第439話・お市ちゃん風邪をひく
Side:滝川お清
私は今日、病院の手伝いに来ております。
冬は病が増える季節です。特に幼子などは命に関わることもあり、決して気が抜けません。
病院で仕える者はケティ様やパメラ様を除けば、私は経験が長いほうになります。尾張に来た頃からケティ様たちのお手伝いをしていたのですから。
医師ではなく看護師。殿やケティ様たちは、私たち手伝いをしている者をそう呼びます。
「今日はどうしました?」
「この子が苦しそうなのです。声を掛けても碌に返事もなく……」
「大丈夫? 頭は痛い?」
私はやってきた病の人から話を聞いて、ケティ様たちが診察を為される前に症状などをまとめる仕事を担当しております。
たった今、駆けこんできた夫婦者に抱えられた患者はまだ五歳か六歳の子です。苦しそうに息をしていて、確かに返事がありません。
熱もかなり高いです。これは先んじて診てもらう必要がありますね。さっそく診察室に入ってもらいます。
「はーい。もう大丈夫だからね!」
この日はパメラ様とヒルザ様ですが、ちょうど前の診察が終わったのはパメラ様でした。
いつも笑顔を絶やさぬパメラ様ですが、珍しく顔色が変わられました。
「お
「もっと早く連れてこないと駄目だよ! 今日は入院してもらうからね」
幼子は肺炎という病のようです。冬になると流行る風邪を悪化させたことが原因だと、パメラ様は子の親に説明をされています。
「ここが病室です。病人の為の
治療を終えると、私は子の両親に入院の説明をしなくてはなりません。病の種類にもよりますが、自ら動けぬ者や幼子などは世話をする者を残すことが決まり事です。
無論、世話をする者を出せない場合にはこちらで面倒をみますが、特に幼子などは目を離せず人手が足りないのです。
「痛ぇよ! もっと優しくしやがれ!!」
「そうだ! ここは痛くしねえって聞いたぞ!」
「酒に酔って刀なんか抜くお前さんたちが悪い。罰として痛み止めはしないよ。軽々しく人を傷つけた愚か者へのむくいだ」
幼子とその両親を病室に案内し終わると、診察室からは男衆の悲鳴にもきこえる文句のような声がしてきます。
心配になりすぐに駆け付けると、ヒルザ様に押さえつけられながら治療されている若い男たちがいました。
ああ、またですか。
ここ病院では領民ならば誰でも治療が受けられますが、近頃では銭がなくても診てくれると評判になり、つまらぬ喧嘩で負った傷でも当たり前のように銭を持たずに治療に来る者が出始めました。
もちろん治療はします。ですがそんな者たちはこのまま警備兵に引き渡されて、ご詮議とお叱りが待っています。害を受けた者がいるなら処罰です。
ですがあの者たちも運がありません。奥方様たちの中に医師さまは幾人かおられますが、ヒルザ様は一番厳しいと評判のお方様です。
医師さまでありながら、自ら忍び衆の精鋭と共に敵地に乗り込むほどのお方様なのです。
命を粗末にしたり、軽々しく他人を傷つける者には容赦は為されません。
「ああ、お清かい。悪いけどこいつらを警備兵に引き渡すように手配しといてくれ。厳しく詮議してやれって伝言付きでね」
「はい、畏まりました」
私は知っています。ヒルザ様は今川に捕まった新参の忍び衆の者を、ウルザ様と共に
誰よりも厳しい医師さまですが、忍び衆ではウルザ様、ヒルザ様のためなら死んでもいいと語る者が少なくないのです。もっとも忍び衆は、殿のご命令とあればいつでも命を差し出す覚悟があるという者がほとんどですが……
私も命の大切さは、久遠家の皆さまに教わりました。
私には千代女殿のようにエル様のお手伝いなど出来ません。ですが……、私は私の出来ることをして久遠家のために尽くすつもりです。
命を懸けてとは言えませんが……
Side:久遠一馬
「ケホン、ケホン……」
清洲城にある信秀さんの館では久々に緊張感があった。
すでに織田家でも愛用している布団で寝込んでいるのはお市ちゃんだ。まだ幼い彼女はちょっとした病が命に関わるからと、清洲城はピリピリしている。
両隣にロボとブランカのぬいぐるみを並べて一緒に寝ているが、苦しそうに時々咳き込んでいる。
「大丈夫。風邪。薬を飲めば治る」
部屋には信秀さんや土田御前や乳母さんに、信長さんたち兄弟もいる。みんなお市ちゃんが病だと聞き心配して集まったんだ。
「そうか……」
診察しているケティが信秀さんたちに病名と診断を伝えると、周囲の空気は一気にホッとしたように緩む。
たぶんナノマシンで症状の緩和でもしたんだろう。苦しそうだったお市ちゃんの呼吸が少し楽になったみたいだ。
「……きょうは、……うみにいくんだよね?」
「風邪が治ってから行きましょう」
ただお市ちゃんはオレの姿を見つけると、泣きそうな顔で今日約束していた蟹江に行く約束を口にした。
蟹江の新しい町と港が見たいというから、信長さんたちと一緒に今日お出かけの予定だったんだよね。
実はお出かけしたいから具合が悪いのを隠していたらしい。
たださすがに乳母さんに見つかり、ケティが呼ばれたのでオレと一緒にいた信長さんも付いてきたんだ。
「いや、きょう、いく」
熱と頭痛で具合が悪いのに、それでも海に行こうとするなんて。
そんなことさせられるはずもなく、また今度行く約束をしてなだめるしかない。
その後、信秀さんは一安心したのか仕事に戻ったが、オレとケティはお市ちゃんに離してもらえず絵本を読んであげたりしていた。
「姫様。
「いや!」
時間的にそろそろお昼となる頃、お市ちゃんの乳母さんがお粥の入ったお膳を運んでくるが、お市ちゃんは食欲がないんだろう。食べたくないらしい。
「私が姫様のためにお作りしたんですが……」
「えるが?」
「はい。食べられませんか?」
「……たべる」
ケティと顔を見合わせてなんとか食べさせないと駄目だなと思っていたところに、乳母さんより少し遅れてやってきたエルの姿にお市ちゃんの表情が明るくなった。
食欲はないようだが、エルのご飯は好きなんだね。
「……おいちい」
いつもより元気はないが、お市ちゃんはお粥を食べてくれた。
卵が入っている卵粥だ。たぶん消化に栄養とか考えているんだろう。鶏でダシも取っているのかもしれない。
「これ、なに?」
「
メニューはお粥のほかにも、スープや生姜湯やすりおろしたりんごがあった。
お市ちゃんはすりおろしたりんごを食べると驚いた表情をした。あのりんごは船で運んできた宇宙要塞産のりんごだろうな。
食べたくて取り寄せたものがあったんだ。りんごの歴史は古く日ノ本にもあるにはあるが、この時代の日ノ本のりんごは和りんごであり、元の世界の西洋りんごとかと掛け合わせたりして改良された物とは品種がまったく違う。
「おいちい。これすき」
うん。お粥やスープにすりおろしたりんごなどを食べたお市ちゃんに、薬を飲ませると一段落だ。
少し寝たほうがいいと寝かせたが、オレたちに帰っちゃダメだと言い、約束しないと寝てくれなかった。
甘えたい年頃なんだろう。土田御前と信長さんも離してもらえずに、ずっと一緒にいるからね。
まあ、こんな日もあってもいいだろう。
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