第472話・本證寺一揆の後始末
side:久遠一馬
蟹江での職人たちの交流は、翌日のガレオン船の見学と船でのクルージングで終った。
工業村の職人は自分たちの知らない技術に、蟹江の船大工は工業村の進んだ考え方に刺激を受けたようだ。
新しいことにチャレンジする。まあ余裕と理解がないとできないことだからね。
蟹江から戻って少しすると、織田領では秋に植えた麦の刈り入れと二毛作による田植えが始まった。
種籾の塩水選別と直播きではない稲の苗を育ててからの田植えなど、新しい農法の指導は順調だ。やはり頼まれたところに教えるのが一番だ。無用な反発がないからね。
農業試験村や太田さんの領地の麦はウチが用意したこの時代にはない新品種だ。F1種ではあるものの収量と病害虫に強い品種だ。
今年の秋は織田家の直轄領などにも新品種の麦の作付けを増やせるかな?
新品種は全量をウチで買い上げることになっている。ウチや織田家で食べる分と工業村で食べる分だ。
そして今日の評定には、美濃の氏家さんが初参加している。
信秀さんに挨拶を済ませて評定衆にも挨拶をした。雰囲気はいい。これで美濃の支配が更に進むのをみんな理解しているからね。
氏家さんも織田に臣従して、いきなり織田一族と重臣の評定に呼ばれたことで気分がよさげだ。この時代は名誉を重んじる。早々と織田の条件をのんだだけに、そんな氏家さんが評定衆になったことで、ほかの美濃の有力国人衆たちは少し焦っているだろう。
今日の主要な報告は、本願寺との交渉の終結についてだった。賠償金の五千貫プラス一千貫で、本證寺の玄海上人以下捕らえた学僧と、その他の一揆勢に加担した高僧の生き残りを本願寺に引き渡すことで合意した。
本当、銭での解決そのものだね。
引き渡しの条件や範囲では少し揉めた。正直なところ全員をきちんと織田で裁きたいのが本音だけど、現状では本證寺の罪を織田が裁くことに本願寺が異議を挟まないことなどで手を打った。
まあ主要な罪人は軒並みあの世だし、玄海上人以下の学僧は実権がなかったことと、本願寺への配慮での引き渡しだけどね。
引き渡すが罪ははっきりと書類として残す。じゃないと後世で勝手なこと言いだしそうだし。本願寺としては織田が領内向けに裁くことは黙認することになった。
ただ、裁きの結果を後世に残すとか、この先織田が天下を治めると正式な国の資料として残ることまでは、さすがの本願寺も考えていないだろう。
妥協したと見せて、実は将来への布石でもある。
「本證寺の末寺は、そのまま願証寺が差配するということか?」
難題が片付いたと喜ぶ評定衆の皆さんだが、残る問題を訊ねたのは安祥城の信広さんだった。信広さんにとってはここからが大変だからなぁ。
「本證寺の末寺は願証寺が差配することになりました。ただし、守護使不入については撤廃します。もともと松平家が認めていたものを織田は追認したにすぎませぬので。また、三河一向宗の寺領についても、本證寺一揆の裁きの際に、配置や範囲を一から見直すことで話がついております」
この件で本願寺との交渉をしたのは、織田一族のまとめ役でもある信康さんと家老である政秀さんだ。三河の寺領についての説明は政秀さんからされている。
本願寺は、三河の寺領に関しては願証寺に丸投げした。
本願寺から交渉役として訪れていた高僧も、すでに三河で本證寺離れが進み、中には単独で織田に完全臣従する寺も現れたことを重くみたようだ。
禁教令は出してないものの、かわら版や紙芝居で本證寺の一揆について積極的に広報を行い、
願証寺に任せることにしたのは、織田のかわら版や紙芝居で、願証寺の努力もきちんと喧伝していたからだろう。
松平宗家の領地とその他の織田に臣従してない国人衆のことは知らん。もっとも先の戦で織田方として戦ったところは口添えをした。ただ、松平宗家などは今川方なのでそっちで話し合ってもらうことになる。今川方のことにまで織田が口を挟めば、せっかく纏めた今川との対本證寺共闘の為の停戦状態が破綻しかねないからね。
本願寺としては、ここで西三河の寺領を割ることは考えておらず、今川や松平宗家が禁教令でも出さない限りは願証寺に西三河のすべての寺領を差配させたいらしい。
実は本證寺系の寺と寺領は本願寺が思った以上に荒れていて、一部では勝手に寺領を横領しているところもある。
吉良家とか吉良家とか吉良家とか……。
松平宗家はよほどのヘマをしなければ、織田と同じ条件での寺の存続でまとまるだろう。織田が西三河に影響を残したいのは本願寺だって理解しているし、松平宗家の無実を証明するために苦労して交渉したんだ。
もっとも松平宗家自体が今川の一部と見られていて、賠償金なんかは払われないらしいが。
今川は蜂起した寺を焼いて、ほとんど根切りにしたからなぁ。
「残るは裁きだな。罪人がおらんのにやる意味があるのか?」
「悪いことは悪いと仔細に至るまで明確に調べて残すことが必要なんですよ。いつの日か本願寺が勝手なことを言いださないとも限りませんし。古い時代のことは書物や口伝で知りますが、書物のほうが信頼されますから」
残る裁きについて、疑問を口にしたのは信光さんだった。
本願寺が驚くほど大人しいからね。これ以上責める必要があるのかという意見は意外と多い。
「お前は相変わらず先を考えるな」
「残すということは大切なことですよ。皆様もご自身の生きた証を残したいとお思いなら、形として残すことをお勧めします。ただ、あまり嘘を書くと、後の世で嘘つきだと言われ、子孫後継の方が
信光さんは感心半分呆れ半分といった表情か。ただ言っていることは理解してもらえているようだ。この時代だって鎌倉やそれ以前のこととなれば、書物で知るしかないからね。
口伝も一部ではあるが、それは公家とか歴史がある家でないとまず無理だからね。
裁きに関しては実質予行練習みたいな部分もある。きちんと関係者に意見を聞き情報を集めて、それを照らし合わせて一定の結果を出す。
実際には大変だけどね。この時代でも平気で嘘をつくし、証拠も偽造する。
とはいえ訴えは領地が広がれば広がるだけ増えていく。大半は土地や水の権利争いで、村や領地単位の争いだけど。
織田家にはこの手の経験がある人が意外に少ない。今から経験を積んでもらわないと駄目だ。もっともこの件はあんまりウチが関わってないから、多少アドバイスして後はお任せなんだけどね。
その後は分国法について評定衆から意見が出された。
一部の国人衆から、具体的にどうすれば良いかよく分からない、という意見が出ているとのことだ。
よくわからないまま罪に問われることを懸念しているみたいだ。
多分氏家さんあたりもあまり理解してないのだろう。時代的なこともあるが、分国法もかなり曖昧に書かれている部分があるからね。運用次第では悪用もできなくもない。
実際に忍び衆の調査では、なぜ今まで通りで駄目なのかという不満は今でも根強いみたいだしね。
領民だって、税はなるべく払いたくない。でも飢えるのは嫌だし、病院には行きたい。そんな感じで、それぞれの立場から求めるものに違いがある。
特にこの時代だと駄目なら戦って決めるまでという風潮が普通にある。
決めるのはわかるんだけど、戦で決めるのはね。
まあ分国法は広報活動を強化しているから、もう少しすれば認知度は改善するはずだ。
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