第456話・春の訪れ

Side:久遠一馬


 日差しが一気に暖かくなった。そろそろ春かな。


「願証寺領は塩害が出そうです。昨年の野分で被害が大きかったですので」


 縁側でエルの膝枕で耳掃除をしてもらいつつ、雑談をしている。


 ちゃんと話は聞いているよ。膝枕の柔らかさとエルの匂いに忘れそうになるが。


 願証寺のある長島は輪中という河口の砂州さすから出来た離れ小島だ。そのため海が近く塩害が頻繁に発生する。


 願証寺は織田領ではないので、どうなろうが関係ない。とはいえあまり被害が出ると困るんだよなぁ。まあ、塩害は織田領でもある。なにか対策は必要か。綿花とか確か塩害に強かったはずだし、ほかにも塩害に強い作物がほしいな。


「そういえば石山本願寺は意外とケチだね」


「ケチというか、地方の寺の復興に莫大な銭を出すという考えがないのでしょう。銭を集める立場なので。通俗的・慣習的にこのような場合は信徒を集めて復興させることは考えるのでしょうが、織田としてそれは拒否しましたので」


 史実の織田信長もそうだったと聞いたこともあるが、畿内以外を軽視しすぎだよね。この時代の人は。まぁ、元の世界でも東京一極集中で地方軽視はあったから仕方がない面もあるのかな。


 石山本願寺は畿内の外の寺にお金を出し渋っているのが現状だとは。お金はあるんだろうに。


 信徒をあちこちから入れることは受け入れられない。飢えればろくなことをしないからね。


「もうすぐ花見だな。今年は三日間を織田家主催にするんだっけ?」


「はい。大殿と若様も乗り気のようです」


 春と言えば花見だ。オレたちが尾張にやってきて三年目の春。花見はすっかり織田家に定着したね。


 昨年はお花見合コンとかウチの主催のお花見もやったけど、今年は織田家として三日間のお花見を開催することになった。ウチの合コンもこっそり混ぜたけど。


 領民も祭りは好きだし、みんなで春を祝うのは悪くない。


 あと数年もすれば野外競技場のある運動公園に植えた桜も咲くだろう。蟹江にも桜の見られる公園がほしいな。


「そうそう、獣医とか樹木医も育てたいね」


「そうですね。学問の推奨はすでにしております。目端の利く者は文官や医療従事者募集に志願してもおりますが、全く数が足りておりませんので。専門職を分けるのはまだ先ですね」


 庭の景色を見ながら左耳の掃除をしてくれていたが、それが終わると右耳だ。反対になるとエルの体しか見えない。


目を閉じて眠気が誘う中、思いついたことをエルと相談する。


 学校を高等教育の場にするにはまだ時間がかかるか。先は長いなぁ。




「えるー、かじゅま!!」


「ワン!ワン!」


 あまりの心地よさに眠りに落ちそうになった頃、お市ちゃんの元気な声で目が覚めた。


 ロボとブランカも騒ぎ出して、お市ちゃんが来ると一気に賑やかになるね。


「おさんぽにいこう!!」


 最近、お市ちゃんは言葉を話すのが上手になってきたな。それにれて、もう少しお淑やかにするようにと周りに注意されているみたいだけど、まだそこまで理解するのは難しいだろう。


 さて、エルとお市ちゃんと乳母さんにロボとブランカで少しお散歩しようか。牧場くらいまでならいい運動になる。


「これはこれは、姫様、おはやいご様子、うれしゅうございます。久遠様も……」


「おはよう!」


「おはようございます」


 うん。那古野の領民はすっかりお市ちゃんの顔を覚えてるね。特に屋敷の周辺の人は毎日のようにウチに遊びに来ているお市ちゃんを見ているからな。


 元気に挨拶するお市ちゃんにみんな笑顔で答えている。


 こういう環境とふれあいは、お市ちゃんのためにも領民のためにもいいことだって思う。


 みんなで生きているんだって、知ってほしい。


「おはよう!」


「「「おはようございます!!」」」


 そのままオレたちは牧場までのんびりと歩いてきた。


 お市ちゃんと牧場の子供たちは、よく一緒に遊んでいるから仲がいい。この日子供たちは春の作物を植える準備をしていたが、お市ちゃんは元気よく挨拶すると駆けていき、すぐに仲間に加わっている。


「リリー。どう?」


「こっちは順調よ~」


 オレとエルは子供たちと一緒だったリリーと話をするが、牧場では輪栽式農業の実証試験のため、今年は昨年とは違う区画で畑や放牧をするらしい。そのため準備がいろいろと必要みたいだ。


 正直この輪栽式農業は、稲作が基本の日ノ本においてはそこまで必要性もないんだけどね。普通に二毛作や二期作が行われているから。適正な元肥もとひ追肥ついひが行われていれば連作障害も深刻じゃないし。


 ただ牧場では連作障害のある作物も植えているからね。


「姫様。お手伝いするならお着替えをしましょうね~」


 そんなことを思い浮かべている内に、子供たちに交じって畑仕事を手伝おうとするお市ちゃんを、リリーと乳母さんがお着替えに連れていってしまったが。


 子供だし放っておくと泥んこになるんだよね。信秀さんは叱らないが、土田御前は少し叱る。特に高価な着物を汚すとね。お金の問題じゃないよ。洗濯する下働きの人が困ることを教えているんだ。知ってる?高価な着物の洗濯は、縫い糸を解いて、布に戻してから洗って、また縫うんだって!


 本当に史実の歴史とかドラマのイメージと違う立派な人だよ。




Side:朝倉宗滴


「ふむ、聞けば聞くほど織田は慎重だな」


 三河の一向衆との戦から数か月。人や素破を送り調べておったが、三河ではすでに一向衆の騒動などなかったかのように落ち着いておるとは。


「はっ、久遠一馬と妻である大智の方。このふたりが対一向衆の策を献上したのだと評判でございます」


 いったい如何にして、あの傍若無人な一向衆を壊滅させたのかと気になっておったが。聞けば納得するところも多い。織田に仕官した頃から三河には注視して策を打っておったとは。少なくとも『彼を知り…』が示す孫子の兵法をおさめておるに相違ない。


 西の願証寺と東の本證寺。尾張は一向衆に囲まれて気が休まらぬ土地であろうからな。


「一向衆対策の一助いちじょになればと思うたが、なかなか難しいな」


 今川とも和睦したようじゃ。敵を絞るのは常道。これはいいが、賦役で食わせるとは朝倉家では真似は難しい。


 織田と違い越前では国人衆も無視できん。それに加賀の一向衆はいつこちらを襲ってくるかわからぬ者たちだ。


 なによりそれほどの銭は朝倉家にも余裕はない。


「織田のやり方を我らの一助にするのは難しいが、それとは別に織田と誼を結ぶことを殿に進言せねばなるまい。しかし問題は斯波家だな」


 織田が一向衆と組んで越前に来ることは恐らくないのであろう。それは朗報だが、織田がこのまま大きくなれば朝倉家は必ずぶつかるはずじゃ。


 やはり織田との誼は必要じゃな。元々殿は尾張から流れてくる陶磁器や珍しい菓子に興味がおありになる。誼を結ぶことまでは反対せぬであろうが。


 やっかいなのは斯波家じゃな。越前は元々斯波家が守護で、朝倉家がその守護代として治めておった領地。守護である斯波家を追い出して領地を奪った我が朝倉家を恨んで余りあろう。織田が斯波家を主家と仰いでおる以上は誼を結ぶのは難しいの。斯波家に実権は無いようじゃが、主家を無視して安易に同盟などできぬであろうし、遠江と同じく越前に攻め入る大義名分にもなるしの。


 織田が一向衆を殲滅したことは、ここ越前や加賀でも大きな噂となっておる。


 織田弾正忠殿は仏の化身である。天から仏罰を下して本證寺が一夜で滅ぼされたのだと噂じゃ。


 くだらぬ噂だと信じぬ者も多いが、いかにも金色砲らしきものを本證寺に撃ち込んでおったのは確かな様子。


 加賀では堕落した坊主どもより弾正忠殿のほうが仏なのではと噂になり、坊主どもが否定しておるとか。


 加賀の破戒僧共は織田を恐れ、同時に我が朝倉家を織田と比べれば弱いと笑っておるとも聞く。


 まあ、僅かな期日であれだけ見事に戦を仕掛けて終わらせたのだ。織田が強いのはたしかじゃが、朝倉家が侮辱されるのは、承服しょうふく看過かんかも出来ぬ。


 それに越前に於いてまで織田が仏だと噂となることで、噂をあおる加賀れではのうて、織田にまつわりつらなる全てを、面白うないと敵視する者が朝倉家家中に多いことも問題じゃ。


 なんとかせねばならん。


 美濃は事実上織田に落ちたとみるべきだ。斎藤山城守はなにを考えておるかわからんが、今の情勢ではそうそう迂闊なことはするまい。


 敵は絞らねばならんのだ。我が朝倉家もな。



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