第458話・一馬と信長、叱られる
Side:平手政秀
「ふむ。この土が焼き物に向いておるのか?」
「ええ、いい土よ」
この日わしはメルティ殿と共に品野城に近い瀬戸にきておる。
尾張でも陶磁器を焼くべく、一馬殿が密かに探したのがここだった。尾張で作れるものは尾張で作る。明や朝鮮から高価な焼き物を買わなくてよくなれば、それだけ日ノ本の富が外に奪われずに済む。
相変わらず一馬殿の考えることは一介の武士ではないのう。
しかしここで焼き物が出来るとなると、桜井松平家の松平家次が死んだのは都合がよかった。あの男は織田に忠誠を誓うような男ではなかったからな。
「さて、問題は誰に此処を任せるかですな。メルティ殿いかが思う?」
「やはり織田一族が無難かしらね。柴田殿も私見として推挙するわ」
品野は直轄地にすることが決まっておる。桜井松平家の旧臣は領地の復帰を願っておるが、家の存続が許されただけでも十分な恩情を掛けておるのじゃ。この地はやれん。
問題は城代じゃな。わしか一馬殿がやってもよいが、少しばかり忙しい。それに、他の者を
「ふむ……」
「一族ならば織田伊勢守様かしら? 芸事にも理解がある御方が理想だわ」
メルティ殿と瀬戸の土を見ながら相談するが、伊勢守様か。あの御方ならば問題はあるまい。
「林新五郎様とかも、そろそろ許されるのなら面白いかも」
「林殿か……」
意外な名が出たの。まさかメルティ殿から林殿の名が出るとは。
殿は大和守家の旧臣を許すおつもりじゃ。確かに林殿もそろそろ頃合いかの。少々頑固だが無能ではないのだ。だがいきなり城代にすれば問題であろう。城代付きの与力ならば問題は無いかもしれんな。
「若様は嫌がるかもしれないけど。許しても問題になる方じゃないわ」
「そうじゃの」
かつての織田ならいざ知らず、今の織田では林殿が許されても大きな威勢を得て不和不穏の種にはならぬか。
とはいえ頼むなら一族の伊勢守様が先じゃな。芸事を理解しておることが大切であろう。
「しかし、陶磁器と絹と綿が出来れば織田は楽になるのう」
まさか尾張で鉄を作るなど誰が思うたであろうか。唐物と珍重されておる陶磁器や絹に綿が作れれば、織田は諸国に対して更に有利になる。
「気になるのは田畑ね」
「そこは少し
ただ、メルティ殿はすでにその先を見ておった。
若いとは素晴らしいことじゃの。
今では織田領の各地で行われておる賦役じゃが、荒れ果てた田畑を再び開墾するは、そのまま織田家の土地とすることになり、村に織田家が直に貸し与えることになっておる。織田が地主で、耕しておるものは
『銭を出す』の真意は、
Side:久遠一馬
春を前にやるべきことは、やはり農業関連の問題だろう。
今年から塩水選別や正条植えを試験的に始めるところが増えるんだ。その指導も必要となるし、三河では綿花の栽培もある。
綿花も栽培面積をいきなり大規模にするのは危険なので、田んぼとしては効率が悪いところや水利の向かないところを選んで植える必要がある。あとは、水利権でもめているところなんかも解決策として綿花の栽培をしてもらうのも面白い。
綿花の利点は米作りと比較すれば、あまり水が要らないことなどがある。当然、大豆や蕎麦や麦などの他の作物も奨励する。一つの作物に依存しすぎるのはリスクを伴うからね。
ただまあ、何度も言うようだが、この時代の肥料は人糞を直播きにするのが一般的だ。そこを変えるのも必要だし、いろいろ細かい技術や経験は農業試験村の村人と牧場の領民などを中心にした経験者を派遣して指導しなくてはならない。
ここで問題になるのはただの農民を派遣しても、素直に言うことを聞いてくれるかわからないところだ。
身分制度があるし、ちょっとしたやり方でも以前と違うと反発されたら一介の領民では対応に困るだろう。信長さんから借りた家臣か、ウチの家臣が同行してやらねばならない。
「やはり、エルの菓子は美味いのう」
「うん。おいちい」
「ありがとうございます」
この日は土田御前がお市ちゃんと一緒にウチに来ている。最近では出歩くことが増えたそうだが、ウチに信秀さん抜きで来たのは初めてかもしれない。
ちょうど屋敷にいたのでオレとエルで出迎えた。この人も織田家中に対する影響力が無視出来ない人だ。エルたちが自由に動いても批判などしないでいてくれているおかげで、どれだけ動きやすいかわからないほどだ。
「そういえば学び舎を増やすそうですね」
「はい。幼子の学問と医術などは、同じ学び舎ではないほうがよいかと思っております。それと武士や兵を鍛錬するところも別途考えております」
なにしに来たんだろう。というかエルのほうが親しいんだよね。土田御前とは。
そんな土田御前が口にしたのは学校のことだった。答えているのはエルだ。苦手ではないんだが、いまいち距離感が掴めていないんだよね。直接話したことは多くないし。
「そなたたちに習ってからというもの、我が子たちは変わった。人が人を治めるということがこれほど奥が深いとは思わなかったわ」
どこからか鳥のさえずりが聞こえる。もうすぐ梅が咲くな。北条家で梅酒作って売ってくれるだろうか? あれは高値で売れるし、尾張にもほしいんだけどな。
「外に出て領民に声を掛けるだけで、世が変わった気がします」
ちょっとトリップしていたが、土田御前のお話は続いていた。この人も頭がいい。
信秀さんと一緒に出歩き、家臣や領民に優しく声を掛けているんだ。最近では織田の菩薩様と言われているとの話もある。
エルは土田御前が確信をもってやっているんだと言っていたけど。
うん。特に用件があるわけじゃないらしい。エルとは話が合うらしいしね。
「かず、美味そうな鳥が手に入った……ぞ?」
「三郎。あなたは他家に裏口から入るのはおやめなさい。親しき仲にも礼儀は必要ですよ」
オレは必要ないみたいなんで席を外すタイミングを探していたんだが、運がいいのか悪いのか、そこに鴨を持った信長さんが裏口から直接庭に入ってきたのを土田御前に見られてしまったよ。
「母上。来られておられたのですか…」
うん。予想外だったんだろう。信長さんはバツが悪そうな顔をして固まった。
「あなたは幼い頃から、わらわを困らせてばかり」
「母上……」
信長さんが勝てないと言うか、頭が上がらないのはエルと土田御前のふたりだろう。信秀さんや守護様の義統さんにも、
「三郎。世を変えたくば、人の心を学びなさい。さもなくば、あなたが織田家を滅ぼすでしょう」
少し張り詰めた雰囲気になる。信長さんの御付きの人たちもちょっと困った表情をしていて、なんというか彼らも母親に叱られる子供たちのように見える。
「叱ってくれる人がいるというのは、いいものですね」
ちょっと羨ましかった。信長さんが助けてほしそうな視線を向けてきたが、羨ましくて少し意地悪なことを言ってしまった。
「一馬。そなたも同じです。誰もがそなたの見ているモノが見えているわけではありませんよ」
あれ? 藪蛇だった? 矛先がこちらに向いちゃった。
「すでに殿の猶子となったそなたに、こんなことを言える者は織田でも多くはありません。殿の猶子となった以上は実の母のつもりで、わらわが言わねばなりません」
うん。そのままオレと信長さんは土田御前に叱られることになった。
でも、母かぁ。
思えばこんなに真剣に相手を思って叱られたなんて、いつ以来だろうか。
大人になっても叱られることはある。とはいえ本気で相手を心配して叱るなんて、まずありえない。
特に実の両親を早くに亡くしたオレにとっては。
そういえばお市ちゃんはいつの間にかいないな。おやつを食べたらロボとブランカと庭に遊びに行っちゃった。
危機を感じて逃亡したのだろうか? ちょっとズルいぞ。
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