第455話・久遠家の評定
Side:織田信清
父上から那古野へ行けと言われた時は人質か廃嫡かと思った。わしは嫡男なのだ。人質でなくば領地におって当然だからな。
だが父上の思いは逆だった。家を継ぎたくば那古野で三郎殿に仕えろと。
父上は兄である弾正忠様のすぐ下の弟として家中で
「凄まじいな。鉄とはこれほど大量に出来るものなのか」
那古野に出仕するようになり数日が過ぎたが、今日は工業村という村に来ておる。ここはまるで城のように警備が厳重でわしですら入ったことがなかった。
今日は許可を頂き見聞に来たが、噂の南蛮たたらで貴重な鉄が次々と作られておることに寒気がするほどだ。
「殿のお話では、ここだけで日ノ本で作る鉄の半分余りですら作れるとのことでございます。今では諸国から鍛冶職人が多数尾張にやってきております」
案内役は代官である久遠殿の腹心であり、ここを任されておる滝川儀太夫殿だ。
甲賀から来た流れ者であり、当初はろくな武功もないくせにと陰口を叩かれておったと聞き及ぶな。もっとも美濃の揖斐北方城攻めで、文句の付けようがない武功を挙げて力量を示したのだ。おかげでそんな陰口も今では聞かれなくなったな。
城のように堅固な工業村を事実上差配しておるのだ。清洲の殿にも認められておるということだろう。
「日ノ本の半分とは……」
「殿が明や南蛮から得られた知恵や技を、ここで試されておりまする」
話半分だとしても、日ノ本のたたらで作る鉄の量とはけた違いに莫大な量だな。これが明や南蛮の知恵や技か。久遠家が裕福なのがここに来ればわかるというものだ。
「鉄砲や武具はあまり作っておらぬと聞いたが?」
「それは工業村の外にある職人町で作っております。外で作れぬものをここでは作っております故」
「わからぬな。鉄砲や金色砲を大量に作ればいいではないか?」
ただ、ここには理解出来ぬところがある。優れた職人を幾人も抱えておりながら武具や鉄砲はあまり作っておらず、久遠殿の商いの品物ばかり作っておると噂されておる。
何故そのようなことをするのだ?
「戦だけがわれらの仕事ではございませぬ故。ここで作った鉄製の農具により、織田領では賦役や田畑の開墾が捗っております。また、鉄で補強した大八車も最初はここで試作されて、作られたものでございます」
賦役か。あれを賦役と呼んでいいのか疑問があるが。確かに清洲や那古野は数年前と比較すると、信じられぬほど大きくなっておる。
つまり、わしにも戦働きばかりではなく、文官のような働きもせよということか?
まあ、今の織田が他国に攻められることはほとんどあるまい。戦が無ければ、戦働きしか出来ぬ者は呼ばれもしないのだろうな。
わしが今のまま父上の後を継いだら、当然のように重用されることなどありえぬということか。父上は、そのあたりを危惧して、わしを三郎殿のもとへ出仕させたのかな。
やれやれ、なんとも困ったことよ。
Side:久遠一馬
織田家の評定を改革するに際して、ウチでもきちんと評定を設けることにした。
現状では資清さんとエルが協力してウチの仕事を纏めているので上手くいっているが、遠くないうちに無理が出るのは明らかだ。
エルとは以前から頃合いを見計らっていたのだが。
参加するメンバーはエルたち以外では、資清さん・望月さん・太田さん・湊屋さん・鍛冶職人の清兵衛さん・山の村の村長さん・船大工の善三さんだ。あとは与力の佐治さんと河尻さんもいる。
一益さんとか益氏さんに望月太郎左衛門さんとか望月家の医師とか候補はまだまだいたが、まずは一家からひとりもしくは拠点からひとりということにした。今後は、担当する仕事毎に数名が参加することになるのかな?
今日はその評定の最初の
「わん!」
「くーん」
エルたちを含めて二十人以上が集まって楽しそうにでも見えたのか、オレたちも混ぜろとロボとブランカがやってくる。
まあいいか。一緒に参加させてやろう。ふたりも家族なんだ。犬だから意見は言えないけど。
「では評定を始めまする」
議事進行は資清さんにお願いした。資清さんはエルを差し置いてと言うか、主家の方針の説明を受けて、自身の中で噛み砕き、末端の工程に落とし込むのは出来ても、
うん。ロボとブランカは遊んでもらえると思っていたようだが、そんな雰囲気じゃないのを感じたらしい。
ケティとジュリアに大人しくブラッシングされている。
まずは各自の報告から入る。もともとウチでは報告は書面ですることになっているので、この日もわかりやすいように書面を複写してみんなに配っている。
それを見ながらの報告会だ。
織田家の新規の事業は必ずと言っていいほどウチが関与しているので、報告の範囲も当然広くなる。加えて忍び衆からの報告も望月さんからあるんだから相当な量になる。
「石山本願寺ですが、いかにも三河に関心が薄いようでございます。願証寺が織田と上手くやっておることで、任せてしまえというのが意見として多いようで。あちらはそれより三好と細川の争いが気になる様子」
その忍び衆からの報告、正確には金銭で雇った伊賀者からの報告だが、石山本願寺は三河の対応が遅いと思ったら関心が薄いのが現状らしい。
望月さんが報告すると少し微妙な空気が流れる。
信仰の危機でもないからか。反応が鈍い。加賀と違って当面の問題は収束させたしね。
もちろん願証寺では使者を送ってこの問題について働きかけをしているらしいが。願証寺としては織田の統治方法を説明して、三河の寺領を維持するには織田に完全に従うか支援が必要だと主張しているようだ。
銭は出さないが権利と土地と信徒を維持しろと指示されても困るのだろう。願証寺が単独で維持できる規模ではないからね。
「椎茸の栽培は成功しました。炭焼きも順調でございます。寒天も今年は特に寒かったので数多く作れました」
「山の村では蚕の繭から糸を紡ぐ作業を今年から練習してもらうよ。繭はウチで用意するから」
一番緊張しているのはこの人。山の村の村長さんだろう。元甲賀の土豪で歳も歳なので他国までいく忍び働きは出来ないからと志願して山の村にいったら、村長になっちゃったみたい。
そんな身分ではないからと断られたんだが、あそこの村は全員ウチに仕えている人だからね。ちょっと距離があるし頻繁にいけない。この村長さんに頑張ってもらいたいと呼んだんだ。ただ、距離があるからウチに来てもらうだけでも大変なんだけど。
そこはエルたちが馬とそれに乗れる身分をお供込みで、いつの間にか用意していた。ついでにとてもいい笑顔も用意していた。村長さんに逃げ道はなかった…。
山の村では今年から紡績仕事の練習を始めてもらう。現状の日ノ本の生糸は品質が悪いからね。絹にすらならない生糸から作る綿である真綿ばっかりで碌な紡績技術がないからな。
一部では機織りや染め物の職人を育てているが、糸を紡ぐ紡績作業はまだしていなかった。
綿花も三河で植える予定なので、山の村以外でも女性や年配者の仕事として紡績を今年から始める予定だ。紡績作業ならば、各自の家で行うことができるからね。もっとも、最初はうまくいかないだろうけど。でも、今から練習を始めておかないと、いつまでたっても高品質の生糸が作れないからね。
ともかく仕事の情報をみんなで共有して、可能な限り協力していくのがウチの評定の狙いだ。なんか会社の会議みたいだな。ただ、ちょっと評定の内容が広すぎるかな? 外交や諜報の話と商工業の話は分けたほうが良いかもしれない。でも、ウチの家に属する限り、どれも無縁ではいられない。悩ましいね。
ああ、ロボとブランカは退屈なのか寝ちゃった。あとで遊んであげないとへそを曲げるなぁ。
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