第430話・久遠家の秘密と蟹江の現状

Side:佐治為景


「凄まじいですな」


 思わず漏れた河尻殿の言葉にわしも頷いた。


 久遠家の仕事を覚えるということを、わしも決して甘く考えておったわけではない。されど、実の所は考えておった以上に凄まじい。


 無論、わしが既に知っておったこともある。知多半島はあまりよそ者が来ぬ土地故に、新しき試みをいくつも試しておるからな。


 商いも知多半島の新しき試みも久遠家の一端でしかない。工業村と牧場村に山の村とほかにも新しき試みばかりではないか。


 加えて西は畿内から東は関東まで忍び衆が派遣されており、そのほかにも伊賀者や伊勢大湊の商人からの知らせも、久遠家では集めておるというのだ。


 いかに考えても一介の家臣の働きではない。もっとも、久遠殿を一介の家臣と言ってよいのかはわからぬが。


「織田家は天下を狙っておるのか?」


 八郎殿から説明を受けた河尻殿は、あっさりと天下という言葉を口にした。


 その大胆さに少し驚くが、もとは守護代家の家老だったお方だ。わしよりも世の中が見えておったのであろうか。


「さて、それは大殿にうかがわねばなるまい。だが、今の織田家一門を纏め上げ、臣従の諸家しょけのみならず民を治めて、力を蓄え大きくさせていくには、天下をみることが必要だとわしは思っておる。尾張一国は当然としても、美濃と三河の西側にも織田家の領地があるのだ。先の戦は三河であったが、美濃とて他国が攻めてくれば助けねばなるまい。最早、畿内から関東にかけての情勢は他人事ではないのだ」


 さすがは久遠にこの人ありと言われる八郎殿だ。清洲の殿や久遠殿のお考えをよく理解しておるのだと思う。


 旧主である六角家では最初は領地を捨てた八郎殿を笑っておったと聞くが、今では妬む者もおるとか。


 織田家においても八郎殿は別格になりつつある。新参の陪臣でありながら清洲の殿の信頼も厚く、度々清洲城に登城しておることは、もはや知らぬ者がおらんほどであろう。


 今や六角家にも並ぶと言われつつある織田家において、重臣と変わらぬ力があると評判だからな。


「佐治殿には、水軍を任せることになると思うがな。河尻殿には、警備兵の運用と武芸の鍛錬などであろう。商いは湊屋殿が、忍び衆は望月殿がまとめておる。お二方でようやく一息つけるわ」


 ただ、端から見る以上に八郎殿の仕事は難儀らしい。


 本人は自身の立身出世など顧みる余裕などないのだろうな。




Side:久遠一馬


「あれを三河に送るのか」


「この季節に野外で寝泊まりしていたら、死んでしまいますからね。それに、安心して眠れるところがあるだけで、人は不安がひとつ減り、活力を得られますから」


 今日は信長さん、帰蝶さん、エル、すず、チェリーと一緒に蟹江の港に来ている。


 目的は普通の視察なんだが、急遽ガレオン船で大量に運んできたモンゴル式の住居であるゲルに信長さんと帰蝶さんは少し驚いているね。


 夏にキャンプで使ったが、特に評判は悪くなかった。難点は、高温多湿の日本の夏には多少不向きなことと、遊牧生活をするような土地がないので今までは必要性がなかったんだが。


 三河の戦で、家を焼かれた村や本證寺領の領民を織田領に移住させるのに、仮設の住居として使うにはちょうどいいかと思って宇宙で製造してたくさん持ってきたんだよね。使い方さえ説明すれば簡単に建てられるから、各村の人達に必要な数を配れば1日で仮設村の完成だ。


 仮設住居とはいえ、これで夜露や寒さを凌げれば、生計の立て直しや食料自給のために、田畑の復旧や河川の治水工事を優先することができる。


「しかし、美濃とは戦をしておらぬのに美濃の領地が増えるとはな」


「斎藤山城守殿が臣従していないので。こっちから臣従しろと言うのを待っていた人たちでしょう。ですが、斎藤山城守殿は親族として織田家中に自身の居場所を確保していますからね」


 三河の後始末で忙しいこの頃だが、美濃の国人衆から織田に臣従したいという人がやってくるようになっていたんだ。


 三河で戦をして、美濃の領地が増える。なんだかおかしなことだと、信長さんばかりか織田家では笑い話のようになっている。


 道三さんと織田がまだ争うと考えて、日和見していた人たちが臣従に傾きつつあるんだ。従来のやり方では、織田が臣従を要求する。また国人衆は、自家の価値を高くするために相手からの臣従要請を待つのが普通だったんだけど。今の織田家はそんなことをする気は毛頭ないからね。


 それに道三さんは、さすがに抜け目がない。表向きは同盟者のようにしつつ、先の三河での戦も嫡男の義龍さんを出してきて武功を稼いでいた。


 無論、狙いは単純な武功ではない。織田家中での斎藤家の立場を確保することだろう。今は、単なる外戚の親族だが、織田一門衆の席でも狙っていそうだ。


「広い道ですね」


「町は住みやすさを第一に考えております。守ることは町の外で十分ですので」


 一方、蟹江の町は概容が見えてきている。港の主要な施設はほぼ出来たので、今は町の建設を中心に進めている。


 帰蝶さんは、その広くまっすぐな道に少し驚いている様子で、エルにその意味を説明されていた。


 現状では、尾張はもとより美濃や伊勢に加えて、遠くは戦災から逃れてきた畿内の職人が港町で働き暮らす領民のための町屋を建てているんだ。


 町割りとしては、海に近い部分には蔵を集中させた。


 南蛮船を含めた船の造船修理のための乾ドックや関連施設も、港から少し離れた海沿いに作っている。


 津波による人的被害軽減の観点から、居住区の土地のかさ上げと城の予定地を高台にして避難場所に指定した。


 港の施設と造船地区は、それぞれ堀と土塀で完全に囲まれている。港や造船地区と町を往来するには許可証が必要な仕組みを導入した。


 検疫と人の出入りをチェックする仕組みも、今はまだしてないが準備を進めているところだ。


 少なくとも、これでいつ本物の南蛮人が来ても、勝手に尾張に入ってくることはないだろう。


 それと手癖の悪い人はやっぱりいるんだよね。荷物の横流しや盗んだりする人が。なので、各地区に出入りする人に対しては、褌の中まで調べる関所を置いている。


「すず、チェリー。あんまり騒ぎを起こすなよ」


「失礼でござる!」


「そうなのです! 暴れていた人を取り押さえただけなのです!!」


 ああ、目を離した隙に、昼間から酒に酔って暴れていた酔漢すいかんを、すずとチェリーが叩きのめして騒ぎを起こしてるし。


 それは警備兵のお仕事なんだよ。


 蟹江の港と町は年末も近いだけに賑わっている。津島と熱田に入りきらなかった諸国からの荷が早くも集まっているからね。


 ここで、荷を売って必要なものを買っていく商人も多い。


 ちなみに、蟹江の港が出来て以降も、津島と熱田は以前と変わらず賑わっている。津島と熱田の商人は、人も荷も来なくなるのではと心配していたらしいが、熱田は那古野や清洲への川舟での物流の拠点だし、津島は美濃、東山道方面への物流の拠点だからね。


 この三か所と伊勢の大湊がきちんと機能してこそ、無駄のない物流拠点の基礎となるんだ。ただ、ちょっと気になるのが、桑名が東海道で西へ向かう物流の拠点として復活しつつあることだ。願証寺の勢力圏だから、あまり力をつけてもらいたくはないんだが……


 ただまあ、人が集まれば騒ぎも増えると。本当に困った時代だよね。


 ああ、蟹江の温泉は公衆浴場と温泉宿が出来ていて人気らしい。一応、織田家の別邸というか代官屋敷は完成していて、信秀さんたちや信長さんたちなどの織田一族が温泉に入りに来ている。


 オレたちも、ちゃっかり使わせてもらっているけどね。


 城を後回しにしちゃったから、そこを蟹江の拠点にしてるんだよ。


 代官屋敷は実質的には、織田家の温泉別邸になっている。



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