第462話・桜の花を目前に……
Side:久遠一馬
「綺麗ですね」
梅の花も終わると桜の季節になった。
清洲の桜も咲き始めていて、桜祭りの準備の視察を兼ねて見にきてみたんだが。エルは桜の花を見て笑顔を見せている。
もともとエルは血生臭い戦略よりも花を愛でたりするのが好きなんだ。
「もう少し花でも植えようか?」
「いいですね」
去年の春に清洲に新たに作った公園に植えた菜の花は綺麗だった。一部は事情を知らない領民が採って食べちゃったけど。
基本的には織田家で収穫して油を試しに絞った。今年からは少し作付け場所を増やすつもりだ。
花は人の心を和ませるんだと思う。余裕のない人には効果はないかもしれないが、今の尾張には必要な気がするんだ。
「ひまわりとかどうだろう。庭にでも植えてみようか」
「ひまわりは種が食料にもなります。あと油も搾れるのでいいですね。いくつか品種を取り寄せます」
春は菜の花があるから夏だなと考えてひまわりを思いついた。エルも喜んで賛成してくれたので屋敷と牧場辺りで試してみよう。
結果は評定で報告して、理解が得られれば来年は織田家の事業として植えられるだろう。
秋はコスモスかなぁ。コスモスは食用にはならないだろうが。
花と言えば清洲城の庭をどうするか信秀さんたちと話しているんだよね。
南蛮の庭はどうなのかとか、明の庭はどうなのだとか色々聞かれている。信長さんはその辺りには無頓着だが、信秀さんは日ノ本らしい庭と新しい庭がほしいらしい。
さすがに城の中なので大規模な庭園は無理だろうが、小さな庭程度はあっても良いのかな。特に清洲城は他国からの使者も来るので、彼らに立派な庭を見せるのは、良くも悪くも一定の効果があるだろう。
「それにしても五千貫相当の銀とは恐れ入ったね」
祭りの準備をする人たちにエルと一緒に声を掛けながら歩き、しばし休憩を兼ねて休んでいると、ふと昨日石山本願寺から来た使者が提示した和睦案のことを思い出した。
本願寺は織田に本證寺の一件の弁済に五千貫を出すと明言した。立ち会った重臣がさすがに信じられなかったとオレにこぼしたほどだ。
織田家やウチなら出せない金額ではない。とはいえあの傲慢な寺院が五千貫もの賠償金を出すなんてね。しかも交渉前に明言したらしい。
それとは別に今川にも出すらしいんだから驚きだ。
「この件では石山本願寺はいいところがありませんからね。ここで力を見せておかねばという判断もあったのかと」
エルが言うように、これは石山本願寺を舐めるなということか。後手に回ってばかりだったからなぁ。あとは人質の玄海上人たちを引き渡すための費用はこれとは別に支払うという大盤振る舞いだ。ほんと、どんだけ金を持ってるんだよ。
しかも織田が畿内の悪銭を嫌っていることもちゃんと知っていて、銭ではなく銀で払うというのだからさすがだね。
「手強いなぁ」
「問題ありません。それならばそれで、こちらは更に有利になるように動きます」
エルの頼もしい言葉にホッとするが、それにしても蟹江に港を作って本当に良かった。畿内と関われば、蟹江の港は必ず効いてくる。堺が無くても織田は困らないんだからね。
「しかし学問と政治から宗教は切り離したいが、長い歴史と経験は潰してしまうのは惜しい気もするね」
「それは難しいところです。学問や政治からの宗教分離は今までにない改革。私たちで済ませないと恐らく将来に渡って出来ない可能性が出てきます。戦乱の世になるか明治維新クラスの革命が起きなければ平時では出来ませんよ」
うーん。理想はみんなで協力することなんだが、寺社の問題はやっぱりこの時代に解決しないと駄目か。国政レベルでの政治参加を禁止しても、村の中では寺社は頼られる存在でもある。そこまで切り離すのは相当難しいんだろうな。
そうだよなぁ。そもそも明治維新は世界的に見ても稀な革命だからな。地理的な要因はあるにせよ、あの時代にアジアで独立を維持し自力で産業革命クラスの発展が出来たのは史実の日本だけだったし。
まあ民主主義の時代になれば信者が多い寺社が発言権を得る可能性も出てくる。実際に世界で見れば宗教が国政や世界政治に影響を与えていたのは珍しくはないし、元の世界では完全な民主国家の先進国でも宗教が一定の影響力を持つ国は普通に存在している。
やはり政教分離をするなら、オレたちでやるしかないのか。
Side:加藤宗右衛門景春
品野城の松平様が亡くなられた。ここは織田弾正忠様の直轄領になるらしい。
ここ瀬戸では古くから焼き物が盛んだ。我が家も先祖代々ここで焼き物を焼いておる。
「では、ここに新たに焼き物を焼く村を作ると?」
我らのやることは変わらんと考えておったが、この日に訪ねてこられた伊勢守家の山内様の話では、ここに新たに焼き物を焼く村を作るご沙汰が下ったのだという。
意味が分からん。我らは今までも焼き物を焼いておるのだ。なぜ、新しい村が必要なのだ?
「その方たちに不満があるわけではない。だが明や朝鮮のような焼き物は焼けまい? 久遠殿が明の焼き物の技を知るので、尾張でも作ることになったのだ」
なんと。噂の久遠様か!?
ここ瀬戸にもかの御仁の噂は聞こえてくる。見たこともないほど黒く大きな南蛮の船で商いをしておるという。
近頃、尾張で出回るようになった鉄は、久遠様が南蛮の技を用いて那古野で
「我らはどうなるのでございましょう?」
「今まで通り焼いても構わぬし、新たな村に入ることも許す。だが新たな村の技法は久遠殿の技。村に入った場合は、その技法を勝手に外に出すことは大罪となる。よく考えられよ。あと、新たな村で作った焼き物は当分の間は織田家で全て買い上げることになる」
しかし明や南蛮の技で焼き物も焼くとは。
我らを排除する気はないようだが、技を教わるには織田様に従うしかないのか。一子相伝の技を他人に簡単に教えぬのは道理であるが……
「この辺りでいくつか村を立ち退かせておられるのは、そのためでございますか?」
「いかにも。日ノ本にあるこれまでの焼き物とは違う焼き物だそうで、土や
どうりで近頃騒がしいと思った。瀬戸では領主様が代わり、いくつかの村が立ち退きをするように言われたと耳にした。
新しい土地を与えられたということで渋々ながら従っておるらしいが、新たな焼き物の村とその元を得るための土地を確保したのかもしれん。
「『
「うむ。青磁と白磁の焼き物じゃな。現物が見たいであろう。殿が久遠殿から頂いたものがある。今度来るときに見せよう。決めるのはその時でよい」
青磁と白磁だと? まことか?
そのような焼き物を焼けば天下が大騒ぎとなるぞ。いや、久遠様はすでに大騒ぎとなっておられる御方。ここで嘘を言うことなどあり得ん。
「まあ、あくまで最初は試してみるということじゃ。何事も最初からうまくいかぬのは道理。とはいえ、久遠殿はすでに幾つも新たな試みを上手くやっておるからな。気になるならば那古野を訪ねるか? わしが文を書いてやるぞ。工業村を一度見てみるがいい。あれを見れば試す価値はあると思うぞ」
信じられんという思いが顔に出ておったのだろう。山内様は現状を説明してくださった。
確かに試してみねばなるまい。どこで学んだ技か知らぬが、土が変われば出来も変わる。とはいえ青磁や白磁の焼き物が出来れば瀬戸は天下に名が知られることになる。
「よろしいのでしょうか? あそこは警護が厳重で入れぬと聞き及んでおりますが……」
「そなたが他国の間者でないのはわかっておる。それに久遠殿の技の価値を理解せぬ愚か者でもあるまい。新たな村には常滑からも焼き物職人がくる。教えを乞うなら初めからがいいと思うぞ」
「ではよろしくお願いいたします。是非、那古野を見てみとうございます」
ここで従わぬ道理はないな。今や尾張ばかりか美濃や三河も治める織田様に逆らってどうなる。
古い職人は反発するかもしれぬが気にすることはないな。別に
新しい焼き物が成功したとき我らが加わっておらねば、常滑の職人にすべてもっていかれてしまう。別に焼き物を作るなと言っておるわけではないのだ。新しい焼き物を作るから一緒に作らないかという誘いだ。
うまく乗せられた気もするが、どのみち逆らってもいいことはあるまい。今や仏の弾正忠様と言われる御方だ。逆らうよりは従うほうがよかろう。
そうと決まればさっそく職人を集めねばならん。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます