第459話・評定と意識改革
Side:久遠一馬
公営市場を設置する件が評定での議論を経て正式に決まった。
決まるのが早かったのは武家の利権ではないからだろう。一部の寺社や商人が反発しそうだと懸念した人もいたが、円滑で公正な取引をすることはみんなの利益となる。
ただ、設置場所を蟹江と清洲のどちらにするかは意見が纏まらなかった。利便性と経済性を考えると蟹江だが、今の尾張の中心は清洲なんだ。城も拡張して新しくなる。そちらがいいのではという意見も根強い。
ウチと信秀さんで決めてもいいんだけどね。せっかくみんなが尾張の今後を考えているので継続して議論することにした。利便性や経済性、管理のしやすさなどの利点や欠点を考えてくるのが重臣の皆様への宿題、懸案事項だ。
警備兵と公民館について、直轄領以外にもほしいという意見が少しあった。ただ、この件が難しいことは、未だに慎重な意見もあることだ。
特に警備兵に関しては、未だにウチが子飼いにしている私兵ではないかと疑っている人も少なくない。それと自分の領地のことに首を突っ込まれたくない人も相応にいる。
元の世界の現代風に言えば、自分の家の周りを常にお巡りさんがウロチョロしているようなものだからね。悪いことをしていなくても、気持ちがいいものではない。
とはいえ、治安維持が大切なことや、各人が私兵で守らなくてもいい警備兵の存在意義は相応に理解してくれている。評定のメンバーに限れば、だけどね。
「某がですか?」
「焼き物や芸事に詳しい、そなたが適任かと思ってな。
そんな評定も終盤に差し掛かった頃、瀬戸のある品野城の城代にと信秀さんが指名したのは、伊勢守家の信安さんだった。
職人は佐治さんが派遣して、現状の日ノ本にはない技術はメルティが教えることになる。ある程度ウチと協力して作業が出来て、余計な野心でおかしなことをしない人ということで信安さんを指名することになった。
「喜んでお受けいたしまする」
「そうか。頼むぞ。明や朝鮮に負けぬ焼き物を作れ。工業村に負けぬ重要な役目ぞ」
「ははっ!」
うん。信安さんも引き受けてくれた。文化に理解がある信安さんなら安心だ。
伊勢守家も上四郡の統治がなくなり、地味に余裕がある。それにあそこは山内パパもいる。適任者だろう。
「しかし、本当に作れるものは尾張で作るのだな」
「もちろんです。ただ、いい焼き物を作るのには相応の時と銭が掛かりますので、当家でも支援いたします」
焼き物でも新しいものを作るために動くという事実に、しみじみとつぶやいたのは犬山の信康さんだ。
工業村の鉄の製品はすでに尾張に広まっている。意外なところではフライパンか。平鍋と呼ばれていて、それなりの武家にはあるだろう。
ウチが織田家の新年会や宴会で出した料理を、うろ覚えでも味や材料、その場で見聞きした調理の手掛りを、覚えて帰って自分の家で家人に作らせるということを当然している。その過程で広まったんだろう。一般庶民が使う鍋なんかも売れ始めている。
あとはテーブルも食卓として広まっている。現行では椅子を使うテーブルよりは、床に座って使える座卓が人気だ。
ウチの商品やアイデアは一種のステータスになっているとエルが言っていた。信秀さんや斯波義統さんが使っているし、流行の最先端という意識もあるかもしれない。日本人は新し物好きで遥か昔から大陸の最先端の物を受け入れて魔改造してきた民族だ。戦国時代でもあっという間に鉄砲を取り入れてしまったぐらいだからね。新しい物を受け入れることに対する抵抗感は意外に低いのかもしれない。
「おっ、鍋焼きうどんか」
評定も一通り終わるとお昼になる。運ばれてきたのは鍋焼きうどんだった。
ちょうど座卓を囲んでの評定で、春になってきたとはいえまだ肌寒い。評定に参加する皆さんが一旦席を離れると、清洲城の奉公人がグツグツと煮えているひとり用の土鍋を次々に運んでくる。
支度をする様子を評定に参加している皆さんも嬉しそうに見ているね。
「美味しそうだね」
「「いい匂い(ですね)」」
隣にいるエルとケティもお腹が空いているのか、湯気が出ている土鍋に笑みが零れている。
さっそく席に着く。どれ、開けてみようかな。
蓋を開けるとつゆのいい匂いが湯気と一緒に一層強く立ち上がる。うどんも煮込まれていて味が染みてそうだ。具はお麩・シイタケ・蒲鉾・エビの天ぷら・山菜の天ぷらと具沢山だ。
この時代では祝いの席で出されてもおかしくない豪華さだ。だけど織田家の評定ではこのような昼食が毎回出されている。
しかしアレだね。鍋焼きうどんとかはお膳より食卓が食べやすいね。
まだグツグツと煮えているほどの熱々を、さっそくうどんからいただく。
フーフーと少し冷まして、一気に啜ると、ダシの利いた醤油ベースのおつゆの味が口の中に広がる。まだ熱くてフハフハしながら程よい弾力のうどんを噛むと小麦とおつゆの味が一体となって美味い。
「これはまた美味いな!」
「このような料理が評定で食べられるようになるとは……」
おつゆもダシが利いていて美味しい。今日は最近ちらほら見られるようになった山菜の天ぷらもある。
こちらも山菜のほろ苦い味わいと、天ぷらの衣に染みたおつゆがまたよく合う。あく抜きとか山菜の下処理も上手い。料理人の腕も上達したなぁ。信秀さんのとこの料理人は勉強家だからな。
重臣や織田一族の皆さんは和気あいあいと鍋焼きうどんを啜り込み、熱くなった口の中を冷ましがてらに、雑談をしている。
この鍋焼きうどんもこの時代だと作るのが手間で、料理人は数日前から考えて、前日に蒲鉾を作ったりと準備しているんだ。
シイタケは干したものを戻したものだが、それでもこの時代では高級品になる。
胃袋を掴むというわけではないが、織田家の力を見せる意味もあるし、こうして日常から意識改革をする必要があると思う。
まあ、この昼食なんかは信秀さんが指示して作らせた料理なのでウチは関与していないが、今までの信長さんの結婚式や年始の宴会などで新しい料理や豪華な料理を出すことが意外と効果的であることを理解したんだろうね。
昼食が終わると、各々が個人的に抱えている仕事や問題を相談して解決する時間になる。
一番多いのは借金の相談かもしれない。お馬鹿さんのせいで織田家では借金の報告義務が課せられたが、商人や寺社はともかくライバルとなる同僚や
まあ今も昔も見栄を張りたい人はいるということだ。苦しい内情を暴露するのが恥ずかしいだけかもしれないけど。
「帳簿を
実は最近になりウチに、借金を減らせないかという相談や、どうしたら儲かるのかと聞きにくる人が出始めたんだ。
きっかけは信光さんや信康さんや信安さんたちに、領地の財務改善を頼まれたのがきっかけだった。
年貢の取り立てからお金の使い方まで、慣例とどんぶり勘定だったところを直すことから指導したんだ。エルがね。
織田家の中央集権化に気付いていて、更に統治方法も変化していることに気付いた織田一族衆がそれに対応しようと動き出したんだ。
昨年には織田一族となり、三河の戦を経て、久遠家としての武功も積み重なって来たし、一月の結婚式の後でオレも信秀さんの直臣となったことで、明らかな格下ではなくなったから、相談しやすくなったんだろう。
複式簿記とまではいわなくても、きちんと帳簿を付けてお金と兵糧の管理をするだけでまったく違う。
ちなみにエルは家臣任せにせずに、当主と奥さんで帳簿を確認することを勧めている。女性は現実的だしね。複数で確認する体制を作らないと、どこで誰が悪さをするかわからない。
実際、織田家でもあったことだが、代官や中間管理の家臣が誤魔化して慣例以上に懐に入れたり、商人に有利に便宜を図って賄賂を受け取り、領地に被害を与えていたところがちらほらと露見している。
不正が発覚した場合の処分などは各家で決めることなので口は出していないが、帳簿を付けて実態を把握するだけでも、現状では意識改革が出来る。このため、まずは無理のない範囲での改善を勧めているんだ。
「帳簿ですか……」
「人は間違うものなのです。困っているならば借財も致し方ありませんが、借りなくても済むかもしれませんよ」
うん。いい歳をした武士が、エルの前で小さくなって頼む姿は不謹慎だが面白くもある。
みんなウチを羨ましいと思い、商いで売れるものを作ろうと考える人が最近は出てきた。それはもちろんいいことだ。ただし家臣に命じての、人任せでは駄目だ。
今日、相談に来た人もそんな感じだ。長年仕えている人に任せっきりで自家の財務状況をまったく把握していない。
借金に反対はしないが、まずは自家の財政状況を正確に把握するほうがいいとエルが助言している。
ここで南蛮の女如きがと怒るような人は相談になどこないからね。
意外にみんな真剣に考えてくれているから武士も変わるものなんだなって思う。
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