第443話・久遠家の結婚式・その四

Side:柴田勝家


 これはまた、なんとも面妖な光景だな。


 広間には食卓がずらりと並び、食卓の上には白い布が敷かれておる。これは八屋にある椅子と食卓だな。


 食卓の中央には蝋燭が立てられておって、白い布が敷かれた食卓が栄えておるわ。


「おおっ、あれは……」


 いずこからか驚きの声がした。久遠殿も大智の方殿たちも、皆が見知らぬ着物を着ておる。

 見たこともない着物だ。


 久遠殿は黒の着物で嫁である大智の方殿たちは白い着物だ。あれが南蛮の婚礼の衣装か? 白無垢と同じ白い着物ではあるが……。


 ああ、腕や首元を隠しておらぬが、白粉はぬっておらぬな。何故であろうか?


「ふむ、それが南蛮の婚礼の着物か?」


「まったく同じではありません。そもそも南蛮と一言で言っても広いので。今回は日ノ本の習いである白無垢と同じ、白い南蛮の着物に致しました」


 殿もさすがに驚いておられるようだな。問いかけに答えた大智の方殿を驚いた様子で見ておられる。


「素晴らしいではないか。遥々遠い日ノ本に来て苦労したであろうが、そなたたちの亡き両親や祖先も喜んでおろう」


 そうか。何故わざわざ南蛮の流儀でお披露目に宴をするのかと思ったが、久遠殿のところにおる南蛮の者たちへの配慮か。


 久遠殿もほかの者も、皆が嬉しそうだ。さぞ嬉しかろう。遥か海の向こうから来て、見知らぬ土地で暮らすのがいかほどに大変かは、わしでもわかるわ。


 集まった家中の者たちも殿の配慮とお心に、ただただ感心するばかりだ。


 あの殿だからこそ、久遠殿は惜しみなく忠義を尽くしておるのであろう。仏の弾正忠様との異名はまことなのだな。


「ああ、けいきだ」


 皆が揃い、まず運ばれてきたのはケイキだ。久遠家の南蛮由来の祝いの菓子。


 若の婚礼の儀で振舞われたケイキの味に、美濃の斎藤家が臣従したなどと噂になったほどだ。


 わしが若の婚礼で食べたケイキは抹茶のケイキと接待役の役得でチョコレイトとかいうケイキだったが、今日は噂の白いケイキと赤のような色のケイキの二種類がある。


 歴戦の武士である者たちが、その美しさと大きさに飲まれておる。一度食べれば忘れられぬという久遠家のケイキ。


 織田はケイキで美濃を獲るだろう。そんな冗談も囁かれておるくらいだ。


「こちらは当家で改良した苺を使ったケイキです。苺は時期があいませんので砂糖で煮込んでいたものですが」


 皆には紅白のケイキが配られた。源平でも意識したか? 織田は源氏も平氏も食らってやるという殿のお考えか?


 織田家は藤原氏を称しておったはず。源氏も平氏も関係ないと暗に示しておるのか? 相変わらず久遠殿の考えは読めん。


「ああ、美味い。これほど甘く美味いものがこの世にあるとは……」


 ケイキは無言で静かに食うのが習わし。だが近くにおる者が、思わず声を漏らしてしまい。皆に笑われておる。


 まあ、気持ちはわからなくもない。ただ甘いだけではないのだ。金平糖も食べたことがあるが、あれと比べても比較にならぬほど美味い。


 柔らかく優しく、まるで久遠殿のように底が知れん美味さだ。



 中のふかふかしたものはカステイラか? 微妙に違う気がするが。


 しかし嫡男である若の婚礼から一年もたたずに、同じような豪華な婚礼をあげてやるとはな。


 並みの武家ならば家中の序列を気にして、たとえ殿が『なり』と仰っても控えるであろう。だがこの婚礼は殿も若も乗り気で、むしろ久遠殿のほうが遠慮してか、自家だけでひっそりとやろうとしておったのだと聞く。


 殿は自らと久遠殿で夢をみせる気なのだ。織田に従えば、いずれは我らもこのようなケイキが食える婚礼をあげられるのだと。


 従う者には寛容で、敵対する者には容赦ない。まさに仏の化身だとわしでも信じたくなるわ。




Side:滝川お清


 ああ、夢のようです。


 目を閉じれば、甲賀の城に戻っていそうで怖いほど。


 見たこともない南蛮の身分の高い者しか着られないというドレスという着物を、なんと私と千代女殿も着ることが許されました。


 腕や胸元が隠されておらず少し恥ずかしいですが、それでもこれほど嬉しいことはありません。お方様たちと同じ着物で共に婚礼の儀を挙げられるなんて……。


 今日この場には父と望月様が同席しております。ちらりとみると父は涙を堪えるような仕草をしておりますね。


 甲賀での暮らしを決して忘れてはならない。それは父が去年の夏の頃に決めた滝川家の掟です。


 それ以来、月に一度は甲賀の時には日々のかてとして食べていた雑穀と野草に、僅かな塩を加えた粥を食べる日があります。


 あの頃は米や味噌の入った粥が、なによりの御馳走でした。


 美味しいなど感じたこともない。食べられるだけありがたかった粥。それが今では少し懐かしく感じるのですから、人というものは変わるのだと思います。


「どうしたのです?」


「少し、昔のことを思い出していたのです。これほど立派な婚礼をしてもらえるなど夢にも思っておりませんでしたので……」


 父の姿と昔の思い出に、私も少し涙がこみ上げてきます。そんな私に気付いたチェリー様が、心配そうに覗き込んでおられました。


「もう家族なのです。一緒に喜びも悲しみも分かち合うのです」


「……はい」


 少し幼さの残る面影のチェリー様ですが、芯の強さはエル様たちにも負けません。


 殿やお方様たちは、私が悲しんでいれば一緒に泣いて慰めてくだされて、喜んでいれば一緒に喜んで笑ってくだされます。


 この南蛮の着物やご馳走にケイキも嬉しいのですが、そんな殿やチェリー様たちと家族になれたことがなによりも嬉しいのです。


「ああ、お清。一緒に来て」


「はい」


 ケイキも終わり宴が盛り上がっているところで、私は殿に呼ばれました。


 殿はあちこちにお酒を注いでおられて私もお供するのかと思ったのですが、殿が私を連れてきたのは父のところでした。


「ほら、せっかく綺麗なんだから八郎殿によく見せてあげて」


「殿。某にまで、そのようなことまでされなくても……」


 殿は父にお酒を注ぎながら、私に姿を見せるようにと言ってくれました。


 父はとうとう堪えきれなくなったのか、はらはらと涙を流してしまい、それを隠すように手ぬぐいで拭っております。


 私も涙が止まりません。殿が驚いたように、綺麗な絹の手ぬぐいを渡してくれました。


 ただ、よく見ると私たちだけではありません。


 望月様と千代女殿や、お披露目に来ている織田家のご家中の皆さんも涙ぐんでいる方が何人もいます。


 皆さま、父の気持ちを理解していただけるのでしょう。


 ああ、殿まで涙ぐんでしまいました。


 嬉しいのに。嬉しくてどうしようもないのに。


 涙が止まりません。


「うむ。ひとつ舞ってやろう」


 その時でした。涙が皆に伝わり静かになったところで、若様が舞いを披露してくださいました。


 大織冠たいしょかんでしょう。若様が好む敦盛と同じ幸若舞こうわかまいだと思います。


 藤原氏繁栄の物語と言えるものです。織田の婚礼の儀に相応しい舞いでしょう。


 静かな広間にて若様が舞う姿は本当に美しかった。


 喜びが涙となり、舞いが涙を止めて更なる喜びを呼びます。


 どこまでも優しく……、そして強い御方です。


 私も父も今日という日を決して忘れないでしょう。



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