。畿内に戻れる。そのことに同じ寺で軟禁されておった者たちと共に喜んでおったのも束の間、面会にやってきた石山本願寺の僧がまるで罪人でも見るかのように蔑んだ目で我らを見据えておった。


「なっ、なんという言い草」


うぬらのせいでどれだけ迷惑を被ったかわからぬか? 幾人もの僧が殺され、信徒ともども寺が失われた」


 信じられぬ。我らは仏の教えと玄海上人を守っておったのだぞ? それが何故生き恥を晒したとでも言いたげな乱暴な言葉をいうのだ。


「非道なのは玄海上人を傀儡としておった愚か者どもであろう!! 罰当たりめ、寺を巻き込みおって!」


「なるほど。織田殿が生かした訳が分かったわ。愚かすぎて怒りすら沸かぬわ。いいかよく聞け。汝らは畿内に連れて戻るが、安住の地などないと思え。一向宗を汚した罪人だ」


 信じられぬ。我らがなにをしたというのだ?




 我らの苦境はそれで終わりではなかった。


「あれが我欲で一揆を起こした本證寺の破戒僧どもか」


「連中のせいで一揆を止めようとした願証寺のお坊様たちが何人も亡くなったんだ。それなのになんで連中だけ生きているんだ?」


「清洲の殿様の慈悲なんだろう。甘いと思うがな」


 軟禁されておった寺を出ると多くの民が集まっておった。石を投げてくる者もおる。願証寺の僧や織田の兵がおるが、誰も我らを守ってはくれん。


 何故だ。何故そんな扱いなのだ……。


「汝らのことは幼子から年寄りまで、みんな知っておるぞ。織田家では一揆のことを事細かに領内に知らせておるからな」


 なんだと……。願証寺の僧が苦々しげに我らを見て、死した仲間の僧の仇だと、愚かな民を煽っておる。


 だが違う。我らはなにもしておらん。


「いいお坊様には極楽浄土に行ってほしいが、破戒僧も死んだら極楽浄土に行くのか?」


「本證寺や願証寺の教えではそうらしい」


「それは、おかしくねえか?」


「ほかのお寺さんじゃ違うこと言っているからなぁ。地獄に落ちるんじゃねえか?」


 おのれ。氏素性の怪しい者どもが。勝手なことばかり言いおって。 


 だが、こやつらの言い分もわからなくもない。本当に南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土にいけるのか。玄海上人を傀儡として寺を潰した愚か者どもも同じ極楽浄土に行くのか?


 理不尽だ。確かにそう思う。救ってはならぬ。罰を与えねばならん罪人まで救うのがわれらの教えなのか?


 わからぬ。わしもわからなくなったわ。


 それにしても、……尾張は豊かで栄えておるな。


 これほど栄えておったのか。若い頃に来た時とは大違いではないか。


 あ奴らは、なにをどうやって織田に勝つつもりだったのだ?




Side:久遠一馬


 本願寺との話し合いも終わり、元本證寺の玄海上人と僧たちが本願寺に引き渡された。


 連中はそのまま蟹江から船で桑名へと渡り、東海道で石山本願寺へと移るらしい。これが吉と出るか凶と出るかはわからない。


 とりあえず織田としては連中を願証寺に移すのは止めるように交渉した。史実の願証寺が反織田となったのは、織田信長や松平元康(徳川家康)に追放された者たちが集まったからとも聞いたことがある。


 願証寺の側でも騒動の種にしかならないので、来てほしくなかったようで、積極的に主張してくれた。とりあえず畿内へと連れていくようにと本願寺に頼んでいたみたい。


 興味深かったのは尾張の各地の寺に分散させていた連中を蟹江に移送する時に、沿道に多くの領民が集まって石を投げたり罵詈雑言を浴びせていたことだ。


 オレたちが狙ったわけじゃない。ただ連中の移送については評定でも報告があったし、すぐに噂が広まったんだ。


 この時代の人は本当に過激なところがある。


「罪人のおらぬ、不在の詮議か」


「いいじゃないですか。文句も否定もしないんですから」


 この日は信長さんと那古野の町を拡張している賦役の現場に視察に来ている。賦役は順調だ。金属製のツルハシやスコップなどがだいぶ普及してきたからね。


 信長さんはそんな光景を見ながら僅かに不満そうな様子だ。


 不満なのは本證寺の坊主の引き渡しだろう。玄海上人は最後まで悪びれることもなく旅立った。舐められていると感じているのは信長さんだけじゃない。みんな武士だからね。舐められていると感じて面白くない人がほとんどだろう。


 評定でもそんな意見が出ていた。ここで甘い顔をすれば同じことをする輩が出るのでは? と懸念する意見が出ていた。


「あら、私はこれでよかったと思うわよ」


「メルティ。何故だ?」


「玄海上人や学僧たちは何も理解してないのよ。賠償金と身柄の引き渡しで六千貫も出した石山本願寺が、彼らを歓迎するはずがないことを。石山本願寺から見れば、殺してくれたほうが安上がりだったと考えているわよ。きっと」


 信長さんの若さゆえの苛立ちだが、そんな信長さんに今日のお供であるメルティがクスクスと笑って、今後の玄海上人たちの立場と行く先を語っていた。


「それはそうかもしれぬが……」


「石山本願寺にも居場所はないでしょうね。どっか邪魔にならない寺に押し込めて終わりよ。誰も同情しないわ。死ぬまでみじめな思いをするはずよ」


 信長さんが情け容赦ないメルティの言葉にギョッとしている。メルティってほほ笑みながらキツイことを平然と言うからなぁ。


 でもそれは事実と憶測が混じった言葉だ。事実、石山本願寺ではいっそ討ち死にしてくれたほうが、まだ殉教者として扱えてよかったと内部では言われている。


 石山本願寺ほど大きな勢力になると内部では、当然権力闘争がある。和平派からは余計な争いをしてと陰口を叩かれているし、過激派からは一揆もまともにできん無能者と謗られているんだ。


 石山本願寺も総意としては、織田との関係を重視しているし、寺の統治すら失敗した彼らを厚遇するなんてありえないだろうね。


「本證寺も廃寺できまりましたしね。人も移したので、あそこは区画整理をしたいですね」


 少し話が脱線したが、本證寺の一揆の詮議が清洲で始まっている。本證寺そのものは完全にクロなので廃寺として寺領は織田家の直轄領とするのが、織田側の基本姿勢だ。


 願証寺も証言をしていて、願証寺や本願寺の使者が殺された件も詮議が行われた。使者の名誉回復と弔いなどをすることが決まったが、本證寺自体はことの深刻さから廃寺となることに異議を唱えず、願証寺は寺領の放棄も認めた。


 まあ願証寺が責任を持つなら寺領の一部維持は検討されたが、水害と戦で荒れた土地の復興と管理はできないと考えたようだ。


 それと織田の得た土地に手を出して恨まれることも懸念したみたいだ。一応本證寺の寺領は沙汰が決まるまではと、手を出してないが、一般的に見れば織田が武力で占領した土地だ。返すにしてもタダというのは、まずあり得ない。


 加えて裁きは残った寺や、密かに本證寺に兵糧を横流ししていた国人衆や土豪にも及ぶ。


 願証寺はこれ以上の寺の廃寺は避けたいのが本音だろう。ただでさえ宗派替えをしてでも織田に従って生き残ろうとしている寺が出ているからね。


 悲惨なのは国人衆や土豪かもしれない。勝ち戦に浮かれて忘れている人もいるらしいが、きちんとそっちも裁くんだよ。


 まあ悪いことばかりじゃない。本證寺の元寺領はまとめて織田家の直轄領へと変わった。


 本證寺領だけでなく、廃寺にした寺領や罪状に応じて召し上げとなる寺、国人衆などの領地も直轄領にする。三河での戦の報奨は既におわっているからね。大量に増える直轄領は点在した形となるが、国人衆や土豪、残った寺領などの配置替えに使えばいい、要所は直轄領にするつもりだ。


 現状の尾張では区画整理が進んでない。農業改革の中でも苦労が多いわりに必要性が感じられないからだろう。西三河で区画整理を推し進めることで、必要性を伝えることができれば多少は理解も得られるだろう。


 農業試験村の評判はいいんだけどね。いまいち踏ん切りがつかない人が多いからな。


 なので西三河の直轄領では一気に区画整理をやるほうがいいだろう。特に本證寺の寺領の元領民もほとんどが別のところに移住したしね。


 帰りたいという声はあるかもしれないが、区画整理してから戻ってもらうこともできるだろう。


 ただ評定で反対されないように、きちんと区画整理の意義を説明していかなければならないだろうな。


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