第461話・春のひと時

Side:久遠一馬


 春だ。尾張では梅の花が咲き、草木が芽吹いている。


 ウチは相変わらず忙しい。


 商いと交易は完全にウチが差配しているし、農業に統治の改革も確実に理解しているウチに問題が上がってくる。


 ただ、やることが増えたということは、それだけうまくいっている証でもある。


「最初から想定しておいてよかったよ」


「そうですね」


 今日はエルたちと学校と病院の拡張について相談している。特に学校は初等・中等・高等教育にわけることと、警備兵の学校を別途作ることになった。


 初等教育は基礎教育として義務教育を目指したい。中等教育は元の世界で言えば高校だろうか。高等教育はより専門の学問や技術を学ぶことにしたいんだ。大学や専門学校に近くなるのかな。


 警備兵の育成に関しては、現在使ってない城の活用なんかも考慮したが、信秀さんたちと相談した結果、那古野にまとめることになった。


 あとは、士官学校や兵学校に値する学部も学校に作るつもりだ。作る場所は、日本は海軍を必要とする海洋国家にいずれ転身するしかない立地の国だから海沿いが良いのかもしれないな。陸軍の兵士といえども、船に乗らないと戦場までたどり着けないからね。船酔いの経験ぐらいはさせておきたい。


 いや、兵学校は古渡城とか空いているんだよね。将来は信行君が入るのかもしれないが、元服するまでは使えるかと思ったんだけどさ。既存の物がベストなんてあり得ないよね。


 正直、塩一つとっても日ノ本の内陸部の立地は、戦乱期に於いてはババ札だ。それに将来的に海外派兵を考えるにしても、まずは沿岸部を押さえて、敵対勢力の海洋進出を阻むだけで十分だ。そう考えると本当は陸軍より海兵が日本に必要な軍事力なんだろう。


 新規事業としては瀬戸に陶磁器製造の焼き物村を作ることになった。こちらも機密保持のために工業村を参考に防備に優れた村にする予定だ。ただ、極秘に銭の鋳造をしている工業村とは違い、焼き物村は技術漏洩の防止が最大の目的となる。


 ついでに病院も少し拡張することにした。こちらは病院の拡張や診療所の新設と同時に、医学を学ぶ学校を病院に併設することにした。


 決断は信秀さんがした。機密保持が必要な施設はなるべくはまとめたいらしい。瀬戸は仕方ないけどね。


 ただ、問題は大工さんが圧倒的に足りないということだ。尾張は好景気だし、三河織田領での本證寺領からの移住者向けのおくの建築もある。


 また、寺社も景気が良いため、修繕に新規の建立などで忙しく、宮大工に学校建築を優先してとは言いにくい。寺社の修繕や建立などが本業である以上、寺社との関係を優先せざるを得ない事情もある。


「伊勢と美濃から集めることが叶うかもしれません。美濃は大半が織田の勢力圏です。伊勢は北畠家に頼んでみる価値はあるかと」


 どうしようかと悩んでいたら、エルがひとつの策を提示してくれた。やっぱり他国から集めるしかないよね。


 北畠家は具教さんが尾張に来て以来、関係がよくなった。元々、北伊勢は六角の勢力圏であり、織田領とは直接隣接はしていないので特に対立する要素はなかったんだけど、近隣で勢力を拡大しているところがあれば警戒されて当然だからね。


 織田家と北畠家が友好的になって、一番安心しているのは大湊の人たちだろう。


 瀬戸の焼き物村だが、こちらも付近から人を集めて賦役にすることになる。まぁ、縄張りもまだ済んでないし、あそこは伊勢守家に任せたのであまり急がせるのもね。


 信安さんと家老の山内パパは連日清洲にきて、メルティや重臣たちと細かい打ち合わせをしている。


 一応は織田家の直轄事業だからね。予算と人を動員する範囲、人数なんかは打ち合わせが必要だ。信安さん自身は焼き物の村にやる気を出している。信安さんは焼き物も好きで結構集めているんだとか。


 正直、焼き物に興味がないオレがやるよりはいいだろう。白磁の陶磁器とか頑張って作ってほしい。


「しかし那古野城の拡張をしないのがね」


「若様があまり乗り気ではありませんからね」


 那古野と言えば、那古野城の改築がやっと始まった。戦の形態が変わったので、板塀を土塀にしたり鉄砲での迎撃を想定したりと多少の改築と居住部分の改築がメインだ。


 本当は城の拡張も計画にあったんだが、信長さんが要らないと言ったんだよね。


 将来的なことも含めて拡張を勧めていたエルも苦笑いしている。


 もともと那古野は対清洲の前線だったが、今は周囲に敵はいないからね。それに信秀さんも信長さんも籠城を好まないからな。濃尾平野では城は平城になってしまうから籠城には向かないという理由もあるけど。


 ただ、清洲城の改築もだいぶ進んだので、現状の規模で居住性と戦の形態の変化への対応のために改築はすることにした。


 那古野は城よりむしろ町が数倍以上に拡張している。もともとは町とすら言えない小さい集落があっただけなので、那古野の郊外というか少し離れた場所にある工業村と牧場に学校までを含む範囲が那古野の町となる程度に広げることになるだろう。


 たぶん清洲と那古野の間も、街道沿いにどんどん開発が進むんだろうね。無秩序な開発が行われないようにある程度は、規制が必要かな。


 あと、最近始めた事業が肥料作りという名目での人糞買い取りになる。これは名目を肥料作りにしたが、実際は硝石丘法による硝石製造を目的としている。


 硝石丘法は最初に試験的にやってからも、目立たないように集めて続けていたんだけどね。清洲や那古野の町が拡大していることと、人糞の直播きを禁止する前段階として人糞の有料買い取りを大々的に始めることにした。


 こちらは儲けるというよりは衛生管理の一環だ。買い取り事業は下水道の清掃などの維持管理をしている人たちにそのまま頼むことにしている。大量の硝石を自前で作れば、硝石の購入費用を下水道の維持費などに回せるから商売と言えなくもないけど。


 買取りといえば、同じく資源のリサイクルとして鉄や古紙などの買い取りも清洲で試験的に始める予定だ。


 尾張は工業村のおかげで鉄が豊富なので値も他国に比べたら安いし、紙も以前と比べたら普及している。正直まだ買取をするほどではないが、将来を見越してリサイクルの仕組みを構築しておく必要はあるだろう。


 まあこの辺りの政策は、史実の江戸時代の先取りなので、さほど難しくはないんだけどね。


「医師は免状を受けた者だけが出来るように検討してほしい」


「取り上げ婆さんたちも!」


 千代女さんとお清ちゃんを含むエルたちとお茶をしながらいろいろ話していたが、途中で新たな提案をしてきたのはケティとパメラだった。


「あちらこちらで私たちの医療行為を否定する人がいる」


「そうなんだよ! 出産も産後は寝てはダメだとか、あれを食べてはダメだとか言って、指導を聞いてくれない人が何人もいるの!!」


 そっちもあったか。ケティたちの努力でウチの医療活動は織田領の大多数には受け入れられているが、否定する人や反発する人も相応にいる。


 自分が習ったことと違うと反発する人もいれば、昔からのやり方のほうが信じられると無視する人など相応にいる。ああ、ほかには他国からの流れの自称薬師や坊さんが否定していることもある。


 こちらは六角家や今川家の織田に否定的な勢力がやっている嫌がらせらしいんだが。


 取り上げ婆とは元の世界でいう助産師さんだ。もっともこの時代ではそんな人すらおらず、家族や村の年配の女性が仕切ることが多い。


 まあ仕方がないんだが、ケティたちが迷信などを廃した出産に関する指導をしてもあまり聞いてくれない人がいるんだよね。


 時代的に大きくなれないで亡くなってしまう赤ちゃんも多い。ケティとパメラはせめて迷信を廃して、少しでも母体と赤ちゃんを守りたいんだろう。


「うーん。エル。どうなんだろう?」


「寺社が少し気になりますが、必要でしょうね」


 免許制か。確かに必要なんだが、現状では宗教関係が祈祷と共に医療活動をしていることが圧倒的に多いからなぁ。ただ、出産は男子禁制のため、取り上げ婆は寺社の管轄ではないのだ。祈祷は関係するが、取り上げ婆の免許制度までは口は出さないかな? でも、薬師は絶対に口を出すよな。


 まずはそこには手を出さないで、織田領で医師や薬師として営む者を許可制にするべきか。


「恐れながら、農村などは頑固な年寄りが多くいます。明確な成果を見せても、彼らが駄目と言えば逆らえないのが現状かと」


 どうするかとみんなで考えていたら、会話が途切れた合間あいまに意見を口にしたのは千代女さんだ。


 そうなんだよね。彼女の言う通りだ。この件だけじゃなく領民は口では従う素振りをみせておいて、実は従ってなかったなんて話も結構ある。


 衛生指導なんてその典型だろう。長年の生活習慣や風習は当分変わらないだろうね。農業改革のように実績を見せて徐々に理解してもらっていくしかないんだろうな。


 この件は確かに許可制にして根気強く指導していくしかないんだろうな。ただ、ウチだけの問題ではないので、問題点や対応案の素案を作り評定の場で議論してもらう必要があるだろう。


 まずはウチの評定で意見を聞いてみるか。現状の問題点などはオレたちよりもほかの人たちの方が詳しいからね。





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