第428話・年末に向けて
Side:久遠一馬
時は年末に差し掛かっていた。
一番忙しいのは安祥城だろう。新たに管理する膨大な本證寺系の寺領の人を食わせることは簡単ではない。ましてこの時代では、大量の難民の受け入れなんて誰もが未経験であることを考慮すれば、本当によく頑張っていると思う。普通は追い返すか、放置だからな。
無論、清洲でもバックアップはしている。
本證寺系の寺院で残っているところでは、早くも改宗、または、守護使不入の自主的な放棄と織田家のやり方に従うことで、援助を得ることを考え始めた寺があるらしい。
さすがは坊さんだ。何故援助が来ないのかを武士や領民より先に理解し始めたところがある。
もちろん今はまだまだ少数だが。
結局は日頃の行いがすべてなんだろう。以前からまともな運営をしていた寺には、国人衆あたりから多少なりとも寄進があったようだ。でも織田から支援を受けてそれを寄進するおバカさんもいる。平時なら多少のことは黙認できるが、今は戦時だ。石山本願寺との話し合いも始まっていないし、本證寺領の扱いもまだ決まってはいないんだ。和睦の話が纏まっていない以上、本證寺系列の寺はいまだ敵なのが理解できていないのだろうな。
「補助金か、相変わらず面白いことを考えるな」
「商人も矢銭を出してくれましたし、領民からも、国を守る『国防』の志願者が多すぎるほど来てくれました。正月の餅はなるべくみんなが食えるようにしたいのです」
この日は清洲城にて三河織田領の後方支援の仕事をエルとしていたが、信秀さんがお市ちゃんを連れて仕事をしている部屋にやってきた。
どうも、一緒に遊ぼうと待っている姿を見ていられなかったらしい。しばらく留守にしていたからね。寂しかったようだ。
一緒にお茶で休憩しようということになり、ふと年末年始の話になった。三河織田領で餅を振舞うことと同時に、尾張と美濃の織田領での年末の政策を提言することにしたんだ。
三河織田領は、大量の難民と一時的に避難した領民がおり、領民を慰撫するため織田家が餅を無料で振舞うことにする。だけど、尾張と美濃の織田領は広く領民の数も多い。とてもじゃないがウチと織田家だけでは管理できず、現地の有力者に任せることになる。そのため正月向けの商品が価格によっては購入できない領民が出てしまう可能性がある。
そこで考え出したのが補助金だ。
もち米や酒など正月祝いの品物を販売する商人に補助金を出すことで、販売価格を抑えるように命じるんだ。
元の世界だとよくある仕組みだけど、当然この世界のこの時代にはないだろう。
原資はウチが織田家に献上する。
そもそも通貨は相変わらず不足している。ウチと織田家は賦役などを通じて大量の良銭を市場供給しているが、領地も経済圏も広がっていて追いついてない。
織田領は他国よりはマシだが、織田領と他国との格差は確実に開いている。
堺がやっていた悪銭と良銭の不公正で不平等な交換による儲けは止めさせたが、領外から悪銭鐚銭が集まるのはどうしようもない。そもそも、織田領外には良銭そのものが存在していない場合もあるのだ。商品を尾張から買うには悪銭鐚銭を使うしかない。
その結果、同じ一文銭の価値の差が大きくなり始めている。織田領の良銭一文と畿内の悪銭一文では、当然ながらまったく価値が違う。鐚銭は
一番損をしているのは堺かもしれない。銭の不足で銭全体の価値は今も上がっているが、そんな中でも堺の作っている粗悪な堺銭の価値は下落しているんだから。
まあ余談はいいとして、織田領内の商人に良銭を流せばそれだけで資産が増えるようなもの。
特に領外との取引をしている商人は顕著だろう。
どうせ、ウチでは銅銭は余っているんだ。ウチの鋳造能力と織田家の消費するスピードでは前者が上なのはいうまでもないし、ある意味ズルをしているからね。利益は溜まる一方なんだ。
「ふむ、一時のことなのだ。試すくらいは構わんが……」
信秀さんは補助金のシステムに興味を抱いたようで、しばらくあれこれと質問をされた。
ただ、最終的には年末年始の期間限定であり、それを最初に告知すれば大きな問題はないだろうと決断してくれた。
「ろぼとぶらんかと、おさんぽいったんだよ」
一方のお市ちゃんは、オレたちがいない間のことをいろいろ話してくれている。
留守を任せたリリーたちと遊んだり、ロボとブランカと散歩に行っていたようだ。
孤児院では同年代の友達が出来たらしい。身分差があるので、一概に良いこととは言えないが、悪いことではないだろう。もし、信頼できる親友ができれば、将来、侍女に抜擢することも可能だし。
「そういえば婚儀の準備は進んでおるか?」
「はい。身内で小さくやるだけですから」
お市ちゃんは、先ほどからエルの膝の上だ。胸と太腿をクッションにしてご機嫌な様子。
信秀さんはそんなエルとお市ちゃんを見て、年明けに予定しているオレとエルたちとお清ちゃんと千代女さんの結婚式の話を口にした。
エルたちに関しては、白無垢を着て三々九度などの最低限の式にすることになっている。本人たちも式は喜んだが、一から十までやるというよりは簡素でいいと望んだんだ。でも三々九度を一対一で百回以上やるのは辛いぞ。
人数的に収拾がつかなくなるというのもある。一応、島でも最低限の式はあげていたことにしているからね。
「場所は清洲城を使え。織田一族は呼ばねばならんし、披露目も必要だ」
「しかし、あまり派手になると……」
予定では、那古野の屋敷か那古野城で話を進めていた。オレとしては屋敷でいいかと思ったが、信秀さんも言うように呼ばねばならない人が結構いる。
一応、オレも織田一族だから当然なんだろうが。ただ、ここでエルたちと相談していたのは、信長さんの結婚式よりも控えめなものにしなくてはならないということだ。
「構わん。三郎とも話したが問題ない」
この時代としては格上、上位者よりも控えめにするのが当然のことだし、清洲城を使うことを検討しなかったのもそれが理由だ。
「形式にとらわれないということを、領外にも示すおつもりでしょうか?」
「そうだ。望月の甲賀本家が騒いでおるのであろう? 信濃望月も知れば何か言うてくるやもしれん。いい機会だ。織田は織田のやり方で生きていくのだと諸国に喧伝する。そなたたちも千代女やお清も織田一族になるのだ。誰にも文句は言わせぬ」
信秀さんの意図を考えていたが、オレが答えにたどり着く前にエルがその意図を確かめていた。
「いずれは…、足利家は潰さねばなるまい?」
「……はい。足利家というよりは足利家の構築した統治制度、もっと言えば武家による土地本位の統治制度は、潰さねばならないでしょう」
その瞬間、空気がひんやりとした気がする。
人払いをしててよかった。まさか信秀さんがこの段階で足利家に言及するとは。
その問いに答えたのはオレだ。何度もエルたちと話しあった。高家として足利家が残る可能性はあるが、現行の幕府や統治制度は潰さねばならない。
特に武家が支配する幕府の形は完全に潰す必要があるだろう。そもそも幕府は、戦時下の軍政統治機構の一形態だ。長く続けるものじゃない。
「本證寺のことで理解した。織田には無駄な古き慣習など不要だ。そんなものは都の公家にでも守らせればいい」
「物凄い本音ですね」
「守護使不入があそこまで悪用されてはな。願証寺の僧ですらわしに言うてきたぞ。守護使不入は、今後は柔軟に考えねばならぬのではないかとな」
きっかけは本證寺か。
願証寺が守護使不入について悩んでいたのは知っている。そのせいで、願証寺の大勢の僧侶が、正当な使命を持って赴いた先で殺されたからね。
武士の横暴から寺社を守るための守護使不入が本證寺によって悪用された。
織田は現実問題としてそこまで寺社に無理難題は言っていない。食い扶持も奪ってないしね。
ただ、検地と人口調査はお願いしている。飢饉や流行り病が起きた時の対策として。尾張国内の寺社は、ほぼそれを受け入れたんだよね。
オレたちが来た最初の年の流行り病の対応を間近に見て、信じてくれたのが理由だろう。
しかし、願証寺が信秀さんにそんなことを言うとは少し驚きだ。あそこは尾張と伊勢の境界線上で、織田の勢力圏内とも言えるが、本質的には独立領なんだ。
「まあ、現状では願証寺に求めることは特にないんですよね」
願証寺は輪中という河川の河口にある離れ小島なんだよね。陸続きでもないんで、国境管理が楽だ。
あそこから税を取るよりは商いで儲けるほうが早いし、織田領での罪人とか織田に敵対的な人を抱え込むとかしないなら口を出すことはない。
願証寺の運命の分岐点があったとすれば、服部友貞を破門したことだろう。
正直、輪中は水害や塩害が多くて、発展させるにはかなりの費用と労力がいる。大人しくしているなら別に願証寺の領地のままでも構わないんだよね。今のところは。
「願証寺とは、今後、罪人の扱いについて話をすることにした。互いに罪人を匿うのをなくすことでまとめたいが、いかに思う?」
「いいと思います。ただし、互いに相手の領民を裁く際には、見届け人を同席させることも考慮するべきかと思います」
「見届け人か」
「つまらぬ疑いや嫌疑を持たぬ
願証寺と罪人の扱いについて話し合いが行われるのか。願証寺は本当に織田の治世での生き残りを考えているみたいだな。
まあ、互いの領地に無関係な罪人の引き渡しは必要だろう。ただ、エルはそれより一歩踏み込んで、お互いの領民が相手の領地で犯した罪の裁きに見届け人をおくことを提案した。
弁護人までいくとややこしくなるが、見届け人くらいなら現状でも可能か。
実際にこの時代では近代的な事件捜査なんて存在しない。司法制度なんていう段階ではないし、裁きを多少公正化するくらいが限界だろう。
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