第468話・逝く者と残る者

Side:六角定頼


「父上の容態はいかがだ?」


「お恐れながら芳しくなく……」


 先の公方様である大御所様が病に伏された。静養のために穴太で休んでおられるがご容態は芳しくない。


 側近衆は我先にと京の都より高僧や薬師や医師を次々と呼んでおるが、呼ばれた者は誰もが表情を険しくして言葉を濁すだけだ。最早、長きはのぞめまい。


 目の前では此度の医師も力及ばずであったかと、落胆と安堵の表情が見られる側近衆に嫌気がさす。


 連中の考えなど明らかだ。いかに優れた医師や高僧を呼び、上様に取り入るか。それだけだ。


「上様。噂の南蛮の薬師とやらを召し出せば……」


 他人の失敗を心でわらっておる側近衆のひとりは、今度は己が推挙する医師を呼ぶべきだと口にした。


 余計なことを。わざわざ尾張の田舎におる『薬師の方』なる女人にょにんを持ち出した側近の狙いはわかっておる。狙いは大御所様の快癒かいゆや上様の引き立てに繋がる『薬師の方』の医術ではない。織田の銭と兵だ。


 そのまま織田に三好討伐をさせたいのであろう。わしがこやつらの思うように動かぬことが気に入らぬ連中だからな。


「ふん。田舎者と氏素性が怪しき南蛮の女郎めろうなどに大御所様を診せられるか!」


 だが側近衆も割れておる。それぞれに思惑があるからの。当然、他人の功名こうみょうけを邪魔もすれば否定もする。特に織田はここ数年で力を付けたからな。信じぬ者も多い。


「止めよ。噂の薬師は織田の者。斯様かような時世で季節の挨拶まで贈ってくれておる織田を悪く言うでない。それにだ。父上は誰が診ても変わるまい。あれは死病だ。織田からは見舞いとして噂の金色薬酒も届いたが、それすら父上の一時の安寧としか効かぬ。むろんほかの医師の薬も高僧の祈祷もな」


 それと引き換え、上様は若いのに肝が据わっておられる。わしも以前に大御所様に目通りしたが、確かにあれは死病だ。祈祷も薬も効くまい。


 織田とて上様を粗末には扱ってはおらん。津島神社と熱田神社に祈祷を頼んでおるようだし、わしでも滅多に手に入らぬ本物の金色薬酒や明の薬までもが贈られてきた。


 実の所、京の都でも評判の医師も良き薬だと認めており、大御所様は煎じて飲んでおられるのだ。今さら『薬師の方』なる女人の医師ひとりが来てもご容態が変わることはあるまい。




「大御所様、お呼びでございましょうか?」


「管領代か」


 今日わしがここ穴太に来たのは連中の泥仕合を見に来たわけではない。わしもそこまで暇ではないからの。大御所様に呼ばれたのだ。


 上様に挨拶をして大御所様の寝所に訪れるが、ご容態は悪化しておられるようだ。


「ほかでもない。公方のことじゃ。よろしく頼む。そちだけが頼りじゃ」


「はっ、お任せを」


「三好とは頃合いを見て和睦せよ。あれが憤怒ふんど致すもわからんではない」


 やはり大御所様は三好との和睦をお考えであったか。無理もない。仮に三好を畿内から追い出しても本領は阿波だ。攻め入るのは骨が折れる。それにあの愚物ぐぶつある限り次の三好が生じよう。


 いずれ和睦が必要なのは確かであろうが……。


 まあわしだけが頼りだと言うのは、ほかの者にも申し付けておりそうではあるがの。そのくらいせねば若い上様を守れまい。


「しかと承りましてございます」


「思えば、わしは逃避とうひのための出奔しゅっぽんと、大権たいけんへの未練みれんにじ帰京ききょうの為の戦ばかりであった。それ故、争いを止めぬ者どもを上手く治められなかった。わしにはなにかが足りなかったのであろうな。口惜しいがここまでじゃ」


「大御所様……」


 かける言葉がみつからぬ。誰が将軍職となっても同じであったろう。それだけ厳しいお立場であった。


 太平の世に生まれれば、足利家の状況がもう少しよければ、また違ったのであろうが。


「いい加減疲れたわ。少し休む」


 いかなことも言えぬな。足利家が滅ぶことはあるまいが……。


 問題は上様の側近だ。大御所様がご健在ならばいい。だが亡くなられれば若い上様では上手く抑えられまい。


 上様は肝が据わっておられるうえに才気もみられる。じゃが、いかんせん若すぎる。側近共は気に入らねば敵と内通するのも平然とやってのけるような連中ばかりだ。


 よからぬことを企まねばいいが。足利家の権威と地位を汚す愚か者が、少なからずおるのが現状だからな。


 やれやれ、面倒なことを頼まれたのかもしれん。細川殿も相変わらずだ。六角家が前面に出て三好と戦などは御免だぞ。




Side:久遠一馬


「氏家殿かぁ」


「はっ、某にも口添えをと頼まれましてございます」


 この日、工業村を任せている益氏さんが、美濃三人衆の氏家さんから使者が来たと報告にきた。氏家さんが織田に臣従するので口添えを頼むということらしい。


 益氏さんと氏家さんは揖斐北方城の戦で面識がある。あの辺りで影響力がある氏家さんが降伏による城の明け渡しや戦後処理で助力してくれたことがきっかけだろう。


「そうだね。殿にはオレからも頼んでおくよ。特に問題がある御仁じゃないようだし」


 オレもなんだかんだ言って織田一族だ。根回ししてくれたんだろう。わざわざ益氏さんにも頼んできたんだし、無下にも出来ない。


 それに美濃三人衆である彼は粗末には扱えないしね。


「そういえば工業村はどう?」


「はっ、順調と某の目にはうつってございます。までも殿と御方様がたの御心おこころ沿うておると見受けますので。職人たちは相変わらず失敗したと嘆き騒いだり、上手くいったと喜び騒いだりしておりますが……。そういえば南蛮船を詳しく調べ、知りたいと申しておりました」


「南蛮船か。まだ乗せてなかったね。ついでに船大工の善三さんたちとも会わせてみようか」


 せっかく来たんで益氏さんに、ついでに工業村の様子を訊ねてみる。


 あそこの職人たちは、今度はガレオン船に興味を持ったのか。


 オーバーテクノロジーを載せてない船を用意して、船大工の善三さんたちと彼らに好きなだけ調べてもらうか。どうなるか見てみたい。


「鉄道用荷車のほうは試しておってございます。評判はわるくありませぬな。ただあれは他所でやれば、肝心の鉄の道なる棒が盗まれることが懸念されまするが……」


 鉄道用荷車。いわゆるトロッコだ。鉄道は文字通り鉄の道だからそのまま鉄道とオレのほうで命名した。もちろん便宜上の命名で、正式には完成したら信秀さんに命名をお願いする予定だ。現状では鉄道用荷車というのがトロッコの名前として関係者の間では呼ばれている。


 工業村内で試作品の試験運用が始まっていると聞いていたが、大きな問題は発生していないようだな。


 ただ、益氏さんも懸念している通り、鉄道のレールはこの時代だと普通に盗まれる。尾張では鉄を大量生産しているが、それでも貴重品だからね。


「その件はねぇ。目の届く工業村と蟹江の港で使うしかないかな。なんかいい意見があったら報告するように職人たちにもお願いしておいて」


「はっ!」


 尾張の鉄製品は相変わらず売れている。数打物と呼ばれる量産廉価品の刀や槍から農具や鍋釜に至るまで、作れば飛ぶように売れていく。


 雑賀辺りでは織田が伊勢大湊を通して売った鉄塊で鉄砲を作っているほどだ。現状では鉄の販売に大きな規制はかけていない。


 硝石でさえも量は多くないが大湊を通して畿内に流れているんだ。ウチが売らなくても誰かが売るものは規制しても無駄だからね。当然、流通量は調整して値が下がらないように気を付けているけど。


 堺は金色酒で騒いでいるが、実は鉄のほうが堺を追い詰めている原因かもしれない。西国は出雲などでたたら製鉄をしていて鉄の生産が盛んだが、畿内より東は元々鉄の生産量が不足していて堺を通して買っていたんだ。それが今ではウチの独占状態だからね。


 職人も尾張に増えつつある。堺の鍛冶職人でさえも尾張に来た人がいるそうだ。


 まあ名の知れた人ではない若くて独立したばっかりの人とかだけど。


 原因は堺ばかりではない。畿内にもある。公方が近江に逃げたけど、三好と戦をする為、あちこちに働きかけをしているからね。戦ばっかりだから多くの人が安全な越前や尾張に逃げてくるんだ。特に職人なんかは仕事さえあれば、どこに住んでいても影響はほとんどないからね。


 織田は六角バリアーが生きているうちに国内開発を進めないと。


 いっそのこと、このまま共倒れになってくれれば楽でいいんだが……、そう上手くもいかないか。エルならやってのけそうだけど、六角バリアーは必要だからね。


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