第420話・宗教との闘い

Side:織田信長


 まことの戦とは、かくも難しきを為さねば成らぬとはな。


 エルの進言で前線から後方まで激励して歩いたが、何故なにゆえそれを勧めたのかがよう分かった。


 それぞれ異なる思惑や事情を抱える、万を超える兵を動員した戦というものが、これほどまでに難しきものだとは思いもせなんだ。


「久遠殿は相変わらずでございますな。ですが、この分では一番手柄は固いでしょう」


「ああ。この戦、久遠家なくしては成り立たぬ」


 三左衛門が久遠家の陣の様子に苦笑いをしておるが、それも無理はない。


 そもそも織田には、これほどの兵を動員した戦は経験がない。さらに、正式には臣従しておらぬ美濃衆や三河衆までもが集まっておるのだ。


 これほどの大軍を当たり前のように動かし、兵糧の差配まですべて織田家でまかなえるのは久遠家が裏で仕切っておるからだ。


 功を稼ぎすぎぬように、あまり表には出ぬつもりで動いておるようだが、気付く者は気付いておる。




「やれやれ。この期に及んで本證寺から、退かねば仏罰を下すという使者が来たわ。見てみたいものだな。俗人ぞくじんに過ぎぬ似非えせ坊主が仏罰を下すところを」


 親父が諸将を集め、最後の軍議を開いた。


 本證寺からは懲りずにまた使者が来たのか。だが親父は呆れるどころか楽しんでおるように見える。


「一馬。焙烙玉を撃ち込むというあれは使えるのか?」


「はい。十分使えます」


 諸将の注目はやはり久遠家のアレであろう。木材を組んだ新しき武器。かずは投石機と呼んでおったが。


 親父が問うとかずは相変わらず気負うことなくあっさりと答えた。遥か南蛮でもあったというし、大陸にもある武器だと聞くが。


「利点は、金色砲より作るのが安上がりなことか。難点は、あれもまた使う戦場いくさばを選ぶことだな。あとは金色砲と同じく、炮烙玉に大量の玉薬が必要なことか」


 そう。親父が語るように、利点は木材を組む投石機は金色砲よりは安い。だが組むのに手間がかかるうえに、運ぶのが金色砲より難儀だ。そもそも、投石機は城攻めでもちいることを目的として作られた武器であると、かずが言うておったしな。親父もわざわざ利と難を諸将の前で話すのは『織田と久遠の力あっての勝ち戦』と知らしめるためであろう。


 とはいえ今川との戦も考えると金色砲は残しておきたいのが本音だ。かずのことだ。投石機を実戦で試すつもりなのであろう。


「さて、最後にエルよ。意見があれば申せ」


 軍議は滞りなく進み、最後に親父が声をかけたのはエルであった。


 この場におる女はエルとジュリアとケティだけだ。ジュリアは剣術指南役として、ケティは衛生兵の総監そうかんとして臨席しておる。最後に親父が聞いたことで、集まった者たちが一斉にかずの隣にたたずみ、無言だったエルに視線を向けた。


「玄海上人と上方から来た学僧は、なるべく生きたままの確保を進言致します」


「ふむ。首よりは価値が高いか。皆の者、聞いたであろう? 手向いするなら討ち取っても構わぬが、生け捕りにすれば首よりも良き褒美をやるぞ」


「ははっ!!」


 親父はこの戦がエルの策が元であることを、隠す気がないらしいな。


 だが、それが三河衆や美濃衆の更なる奮起ふんきを呼ぶ。


 俺はすっかり慣れてしまったが、新参者の奥方が軍議に出るなど他家ではありえぬことだ。しかも策を求められ、その策が用いられるなど、軍議に参加しておらぬものには信じられぬことであろうな。だが、織田家ではそれがあり得るのだ。おのれも出世できると思えば、奮起も致すか。


 もっとも幾ばくかの者は気付いておるようだな。エルの知恵はそう簡単に真似出来るものではないということに。


 残念なのはオレも見ておることしか出来ぬことか。


 いつか、自身の力でこのような軍を動かしてみせようぞ。必ずな。




Side:久遠一馬


 開戦・攻撃開始の合図である法螺貝の音が聞こえる。


 戦だ。


「投石隊、用意。全軍、投石隊を守るように」


「はっ!」


 指示は、きちんとはっきり出さないといけない。中途半端が一番いけないんだ。


 今回、ウチは投石機を使って焙烙玉を撃ち込む投石隊と、矢盾で守る矢盾隊と弓と鉄砲で反撃する攻撃隊の三部隊に分けている。


 当然ながら鉄砲の保有数は『織田家に次いで多い』に留めているけど、織田家の鉄砲は家中に貸し出しするから、一つの家で運用するのはウチが飛び抜けて多くなる。塀越しにこちらを狙う敵を撃つくらい楽勝だ。


 あとはジュリア率いる近接戦闘隊に、すず、チェリーと慶次や石舟斎さん、河尻さんらが加わり、山門前の先鋒の陣にいて、ケティとパメラほか医療型アンドロイドの数名は後方で衛生兵部隊を編成して別行動だ。


 オレの側にいるのはエル、メルティ、セレスの三人になる。


 本證寺の中からは怒声や威嚇するような声が聞こえるし、包囲する友軍からも聞こえる。


 便宜上、投石隊と呼んでいるが実際に打ち込むのは焙烙玉だ。ただ、史実にある爆発を重視したタイプより、発火を重視したタイプを用意した。イメージは焼夷弾に近いね。


 この時代だと貫通力のない対人・対建造物の兵器と言ってよく、建物の中にいたり、遮蔽物があると殺傷効果は薄いが、その代わりに建物に火がつく効果がある。


 もっとも籠城戦の最中に兵が建物の中に入って怯えていたら、門を破られて負けてしまうし、建物の中で焼け死ぬのも負けだけど。


「明日まで持つかな?」


「難しいですね。数が違い過ぎます。ただ残るのは一部の狂信者と、逃げたくても逃げられない欲に溺れた背教者がほとんどですから。降伏はないでしょう」


 オレとしては清洲城以来の攻城戦だが、清洲城との違いは本證寺の降伏が難しいことだろう。もっとも安易な降伏は受け入れないのが首脳陣の決定事項だ。


 エルも言っているが、最早逃げられない人と逃げださない人ばかりだからね。今更だけど、宗教の教義は、どの宗教もおおむねマトモなんだ。歪むのは恣意的に悪用する自称高徳の聖職者(愚物)なんだよね。


「坊さんたちが怒っているからね。大殿が一喝しなかったら参戦しそうな勢いだったし」


 降伏を難しくしているのは、ほかでもない同じ一向宗の僧侶たちだ。


 願証寺も怒っているが、本證寺や本證寺系列の末寺の一揆反対派の僧侶たちも怒っている。


 寺を焼かれた者や一揆を止めようとした仲間が殺されたことで、自分たちも戦に参戦して討つと息巻いていた人も結構いた。


 ただ信秀さんは一向宗の参戦自体を認めなかった。


 願証寺は織田に臣従しているわけではないからね。織田が願証寺の内政に口出し出来ないように、織田領に降り掛かった問題に口は出せない。当然、願証寺は許可なく兵を送ることも出来ない。織田の許可なく織田領や武力衝突の地に兵を送れば、織田との戦になるだけだ。


 今回は平和的な使者は認めたが、寺社の本分を逸脱する行為は不要だと認めなかったんだ。


 本證寺系の僧侶も同じだ。一揆を止められなかった責任があることを示唆しつつ、これは最早織田の戦なので手出し無用と参戦を拒否した。


 そういえば、上宮寺はまだ揉めている。


 信秀さんは中立派だった上宮寺の生き残りに寺を返せと言ったが、松平家次は命の保障と領地の安堵と引き換えにしてほしいとごね始めたんだ。それに家次に協力した僧と僧兵がまた厄介だった。


 彼らはどうも家次のどさくさに紛れて織田方に鞍替えするつもりだったようだが、信秀さんはそれを認めなかった。


 一揆に参加した僧と僧兵は戦後に裁くと告げると、上宮寺に立て籠もって、中立派の生き残りと小競り合いを始めたんだ。


 桜井松平家と血縁がある信光さんが安祥城に残って、松平家次にまずは寺を返せと交渉しているが、うまくいっていないらしい。


 どうも家次と上宮寺を占拠している連中は、本證寺との戦の後に今川と織田でもう一戦あると考えているみたいなんだよね。


 少し話が逸れたが、願証寺と本證寺の一揆反対派の怒りの矛先は、今も本證寺に籠る連中に向けられている。


 仮に降伏したとしても使者を殺した罪や一揆を起こした罪で、彼らが自分たちを許さないだろうことは本證寺の連中も分かっているのだろう。


 もっとも信秀さんには『裁きはあくまでも織田がやるのであって、願証寺や本證寺の者には口出しさせないように、それに本願寺も本證寺の後見である以上は加害者側』と進言したが。


 ここで問題なのは被害者の感情は考慮しなくてはならないが、それを新たな三河一向衆の権力争いに利用されてはたまらないことだ。


 実は一部の本證寺系の坊さんはすでに戦後を見越して、本證寺の扱いや再建に関して三河の国人衆や織田家重臣たちに接触を図っている。


 すでに戦後が始まっているのは、ウチだけじゃないんだよね。


 本證寺の一揆反対派は願証寺の一部も巻き込んで、願証寺と同じように親織田の寺として生き残りたいらしい。


 織田家の重臣たちは一定の理解を示すが、現状では口利きまでしている者はいない。


 単純に『織田にとっても悪い案ではないし、条件次第では認めてもいいのでは』と考えているようで、オレのところにも戦後のことでそんな話があると相談に来た重臣がいた。


 どうもこの件は一歩間違うと信秀さんの逆鱗に触れるのではと見られていて、誰も積極的に動いてないんだ。


 オレのところにも何人かの僧が来たが、適当にはぐらかしておいたんだよね。そのせいでもあるんだろうけど。


 本證寺の問題は本願寺との交渉次第だ。


 それが終わるまでは悪いが本證寺のことはなんの確約もしない。


「投石隊、初弾しょだんととのいましてございます!!」


「よし。打ち方はじめ!」


 少し考え込んでいた間に投石隊の準備が出来たようだ。


 さあ、始めようか。


 三河の未来のために。


 我欲で蜂起した者を許してはならない。


 オレは心を鬼にして命令した。



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