第467話・動く者と動かぬ者

Side:久遠一馬


 お花見で改めて明らかになったのは、改革のスピードに付いていけてない人が多いことだ。尾張はまだいい。


 ただ、美濃と三河の国人衆は明らかに尾張の国人衆と差がある。なんらかの対応が必要なのでメルティと打ち合わせ中だ。


「それでこれか」


「そうよ。かわら版と紙芝居と書物ね」


 そのことでメルティが以前に偽織田手形を作っていた職人たちと共に対策として制作したのが、織田分国法の広報用かわら版と紙芝居と書物だ。


 試作品が出来たらしい。これはこの後、ウチの評定で意見を聞いてから、織田家の評定に上程して更に検討する必要がある。


 手順が増えたので実行するまでに時間がかかることになるが、織田も大きくなったんだ。そこは仕方ない。


 オレたちと信秀さんでも決めてやることも出来るが、それで天下を統一してしまえば、後の人たちが困ることになる。


 家臣に任せられる仕事は、能力のある他の人にやってもらって、ひとつひとつ経験を積んでもらわないと駄目だろう。


「姫様、見たいのですか?」


「うん!」


 そしていつもの如くウチにいるお市ちゃんが、紙芝居の試作品に目を輝かせている。今日はほかの姉妹と信行君も一緒だ。


 ほかの姉妹と信行君は学校帰りだ。清洲に帰る前にウチに寄って、お市ちゃんを迎えに来たんだ。


 せっかくだから紙芝居をお市ちゃんたちに見てもらおうか。ただ、オレは慶次ほど読み聞かせるのが上手くないんだ。


 慶次はなんというか読み方にメリハリを付けて聞き手の心を掴むんだ。




「なるほど。身近みぢかなことを示して教えるのですね。わかりやすくていいと思います」


 オレのつたない紙芝居が終わると、みんなは一応喜んでくれた。


 内容は武家というよりは領民向けだ。代表的、具体的な例を示して、いくつかの禁止事項を伝える内容になる。


 物語としても面白い内容で、正直じいさんが分国法を守って幸せになるが、悪いじいさんが分国法を破って一時的には豊かになるが、最終的には不幸になる典型的な昔話だ。


 お市ちゃんはさすがに普通に喜んでいるだけだが、聡明な信行君はその意図を理解してくれた。彼はアーシャの話では学校では勉強熱心なうえ、身分を問わず接しているようで評判がいいんだよね。


「尾張はともかく、美濃と三河は周知徹底させないといけないと思うのですよ。それが織田家の統治ですからね」


「一馬殿、ずっと気になっておったのですが、分国法では寺社のことが特に書かれておりませんが、いかがするのですか?」


 試作品を持ってきたメルティに紙芝居の複製の準備を頼もうかと思ったところで、信行君が鋭い質問をしてきた。分国法もきちんと読んだらしい。


「寺社はねぇ。対応が難しいのですよ。金貸しなど、商人のようなこともやっていますから。分国法とは別の法が必要になるかな……」


 分国法は織田家家中と領民向けだが、もともと独立している寺社がどこまで該当するかは特に明記していない。


 まあ津島神社と熱田神社はすでに個別に交渉していて、概ね守ることで話が進んでいる。ウチと経済的な繋がりが大きいだけに利害の調整は難しくない。


 もともと津島神社と熱田神社は国人衆的な面もあり、人口調査や検地の時も特に反発はしなかった。飢饉や疫病対策というのは理解しているしね。


 まあ関所と税の問題は両神社にとっても大きいので、話し合いが続いているが。とはいえ話し合いの席に真っ先についてくれたことには感謝している。


 ああ、津島神社と熱田神社と言えば、蟹江と両地域との間の街道整備はすでに始まっている。現状では舟による輸送が盛んだが、川や海は荒れる時は真っ先に荒れて、収まるのも最後になるからね。土砂崩れなどで寸断の虞が有っても、陸路の整備は急務だろう。


 こちらは津島と熱田からの要望と資金提供もあった。今は農繁期なので賦役が止まっているが、津島と熱田の工事だけは続けている。


 この工事には蟹江の賦役が一段落したことで余った、願証寺と北伊勢からの出稼ぎ人足を充てている。


「うふふ、ウチは寺社を差別しているなんて、陰口が叩かれているのよねぇ」


「そうなのですか?」


 寺社の問題はまだある。ウチと親密なところと疎遠なところで反応が分かれているんだ。メルティはクスクスと笑いながらそのことを指摘して信行君を驚かせている。


 知らないんだろな。市井の陰口なんて。


「寺社の歴史とか序列は重要視してないですからね。偉そうにして儲けているところなんかは寄進していませんし」


 寺社にもピンからキリまである。


 もともとは一昨年の流行り病で積極的に協力してくれたところは今でも親交があるが、否定的だったところはほとんど関わりがない。


 それと生臭坊主は尾張にもいる。特に清洲の町の寺社はプライドが高いところや、あくどいところがあって関わりがないところもある。


 坊さんというだけで当たり前のように優遇されて頭を下げると思っている輩が、少なからずいるんだ。


 もっとも本證寺が滅んでからは大分大人しくなったが。


 それにウチの陰口を叩くことはあっても織田家に逆らうまではしていない。人口調査や検地も文句を言いつつ受け入れていた。


 ただ彼らは自分たちにウチから寄進がないのが面白くないんだ。


「まあ、寺社は当面は放置かな。真面目な寺社はすでに相談には乗っていますから」


 オレとメルティの言葉に信行君は考え込んでいる。


 心ある寺社には以前から支援しているんだ。特に今にも倒壊しそうなほど貧しくても地域密着で生きているところなんかには積極的に寄進や支援をしている。


 しかし旧大和守家なんかとつるんでいた寺社は、自分たちが優遇されないことに不満があるのは事実だ。


 信秀さんの悪口は言えないからね。その分だけウチが悪く言われているという面もある。


 美濃の織田領の寺社だって同様の不満があるのだろう。口を出してほしくはないが、利は欲しいのはみんな同じだ。


 その点、三河は本證寺がなくなった分だけ楽になったね。いい見せしめになったよ。




Side:安藤守就あんどうもりなり


 織田の観桜会が終わった。美濃からは斎藤家が多くの国人衆を連れていくというのでわしも同行したが、やはり織田の力は他を圧しておるとしか思えぬ。


 このままでは美濃は本当に織田の領地となってしまうが、肝心の斎藤家に織田と戦う気がない。


 美濃の国人衆は最早織田に臣従するべきかと頭を悩ませておるが、踏ん切りがつかぬ大きな理由が織田の分国法だ。


 あれをするな、これもいたすなと、掣肘せいちゅうばかりかけておる代物だからな。


 わしはあのように口出しをされるのは好かん。


「安藤殿、わしは織田に臣従することにした」


「なんだと!?」


 織田との関係は現状のままで構わぬと思っておったが、この日訪ねてきた氏家直元うじいえなおもと殿がまさか織田に臣従すると言い出すとは……。


「よいのか? あの分国法は厳しいぞ。それに検地や人の数まで知られるのだぞ!」


「ではいかがするというのだ? いずこかの誰かが織田を滅ぼすまで待つというのか?」


 ほかはともかく氏家殿が織田に臣従するのは困る。西美濃に大きく根を張る氏家殿が織田に従えば、美濃の国人衆たちが一気に織田に流れるかもしれぬ。


「織田は長年の仇敵ぞ。山城守様がいかにおっしゃられるか」


「山城守様にはもう言うた。そもそも山城守様ご自身が戦う気はないのだ。結局美濃を誰かが制するのならば、わしは織田でも構わぬ」


 この男、本気か?


「六角、朝倉も近隣との戦で手一杯だ。下手に臣従したところであちこちに駆り出されるだけ。それに引き換え織田は戦が上手い。なにより戦を終わらせるのが上手いのだ。戦で勝つだけならば日ノ本の何処いずこにも、それなりの戦上手がおろう。だが、戦を終わらせるのが上手い者は多くはあるまい。それに織田は戦をせずとも大きくなれるのだ。臣従は早いほうがいい」


「あの条件を飲むのか?」


「無論だ」


 なんということを。こやつがあの条件を飲めば、誰も条件に口出しできなくなるではないか。


 もう少し時をかければ織田の条件がかわるやもしれんというのに。


「これ以上条件が良くなることはあるまい。厳しくなることはあってもな」


 氏家殿の見方はまるで逆だな。織田がここまで大きくなれば、更に敵が増えるかもしれんと思わんのだろうか。


 と言っても説得して聞く奴ではない。知らせに来たのはせめてもの義理というところか。


 やれやれ、わしも身の振り方を考えんといかんな。



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