第437話・大垣の金生山

Side:願証寺の僧


 長島と願証寺の年末年始は穏やかであった。懸案だった桑名も以前のような賑わいはないが、人が戻りつつある。


 我ら願証寺には昨年の三河の騒乱で亡くなった僧に対して同情する声や寄進があった。織田や久遠からも残念だったと寄進があったくらいだ。


「織田はこのようなものをばら撒いておるのか?」


「文句は言えんが……」


 ただ、織田は寺社に対して寛容なだけではないと、この一件で改めて明らかとなった。


 戦の終わりが終いではなかったのだ。領内はもとより伊勢や畿内から関東に至るまで、今回の経緯と結末について盛んに知らせておる。


 有力な寺社や武家には使者を立てて、直に文を送ったようだし、詳細を記した紙がちまたではあふれんばかりに出回っておるのだ。


 本證寺の者は悪鬼羅刹の如く描かれた絵もあり、織田や松平が悪鬼羅刹を討伐する絵だ。


 少しやりすぎであろうとの声もあるが、我ら願証寺が唯々只管ただただひたすらに、本證寺に一揆を止めるように訴えたことや、我らの仲間の僧が奴らに殺されても、必死に止めようとしたことも併せて書かれておる。


 おかげで我らの面目は立ったとはいえ、本證寺の面目はまさに潰されておる。


 本證寺の玄海上人以下、学僧と蜂起に反対した僧はひとまず命は救われたが、石山本願寺との交渉次第では玄海上人と学僧は死罪もあり得るという。


 織田は、本證寺そのものを許す気がないらしい。


 おかげで本證寺の末寺だったところは、宗派を変えて織田に臣従するところまで出始めておる。


「根切りにしなかっただけでも、配慮したのであろうな」


 一見すると温和に思える織田だが、潰す時は徹底して潰すのだと改めて思い知らされた。


 織田は我ら願証寺や石山本願寺に配慮はしておるが、本證寺を許す気はないのだ。


 ただ、願証寺でもどれほどの者が気付いておろうか。これで仏に仕える者の信用が失墜するかもしれんことに。


 『我らは本證寺とは違う』と『面目がたった』と喜び、織田の温和さに安堵しておる者ばかりだ。


 多くの者が本当に仏に仕える者を信じてよいのかと、疑心を抱かねばいいのだが。


 織田に従えば飢えることなく生きられる。しかし、寺社に従えば飢えるとなれば仏教の危機となるぞ。


 本来、仏に仕える者は人々に頼られる存在だった。それがいつしか恐れられる存在になっておる。


 我らは心して掛からねばなるまい。この先、我欲で動けば織田は我らを討つかもしれんのだからな。


 いや、織田だけではないか。加賀や三河を見れば、信徒が寺社に対して一揆を起こすこともありえる。


 我らは織田に負けぬように、寺領の者たちを飢えさせぬようにせねばならぬということか。




Side:久遠一馬


「殿、依頼した件については、試みをほどこしていただけることで纏まりましてございます」


「ご苦労様」


 この日、美濃の大垣に行ってもらっていた益氏さんが帰ってきた。大垣城の織田信辰さんとは揖斐北方城攻めで面識がある益氏さんに使者となって行ってもらったんだ。


 目的は大垣にある金生山かなぶやまだ。石灰岩と大理石が取れる山として、元の世界では二十一世紀でも採掘がおこなわれていたところになる。


 石灰岩はコンクリートの原料であり、試しにいくらか採掘してもらうことにした。


 信辰さんには悪いが使用目的は秘匿していて、新しい技術の研究のためだと説明したけど。


 近くには揖斐川支流の杭瀬川があり、そのまま伊勢湾まで川舟が使えるのも利点だ。現状ではローマン・コンクリートしか使ってないが、セメントを使用したコンクリートも試しに使ってみる予定だ。


 海外からウチの船で石灰岩を輸送することも検討したが、今後織田の領地が増えれば、ウチの船での輸送の需要は増えることはあっても減ることはない。


 金生山の石灰岩なら露天掘りも出来そうだし、埋蔵量も多いようなので使ってもいいだろう。石灰岩なら日本の他の地域にもたくさんあるからね。


 コンクリートは、清洲と那古野と蟹江で試験的に導入している上下水道の整備とその下準備だ。


 蟹江では一から町を作るので上下水道の整備も併せて実施しており、清洲と那古野でも町の拡張で工事したところを中心に上下水道を整備している。町の既存地区は区画整理に合わせて整備する予定だ。


 下水道に流すのは生活排水のみにして、汚水は流さずに肥溜めから肥料や硝石丘法の実験に利用する予定だ。雨水を下水道に流すことも検討したが、大雨時に下水道があふれる恐れがあるので、雨水は排水溝で直接川に流すことにした。


 環境汚染は今から防ぐようにしないとね。


 井戸水もあるが、上下水道の整備は町を作るときに一緒に整備するのが一番効率が良いし。


「寒かったでしょう。儀太夫殿。甘酒です。どうぞ」


 この寒い季節に急いで大垣から帰ってきたみたいで、体が冷えている益氏さんにエルが甘酒を運んできた。


「これは温まりますなぁ」


 甘酒は今日もウチに遊びに来ているお市ちゃんのために米麹を使ったもので、ノンアルコールの甘酒だ。


 益氏さんを迎えたのはオレの私室でありストーブで暖めているが、それでも体の芯から冷えたのだろう。益氏さんは嬉しそうに甘酒を飲んでいる。


「金生山の石灰岩。大丈夫だそうだよ」


「それは朗報です。大垣は交通の要所でもありますし、今後テコ入れが必要な場所ですので」


 エルと一緒に付いてきたお市ちゃんは、益氏さんにおかえりなさいと挨拶していた。まるで我が家のように自由なお市ちゃんだが、益氏さんも慣れているので動じない。


 金生山の件をエルに教えると、エルも喜んでいた。


 大垣は史実の同時期よりは城が改築されているが、美濃の安定のためにも、もう少しテコ入れをしたいと考えていたんだ。


 信辰さんは真面目な人のようだね。あんまりオレには接点がないけど。今回の金生山の一件から協力していきたい。




「殿、お久しぶりでございます!」


 翌日は蟹江に来ていた。知多半島は大野の佐治さんのところにいた船大工の善三さんたちが蟹江に引っ越してきたので会いに来たんだ。


「お疲れ様。とりあえずここを使って」


 本当は彼らの住まいが完成してから呼ぼうと思ったんだが、造船区域がほぼ完成したと教えたら住まいはどこでもいいから蟹江に来るというので、ウチの商いに使う屋敷の仮屋に住んでもらうことにした。


「当面はあの船を造ればよろしいので?」


「そうだね。全然足りてないから頼むよ」


 善三さんは職人だけあって話が単刀直入でいいね。佐治さんのところでも和洋折衷船、佐治水軍は久遠船なんて呼んでいる船を造っていた。


 伊勢湾の水運は増える一方だし、今後を考えるといくらあっても足りない。


 金に糸目を付けないというと聞こえが悪いが、多少高くなってもいいから船は増やしていかないと。


「殿、近頃増えた勝手話かってばなしでございますが。伊勢の馴染みから、あの船を売ってほしいとか造り方を教えてほしいと言ってきておるのですが……。無論、全て断っておりますが……」


 必要な資材とかは湊屋さんに相談して買えるものは買ってもらうが、一部はウチでしか手に入らないものも利用している。現状では帆布なんかは綿の丈夫なものはウチにしかない。


 そのあたりの相談をしていくが、少し困った表情の相談を善三さんからされた。


 断っても断っても頼まれたんだろう。


「ウチにも来ているんだ。あの船の造り方を教えてほしいとか、売ってほしいとか。当たり前だけど全て断っている。伊勢の水軍衆は織田に臣従しているわけじゃないからね」


 いつからだろうか。関東から帰ってしばらくした頃からか。南蛮船の秘密を探ろうとしたり、和洋折衷船を欲しがる人が現れ出した。


 この時代の技術は一子相伝で外に漏らさないことが基本だが、鉄砲のように現物を見て真似出来るものは許可なくどんどん広がっていく。


 甘い顔は出来ないんだよね。幸い、船は外観や船内の一部を見ただけでは模倣できないからね。


「断りにくかったらオレの名前を出していいから。勝手に教えたら罰を受けるとか」


 伊勢大湊とは友好関係だが、船の技術は渡してないし渡す予定もない。


 水軍衆も同様だ。善三さんには苦労をかけるが、それも込みで高給で雇っているんだ。そこは頑張ってほしい。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る