第426話・尾張への帰還

Side:久遠一馬


 尾張は戦勝祝いで沸いていた。


 三河から清洲に帰還する途中の村などでは、喜びの声が何度も何度も聞かれた。寺社を討伐したにも拘らず非難どころかお祭り騒ぎなんだから、三河まで戦に行ったみんなは誇らしげにしている。


 本證寺の関係者はこの光景を見て、どう思うんだろうか?


 ただ、この光景の意味を理解しているのは願証寺なんだろう。織田が本證寺を潰しても揺るがないことを理解していたからこそ、本気で一揆を止めに入ったんだろう。


「クンクン」


「くーん」


 はあ。ウチは落ち着くなぁ。帰宅早々ロボとブランカがやってきた。


 お前たちどこに行ってたんだ、とでも言っているのかもしれない。


「おかえりなさいませ」


 部屋に書類の山はあるものの、今回はほとんどの決裁は済んでいる。表向きなことは資清さんに任せて、資清さんで無理なことは熱田のシンディと津島のリンメイに任せたのが上手くいったらしい。


 ただ、決裁済みでも当然ながらオレが目を通す必要はある。というか商いの差配以外は資清さんが上手く処理したみたいだ。


 仕事はいろいろあるが、まずは資清さんとシンディやリンメイといった留守番をしていた人たちに三河でのことを伝えることにした。


「しかし、ウチの大殿は凄いね。あちこちに一定の配慮をして上手くまとめたんだから」


「そうですね。今川も松平も願証寺も、一定の面目は立ちましたからね。これ以上ない結果かもしれません」


 改めて話すことで思うのは信秀さんの政治的な力量の凄さだ。本證寺には終始厳しい態度で臨んだが、バランスを取るように願証寺には配慮した。


 エルもその結果を、これ以上ないかもしれないと絶賛している。


「大殿は願証寺の僧があの場で動くのを予測していたのかな?」


「予測していたと思います。禁教と言っても過言ではない命令を出して、願証寺が頼んで緩める。大殿は断固たる決意を内外に示しました。それは石山本願寺にも伝わるでしょう。願証寺はそんな大殿から一定の譲歩を引き出したことで面目を保ちました」


 こういう形式って大切なんだよね。なんというかオレたちが来るまでの微妙な立場での経験が、ここで生きている気がする。


 しかし、尾張半国にも満たない地位から尾張と美濃の実質二か国以上のトップとなったことで、その力量が問われるのではなく、逆に才能が開花したのだからわからないもんだね。


「それにしても、本證寺の寺領を放置とは驚きでございますな」


「ああ、その件ね。個人や村単位で復興するなら止めないけどね。本願寺が譲らない虞もあるからさ。なるべく織田領に人を移してそこで暮らさせる。仮に本願寺が寺を再建しても人がいなきゃなにも出来ないからね」


 資清さんが反応したのは、せっかく制圧した本證寺の寺領を放置することだった。


 この時代だと普通に横領しちゃうからなぁ。よほど信心深いなら返すこともあるだろうが、本證寺が引き起こしたレベルの騒動では取り上げて当然だろう。


 ただ、開戦前からあった戦後の本願寺対策のひとつとして、寺領は放置して領民を織田領へと移住させることに決まった。


 村単位や個人で戻ることを止めはしないが、織田は復興に力は貸さない。それに、同じような坊主が寺にまた来るかもしれないという噂は流している。


 生まれ育った村を離れたくない人はいるだろうし、戻る人も出てくるだろうが、大半は戻らないとオレはみている。


 帰ってくる前にざっと見て回ったが、水害以外にも内乱で焼かれたり荒らされたりして再建が大変な場所が多い。


 織田領に移住すれば食べていけることは保証する。その違いはこの時代では大きいだろう。


 もっとも領主の命令で強制移住させるのは、この時代では珍しくないことだ。史実でも尾張では徳川の時代には清洲から那古野へ城を移して、名古屋に改名するときに、住民も一緒に移住させているからね。


 三河では、新たに臣従する者の領地で検地と人口調査などが行われる。また、本證寺との戦の際に一時的に明け渡した境界近くの領地は荒らされている。


 そこの復興や、今回の原因でもある矢作川の水害による被害もないわけではないし、広がった領地の防衛や水害対策など、やることはいくらでもある。


「とりあえず正月だ。三河でも餅が食べられるようにしたいね」


 ただオレとしては、まずは三河でもこの正月に雑煮の一杯くらいは食べられるようにしたいんだよね。


「餅米はすでに大量に手配してありますわ。あのまま正月を三河で迎えることも考慮しておりましたので」


「ただ、三河の主要なところに配るには幾分足りないヨ。追加で買い入れて送るネ」


 この件で答えてくれたのはシンディとリンメイだ。


 もともと正月に帰れるかわからなかったので、ふたりは一万数千の軍が三河で正月を迎えてもいいような準備はしてくれていた。


 その分と追加で買えるだけ買った分を、安祥など主要なところで雑煮として振舞うことにしようか。


 うん。信長さんと信秀さんの許可をもらって実行に移そう。実働することになる信広さんには『お手数ですがよろしく』と、手紙を書こう。


「メルティ。紙芝居とかわら版の制作をお願い。望月殿と湊屋殿はそれが出来次第、盛大に配って」


「うふふ。任せて」


「「心得ましてございます」」


 そうそう、今回の本證寺のことは紙芝居とかわら版にて可能な限り周知させることにしている。


 願証寺の立場もあるので願証寺が頑張ったことも書くが、本證寺が我欲からでっち上げの蜂起で織田領や今川領を荒らしたこと。


 蜂起をやめるように説得に向かった同門の僧である使者を殺したことは、大々的に書いて日ノ本すべてに知らせてやる。


 あと、今回の戦でウチのために志願して戦い、亡くなった人も僅かだがいる。その人たちの遺族には弔慰金と葬式の際には名代を出そう。


 残された家族が安心して生きていけるようにするのが最大の供養になるはずだ。



 さて石山本願寺はどう出るかな? 返答次第では長い戦いになるな。




Side:織田信秀


「今日呼んだのは、その方らの今後のことだ。これは命として下すものではない。そなたたちの考えが聞きたいのだ」


 清洲に戻ったが、やはり落ち着くな。尾張が一番だ。


 戦勝の宴と論功行賞の場を開いて、労いと褒美をやるなどしばらくは忙しいが、その前に確認しておかねばならぬことがある。


 呼んだのは佐治為景と河尻与一だ。戦時の応援という名目で、暫定ではあるが一馬とジュリアの与力としたが、今後いかにするのかを決めておかねばならぬ。


 わしから命じてもよいのだろうが、佐治家は伊勢の海の要であるし、河尻は大和守家の元家老だ。本人たちの意志を聞いたほうが良いであろう。


「一馬にもそろそろ与力を付けねばと思うのだが、半端な者では邪魔にしかなるまい」


 人なのだ。能力の有無を問わず、合う者と合わぬ者はおる。一馬の足を引っ張る者を与力につける気はない。


 その点、このふたりは問題ない。河尻は少し不安だったが、ジュリアばかりか一馬も気に入ったようだしな。


 ただ、一馬は三郎の家臣であり、わしの直臣から一馬の与力では陪臣の与力となり立場が落ちるとも言える。


「お引き受け致します。某が久遠殿の与力となれば『海の守りに隙なし』と他者が思うこと相違なく、まず伊勢の海は安泰でございましょう」


「某も喜んでお引き受け致します」


 佐治には事前に話を聞いておるので察しておったようだ。影響と『久遠と佐治の力量』を考えれば直臣でもいいのだがな。水軍衆は一馬の下にまとめたほうが良いだろう。


 河尻も反対はせぬか。


「河尻。そなたはジュリアに付けるつもりだが、一馬にも従うこと異存はないか?」


 懸念は河尻が一馬をいかに思っておるかだ。裏表のある男ではないが、少し気難しいからな。


「はっ、異存などありませぬ」


「そうか、あそこは若い者たちが多い。大和守家を支えておったそなたならば活躍の場も多かろう」


 大丈夫なようだな。八郎と出雲守が頑張っておるが、久遠家には経験がある者がいささか足りん。経験だけは場数を踏まねば学べぬからな。


「あいわかった。三河の論功行賞の席で正式に与力に命じる。それと大和守家の旧臣のことなのだが、そなたが使えると思う者は推挙せよ。そろそろ使える者は使つこうていくことにする」


「はっ、ありがとうございまする」


 あと、河尻のところには大和守家の旧臣が集まっておるようだが、そろそろ使うてやらねばなるまい。


 隠居した大和守も旧臣が集まって困っておると言っておったしな。




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