第442話・久遠家の結婚式・その三

Side:滝川資清


「大変なのだな。商人も」


 やれやれ。商人というのは武家よりも世の動きに敏感なのかもしれんな。


 東は関東の小田原から西は畿内の堺まで、多くの商人が祝いの品を持ってくる。


 応対しておるのは主にわしと湊屋殿だ。いつもはお方様のいずれかがおられるが、この婚礼の儀とお披露目の間だけはおられぬ。


 目的は久遠家との取引であろう。つねの扱いとして織田領外との取引で久遠家がじかに動くのは多くはない。


 伊勢の大湊と小田原の北条家との商いくらいだ。あとは多かれ少なかれ領内の商人を通しておるが、他国の商人からするとやはり久遠家と直の商いをすることを望むらしい。


「商人には城も領地もありませぬからな。銭が槍で商いの伝手つてが鎧かと思いまする」


「なるほど上手いことを言うな」


 湊屋殿だけでも応対を出来なくもないが、商人を侮るなど愚かなことだと久遠家におればわかる。


 幸か不幸か名が知れたわしならば、殿が会われなくとも角が立たんのだ。


 忍び衆がおる久遠家では、他家では知らぬようなことや見えぬものが見えてくる。寺社の力は今更だが、商人が武家や寺社の争いを裏から左右しておることなど、なかなか知ることが出来ることではない。


「いえ、お武家様にも機敏なお方は多いようで」


「西美濃の稲葉家、氏家家、安藤家、不破家。それから東美濃の遠山家に、三河の松平宗家からも来たな。ここで動かぬようでは先などあるまい」


 ただ武家もあちこちから祝いの品が届いておる。美濃は多いな。特に西美濃は有力な国人衆からほとんど来た。


 湊屋殿も、その数と送られてきた贈り物には驚くほどだ。


 わしも少し意外だったのは三河の松平宗家か。殿は那古野にて幼くも近習勤めを致す竹千代殿を気に入っておられて、若様の供付きで時折見掛けるが、つい先日までは敵同士だっただけに岡崎から祝いの品を持った先触れの使者が来たことには驚いたわ。


「岡崎の松平宗家はいかが思う?」


「すでに織田と今川では力の差が明らかです。松平とは大湊の商人を介して商いしておりましたが、松平殿は大湊の商人との取引にも前向きなご様子だとか。松平殿とすればこれを機会に関係を改善したいのでしょう。今川がようやく織田と和睦に動いておりますればはばかることはありませぬ故」


 三河は纏まりに欠けて戦しか頭にない者も多いと聞くが、松平広忠だったか。意外に強かだな。


 織田と松平は先代の松平清康が尾張に攻めてきて以降は敵対しておったらしいが、ここで心変こころがわりをするか。


 まあ悪い流れではあるまい。品野城の桜井松平家は存続を許されはしたが、領地を召し上げられた。


 三河の統治でも松平宗家が従えばやりやすかろう。


 明日には周辺諸国からの招待客が来るが、此度は北畠家の嫡男も来る。殿は織田一族とはいえ織田家は斯波家の家臣でしかない。また嫡男である若様の婚礼には来ておらん。その件を踏まえると北畠家から嫡男が来るとは思わなんだ。


 名目はジュリア様が塚原殿の同門だということだそうだが、北畠家が織田との共存に傾いたことは喜ばしいことだ。


 これで伊勢は益々尾張にちかしゅうなり、商いが捗れば、今川相手に後手にまわることはあるまいしな。




Side:久遠一馬


「しかし、殿もチャレンジャーですね」


 一族へのお披露目の宴は成功だった。


 町ではお酒と菓子が配られて夜通し騒ぐ声が聞こえていた。すっかりお祭りにしてしまったようで笛や太鼓の音が聞こえていたほどだ。


「『ちゃれんじゃあ』とはいかなる意味だ?」


「えっと、南蛮の言葉で挑戦者という意味です。ここまで前代未聞のことを、本当にやるとは思いませんでしたので」


 翌日は朝から二日目の家臣一同へのお披露目の支度が始まっている。


 オレ自身もあまり寝てないが、準備が気になって広間に来ると多くの人がせわしなく働き準備をしている。


 信長さんの前でつい外来語を使ってしまい苦笑いして誤魔化す。


「いつか誰かがやるなら、最初にやりたいだろうが」


 この日のお披露目の宴は今までにないものだ。


 南蛮の流儀で宴が出来んかと信秀さんに言われた時には、吹き出しそうになったほどだ。


 そう。この日は南蛮流の宴でお披露目をすることになっている。


 テーブルと椅子は清洲城にある分とウチのあちこちの屋敷にある分だけでも足りずに、個人的にテーブルと椅子を買っていた信光さんとかから借りてきて、なんとか数を揃えたんだ。


 どうもこの南蛮式の宴は、信長さんと信秀さんの双方の望みらしい。


「まあ、先にやったほうが目立ちますしね。織田弾正忠家の力を示せるでしょう。更にエルたちに配慮していただいたこの一件は、紙芝居にして領民に大いに伝えたいです」


 信秀さんも信長さんにも先駆者となりたいという思いや、家中や他国に織田の力を見せつけたいとの思いがあるんだろう。


 ただ、このふたりは意外にエルたちのバックストーリーとして、祖先が追われる様にあとにしたと話した故郷のことを、尊重しようとしてくれているんだよね。


「遠い異国の地で生きるのだ。故郷の風習で祝ってやってなにがおかしい」


 せめてお披露目の宴の一つくらいは故郷の風習でやってやろう。この件を言われた時にそう言った信秀さんの言葉と気遣いを、オレたちは生涯忘れないだろう。


「しかし、そこかしこでは私と若様が、この件で対立するのではと、見ている人もいるとか?」


「くだらん。お前が本気で自らの手で天下を求めるならば、オレが降ってもいいぞ」


「謹んで辞退致します」


「天下を取った源頼朝の流れは三代で滅び、その天下を奪った執権北条家も滅んだ。その後に天下を纏めた足利家も今では逃げてばかりだ。お前のように、そんな天下など求めぬほうがいいのかもしれんと時々思う」


 テーブルには白いテーブルクロスとなる布が敷かれると一気にオレが知るところの披露宴らしくなる。


 オレと信長さんはふたりで庭に出て散歩をしていたが、ふと語った信長さんの本音と天下に対する思いにオレは驚きながらも同意出来る部分がある。


 何度も言うことではないかもしれないが、この人はオレという存在が生まれたはずの元の世界、その歴史の中に生きた織田信長じゃない。


 自ら天下を統一して新たな世を築きたいと願いつつ、それが唯一の方法ではないと、否定する部分も持ち合わせているんだ。


 当然だよね。まだ十代の若者だ。将来に悩み迷うのは当然だ。


「世の中はどんどん変わりますよ。やがて私たちが明や南蛮に行くのと同じように、日ノ本の人たちが行く世が来ます」


「であろうな。故に日ノ本を纏めねばならん。このままでおれば三河のように明や南蛮に日ノ本が分断されてしまうかも知れん。左様な仕儀は御免ごめんこおむる」


 世界を意識している。これは信長さんと信秀さんの共通することだ。


 もしオレが南蛮と繋がる者であっても、その力を以てしても日ノ本を纏め発展させねば先はない。


 ふたりはそう思っているらしい。


 三河の現状はある意味、戦国時代の日ノ本の縮図でありながら、同時代の全世界の縮図と言ってもよく、危機感があるのだろう。


「本当、死ねば地獄に落ちそうですけどね」


 ただ、仮想空間の知識と技術で歴史を変えているオレは、もし神様がいるのならば死ねば地獄に落ちるのではとも少し思う。


 まあ、実際には殺されない限り死なないし、神仏なんて信じてないから怖いというわけではないけどね。


「ふん。そうしたら地獄で極楽浄土に負けぬ国を造ってやるわ」


 ああ、やっぱり信長さんは強いね。


 オレも負けないようにもっと強くならないと。


 妻を、家臣を、領民を日本の国を守れるくらいに……。





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