第469話・お市ちゃん、海で釣りをする
Side:織田信秀
「大御所様が危ういか」
昨年から体調が優れぬと言われておった大御所様が危ういと忍び衆が掴んだ。少し前にケティを寄越せと側近の名で文が届いたので、断るだけでは角が立つと金色薬酒と薬を献上したが、
明から仕入れたものなども含めて、かなりの量を贈ったからな。
大御所様は長きに亘り争い、戦に明け暮れた御方だったが、それでも身罷られれば更に混乱するは必定。もしかすると困るのは三好かもしれぬな。
「三河の戦をさっさと終わらせてよかったな。親父」
「ああ、本願寺も今川もこれ以上争う気はないようだからな。このまま和睦で決まりだな」
危うかったのかもしれぬ。畿内が更に荒れれば織田が巻き込まれる
大御所様という重しがなくなれば、細川晴元はまた好き勝手にするであろう。六角はいつまであの男に付き合う気だ?
この日は先ほどから三郎と一馬とエルと話をしておるが、三郎の言う通りだ。
大御所様が身罷られた後では、和睦がここまでうまくいったかわからん。そもそも三河の戦については、本證寺とその末寺の始末だけで終えるように強く進言してきたのは一馬とエルだ。
家中にも三河の国人衆にも、あのまま三河を切り獲るべきだという意見は根強くあったのを説き伏せた。
このふたりはまさか、この事態を予見しておったのか?
大御所様の体調がすぐれぬのは周知の事実。畿内の騒乱はいついずこで起きても驚きはない。西三河の騒乱も事前に見越して対応しておったのだ。西の騒乱も気にして備えるは当然のことか。
「戦はいかに終わらせるかが肝要か……。これで三好と細川は戦を終わらせる機会が遠のくのであろうな」
ふとエルが三河の一件の前に言うた言葉を思い出した。戦いに勝つよりもいかにして有利なまま終わらせるかが難しいと言うておったのだ。
確かに一時の戦いに勝ったとて得られるものは限られておる。名と実をいかに得て戦を終わらせるかが肝要だ。いつまでも戦を続けておれば、徐々に疲弊していくのは目に見えておるからな。
三好と細川の戦は巷では三好の謀叛だと噂だが、そもそも三好の先代は細川に謀殺されておるはず。それに細川も三好をさんざん戦で使っておきながら、ほとんど報いておらぬというではないか。三好の謀叛も自業自得だな。
「和睦までは何年か掛かるのでは?」
「そうですね。畿内は誰が動いても難しいですから。あちらを立てればこちらが立たず。そんな状況ですので」
一馬とエルも同じ考えか。
勢いと実力はすでに三好であろうが、細川には管領家としての権威があり六角もついておる。公家衆なども畿内には一定の影響を及ぼす力があるからな。
不利となれば逃げの一手。そのうえで陰に日向に動くか。厄介な連中だ。
「美濃はいかがなっておる」
「氏家殿の領地の検地と人口調査の支度をしております」
「今後は評定に呼んでみるか」
まあ畿内はいい。六角もわしが畿内に手を出すのが嫌なようだしな。手を出しても得るものが少ない。六角と利害が一致しておるのだ、余計な波風を立てる必要はあるまい。
それよりも問題は美濃だ。西美濃で大きな根を張る氏家が向こうから臣従をすると言うてきたのだ。
検地と人口調査の代わりではないが、なにかを与える必要がある。
如何にせよ評定には美濃と三河の者も加えていく必要があるからな。評定衆への
氏家には織田のやり方を学んでもらわねばならぬ。
Side:久遠一馬
「本当に大きいな。しかし、なんでこんなに黒いんだ?」
「この滑車はいいな」
季節は新緑の季節になりつつあった。今日と明日は蟹江にて工業村の職人たちに、ガレオン船・キャラベル船・久遠船を見せる日だ。
五十人ほどの職人と職人見習いのみんながきていて、停泊しているキャラベル船に乗せてあげると興味深げに見たり触ったりしている。
素材から構造まで興味が尽きないようだ。沿岸での利用を前提にして作られた日ノ本の船とは、設計思想や構造がまったく違うからね。
ただ、ウチの船は見た目から南蛮船と呼ばれてはいるが、実際には違うとも言える。この時代では明のジャンク船にある水密隔壁を導入しているし、オーバーテクノロジーの知識で作ったので安定性とか走波性はまったく違う。
「かじゅま、おさかなさん。まだ?」
「うーん、釣れませんね~」
職人たちに船を見せている間、オレはお市ちゃんと一緒にキャラベル船から釣り糸を垂らしている。専門的な説明は出来ないしね。
大まかな説明は船員の擬装ロボットに、設計や詳しい仕組みはエルにお任せだ。
お市ちゃんはのんびりと待つというよりは、早く魚が釣れるのが見たくてしかたないらしい。
「きたでござる!」
おっ、先に釣れたのはすずか。お市ちゃんが待ってましたと言わんばかりに駆けよると、すずはお市ちゃんにも竿を持たせてふたりでリールを巻いていく。
「うわっ、わっ、わっ……」
ビクンビクンと魚が暴れるとお市ちゃんは驚きながら必死に竿を持っている。
「つれた! つれたよ!!」
「
すずとお市ちゃんが釣ったのはアジだった。小振りだがイキはいい。
初めての海での釣りにはしゃいで喜ぶお市ちゃん。生きた魚を見るのはキャンプ以来か。着物が汚れないようにと乳母さんが止めるのも聞かずにアジを触っている。
「おっ、こっちもきたな」
「姫様の竿も釣れているのです!」
一匹釣れると、次々と竿に当たりがくる。オレの竿と隣のお市ちゃんの竿もほぼ同時に竿先がグイっと引き込まれた。
チェリーがそのことを教えると、お市ちゃんは慌てて自分の竿に駆け寄る。
「ふゆ~! てつだって!!」
「姫様!? 私は釣りなどしたことは……」
お市ちゃんはそのまま自分の竿を握ると、お冬さんという名の乳母さんを呼んで一緒に釣ろうとしている。ただ、乳母さんは困惑しているね。
それなりの武家の奥さんだ。礼儀作法とかは熟知していても魚釣りなんてしたことないんだろう。
「大丈夫ですよ。一緒に竿をもって、ゆっくり糸を巻くだけですから」
「はっ、はい」
ちょっと面白くて不謹慎にも笑ってしまった。
接岸した船から釣っているんだ。そんなに大きな魚は釣れないだろうから糸が切れる心配はまずないはず。
せっかくだから乳母さんにも釣りを楽しんでほしい。
「わーい。つれたね!」
「はい、姫様!」
ふたりが釣ったのはアジだ。というかオレの竿に掛かったのもアジだね。群れでも来たんだろうか?
戸惑いながら釣りをしていた乳母さんも魚が釣れると、お市ちゃんと一緒になって喜んでいる。
結局、十八尾もの魚が釣れた。釣れた魚はすぐに血抜きをして内臓も取っておく。確かアジも寄生虫の心配があるからね。
「エルも忙しそうだし、オレたちで昼飯の支度でもするか」
「任せるでござる!」
「腕が鳴るのです!」
エルは職人たちに捕まったのか戻ってこない。多分、質問攻めにされているんだろうなぁ。
今日はすずとチェリーと昼食の支度をしよう。妙に張り切っていてちょっと不安だけど、ふたりは料理も出来る。
ただ、魚の生食は避けたほうがいいか。季節的にも鮮度的にも大丈夫だとは思うが、お市ちゃんもいるし。
アジはつみれにして味噌汁に入れよう。
すずとチェリーの侍女さんとかお市ちゃんの乳母さんと一緒に、陸に上がってご飯を炊いて味噌汁を作る。
おにぎりと味噌汁を作って職人とかみんなに振舞うんだ。お市ちゃんは危ないから包丁は持たせないけどね。
おにぎりの中身は佃煮もとい大野煮と梅干しでいいか。
気温もだいぶ暖かくなってきた。もうすぐ梅雨になるな。
今年の夏はどうしようか? 海に海水浴に行きたいし、山にキャンプもいいなぁ。
夏が待ち遠しいなぁ。
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